こんばんは。






友達Yさんは、株を始めてまだ数年ですが、2年前に退職金を全て株にして、既に50%増やしているそうです。

時流に乗り、うまくいっていったほうでしょうね。きっと、才能があるのでは。

誕生日祝いにビールと鮨というので、どこかなあと思ったのですが、行きつけの活美登利のスカイビル店ではなくジョイナス店の方でした。


活美登利ジョイナス横浜店

スーパードライで乾杯🍻

友達は鮪の赤身とかんぴょう巻。
私は沢庵巻とイカ、雲丹イカ、小柱軍艦。
好みが大きく分かれていますね。


私はスーパードライをお代わりしました。


卵焼き🫛枝豆🫛

鰻入卵焼きは売り切れでした💧



5月末。

友達Yさんにはステーキ宮でご馳走しました。そのお返しに今回のお寿司屋さんへのお誘いだったのです。

皆さまは奢ったり、奢られたりってされますか?

いつも、割り勘が気楽ですが、実にスマートにこの会計は私が持つわ。そういう友達もいます。カッコいいですよね。いつか言えるようになりたいな。




ステーキ宮

友達も私もおろしハンバーグでしたよ。



本日は友達Sさんとロイヤルホスト (新宿住友ビル店)で、ランチにしました。

友達

◯ハンバーグステーキ、スープ、サラダ、フリードリンクのセット

◯アンガスビーフとマッシュドポテトとサラダ盛り合わせ

◯ヨーグルトジャーマニー


⭐️ロイヤルホスト⭐️
新宿住友ビル店





今月は私の誕生日月なので、私の希望に合わせてランチ会の場所を決めさせてもらいました。



🐦平和祈念展示資料館🐦

https://www.heiwakinen.go.jp/


向かったのは新宿住友ビル33階。

時間は10時。

およそ1時間、資料館を見て、11時から映画を観てきました。その後レストランなので、ブログ記事は前後してしまいました。



『硫黄島からの手紙』120分

ご覧になられた方はいらっしゃるでしょうか。

監督 クリントイーストウッド

キャスト 渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、中村獅童

ストーリー(wikiからのコピペ)

2006年、東京都小笠原諸島硫黄島。戦跡の調査隊が、地下壕の地中に埋められていた鞄から数百通もの手紙を発見した。それは、61年前、この島で戦った兵士たちが、家族に宛てて書き残したものだった。

太平洋戦争の戦況が悪化しつつある1944年6月、小笠原方面最高指揮官・栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)が硫黄島に降り立った。本土防衛の最後の砦とも言うべき硫黄島の命運は、栗林率いる小笠原兵団に託されていた。着任早々、従来一般的であった水際防衛作戦を否定し、内地持久戦による徹底抗戦に変更、また部下に対する理不尽な体罰を戒めた栗林に兵士たちは驚きの目を向ける。今までのどの指揮官とも違う男との出会いは、硫黄島での日々に絶望を感じていた応召兵・西郷陸軍一等兵二宮和也)に、新たな希望の光を抱かせる。

栗林が水際防衛や飛行場確保に固執する海軍軍人らの反対や突き上げを抑える中、食料も水も満足にない過酷な状況で掘り進められる地下陣地。張り巡らせたこのトンネルこそ、アメリカ軍を迎え撃つ秘策だったのだ。

1945年2月19日、事前の砲爆撃を経て、ついにアメリカ軍が上陸を開始する。緒戦で海岸の砲台トーチカはすぐに制圧され、摺鉢山も陥落する。谷田大尉ら摺鉢山の人員は現地指揮官の命令によって自決するが、持久戦を命じる栗林からの連絡を立ち聞きした西郷、そして清水洋一(加瀬亮)は自決せず、栗林の意図に従って北部の部隊に合流しようとする。

戦局が悪化する中、林少将(ケン・ケンセイ)は独断で反撃を行おうとする。この命令は栗林によって撤回されたが、前線に情報が行き渡らずに約1000名の将兵が戦死する。伊藤海軍大尉(中村獅童)も林少将の命に従い元山飛行場を奪還しようとし、出撃間近で西中佐に止められるが、伊藤は西を罵倒し指揮下の部隊を率いて陣地の外へ出る。自身の命令が行き渡らず将兵を死なせたことに憤慨する栗林の元に、大本営から無線が届く。友軍は硫黄島には送れない、最後まで大義を貫徹せよという、事実上の玉砕命令であった。

西率いる連隊の残余とともに栗林の元に撤退する途中、戦いに疲れ果てた西郷と清水はアメリカ軍への投降を決意し、清水が先に地下陣地から出ていく。清水はアメリカ兵への投降に成功するが、見張りのアメリカ兵が後送の手間を省くため、彼を無抵抗のまま銃殺してしまう。そして西も負傷して視力を失い、部下たちを先へ進ませるとひとり自決する。西郷は命からがら栗林の居る司令部に辿り着き、死を覚悟して妻に手紙を書く。

遂に栗林は自ら兵を率いて最後の総攻撃を敢行する。一方、栗林から機密書類の焼却を命じられた西郷は一人陣地に残っていた。翌朝、遅れて陣地から出た西郷は、被弾して倒れた栗林を見つける。栗林は「ここはまだ日本か」と西郷に問い、西郷の「日本であります」という言葉を聞いた後、かつてアメリカ駐在中に贈られた拳銃を使って自決を遂げる。栗林の遺体を埋葬した西郷はアメリカ兵たちに見付かり、大円匙を振り回して抵抗を試みるが、捕まって生還する。

再び現代、調査隊が西郷によって埋められた手紙を発見するシーンに戻り、映画は幕を下ろす。

上のストーリー読まれた方、大円匙とは、スコップとかショベルのことですよ。



アメリカ人から見た硫黄島での日米の戦争を描いています。キャストが役柄の持ち味をよく出していて、いつしか引き込まれてしまいました。一箇所、ウッと泣きそうに。ただ、映画館のシートとは違うので、座り心地を云々と思う方はご遠慮されたほうが。

映画は見られていたか分かりませんが、小中学生も親御さんと来られていましたね。シベリア抑留されていた方々の暮らし、引き揚げ船底での暮らしはジオラマで表現されており、お子様も関心が高いように思いました。私もいちばん長く観察していました。←お子さんレベルです。

それにしても、映画で千人針された布地を身体に巻きつけるシーンを観たのですが、展示室には、その実際の千人針を見ることができ、触ることも可能でした。

日の丸に力をたくさん書かれて戦地に赴く者へ渡した日章旗🇯🇵。

極寒シベリアで袖の切られた防寒着は、袖の一部を売り、食べ物と交換したのではと説明がありました。

与えられた食べ物、黒パンの硬さよ、、、。

平和ボケと呼ばれる世代に育っていますが、こうした資料館にて少しは学ぶことができたかもしれません。






朝食

◯牧場の朝

◯ジョージアブラックコーヒー

◯スイート食パン

◯ミネステローネ


戦争が終わったにもかかわらず、シベリアを始めとする酷寒の地で、厳しい労働を課せられた戦後強制抑留者は約60万人にも上ります。

その中には、日立市出身の作曲家・𠮷田正氏の姿もありました。

過酷な状況のラーゲリ(収容所)で生き延びるには、「絶対に故郷に生きて帰る」という強い意志と希望を失わないことが大切でした。極限の状況下にあった彼らの心を慰め励ましたもの―それこそが、音楽や演劇、絵画といった文化活動だったのです。




ブログが長くなってしまいました。

ブログ友達様、本日もお越し頂きありがとうございました。


🍀一期一会に感謝🍀