いつもありがとうございます。
本業は刺しゅう作家のNagisaです。
私Nagisaは、刺しゅうを通して、オオカミがいる日本を目指しています。
普通という言葉を、理不尽に思う人もいます!
普通こうするよね、普通出来るよね、普通わかるよね、普通を使った躾、私達ASDには、罪に問われているように感じてしまうのです。
「何で普通に出来ないの?」と問われると、「普通に出来ないのは泥棒だよ」等と私達ASDには聞こえてしまいます。
定型発達としては、心配して言ってくれてしたり、「私が教えてあげなくちゃ!」と教えてくれていたり、時には怒りをぶつけているだけだったりします。
私自身、普通という言葉にしっくり来なくて、叱られたり、いじめや偏見に苦しんできました。
集団登校でも上手くついていけずにいじめや偏見に苦しみ、集団登校なんかなきゃ良いのに、と集団登校廃止を願ったりもしましたよ。
両親も兄もいじめっ子気質で、家族だからでしょうが、注意ばっかりして来ました。
そのつもりはないのでしょうが、いじめっ子達の方が、Nagisaと関わらなくちゃいけなくて可哀想、と哀れむように間接的にいじめる側の見方をしていました。
同情されないように、等といじめられる方が悪い、と言う冷たい対応をされたりもしましたよ。
私は普通じゃないんだ、と沢山落ち込んだりもしました。
それはそれで、「そんな人沢山いるよ」「どうってことないよ」「そんなの普通だから」「そんなの治せば良いじゃない」と、誰もわかろうとしてくれませんでした。
私達は、解ろうとするのが非常に難しいのです。
心のどこかではわかっていても、世に嫌われることを恐れて、そこに辿り着くことを恐れてしまい、なかなか辿り着くことができません。
因みに私が発達障がいだと診断されたのが、22歳の夏でした。
自閉症スペクトラムで、ASDです。
当時はブリーダーさんの元で働いていて、色々と支障が出て来てしまっていまして、あるサイトさんに投稿したら、「心療内科にかかった方が良い」とのことでしたが、親は、私が障がい者だと思いたくなくて、なかなか許してくれませんでした。
何とか通った予約したら「初診の場合は1ヶ月先になってしまう」とのことで、なかなかキツかったです。
心療内科で薬を処方されましたが、眠くなったり氣持ち悪くなったりで、それならブリーダーさんにわかってもらえると思いましたら、ブリーダーさんもわかろうとしてくれず、「精神薬は飲まない方が良い」「病氣じゃないから」等と、見捨てるような態度でした。
ブリーダーさんも、私が障がい者だと思いたくなかったんですよね。
私の場合は見た目では分かりませんから、普通だと思いたかったのでしょう。
世の中の殆どが定型発達で出来てますから、見た目ではわからない場合には、同じ定型発達として見たいのだと思います。
退職前、退職後に障がい者の事業所に入った頃も、誰もわかってくれない悔しさで、「いないいないばぁ」や「おかあさんといっしょ」等、幼い子の番組を見たりと、幼児退行もしました。
事業所でも、スタッフさんはそんなつもりはありませんが、普通を押し付けるような感じでしたね。
スタッフさんも定型発達で、他の利用者さんも元々定型発達、と言うこともあり、利用者さんが世に出られるように助けることが仕事ですからね。
障がい福祉センターに、就職の相談に行き、そこなら大好きな手作りの仕事が見つかる、と思いましたら、理想とは程遠く、「好きなこととは逆のことを選ぶんだよ。」「私コミュニケーションが苦手だから、と思わないで。」とのことで、「は?全然理解してないじゃない」と理不尽に思いましたよ。
当時薬は飲んでいませんでしたが、後遺症からか手が震え、勢い良く拳を握れば止まる、とスルーするような態度を取られたりもしましたよ。
事業所のスタッフさんにしても、障がい福祉センターのスタッフさんにしても、傷つけたい訳ではありませんが、特に見た目ではわからないASDとしては、見捨てられている等と勘違いしてしまうこともあります。
羨ましい訳ではありませんが、足が悪い場合には車椅子に乗っていたり、歩き方等で見た目でわかり、見た目ではわからなくても心臓が悪い場合にはわかってもらえても、私達見た目ではわからないASDの場合には、嘘ついている、ズルしている、手が震える場合には、ワザと等と誤解されてしまうのが辛いんですよね。
自慢ではありませんが、私の場合には身体がとても丈夫で、見た目はすごく元気なので、健康面にはすごく期待かけられていて、健康健康と喜ばれることが嫌いになってしまいました。
絵はガムドラモン、と言うデジモンです。
販売、営利、コンクール等が目的ではありませんので、発達ゆっくりの啓蒙にお借り致しております。
次からは、「デジモンフロンティア」のネタバレもございますので、これから見られる方は読まないでくださいね。
ネタバレOKなら良いですけど!
何が普通かは、実際にはありません。
普通、普通、と言われていることに、古代の人達は変な風に感じますね。
古代では、例えどんなに短くとも、命があるだけで素晴らしい、と捉えていて、何が普通と言う決まりはありませんでしたからね。
古代の人達は、肉体がなくなってからも続きがあり、肉体がなくなってからが本番だと言うことを知っていて、地球にはただ立ち寄るだけ、と言う感覚だったと言えます。
即ち、私達が元いた所は波動が高く、波動が低いとはどう言うことなのかを、学びに地球にやって来ているのです。
医学が発達していなかった古代では、生き延びられないことが当たり前でしたから、命があるだけで素晴らしい、命があるだけでも尊いこと、命があることは奇跡、と捉えていて、感謝の祈りや謝罪の祈りを捧げていた為に、致死率が高かった当時も、波動が高かったと私は見ています。
所が、農耕が始まってからは土地争いが始まってしまい、良い土地を取ることで精一杯になり、祈りを捧げる習慣が忘れ去られ、「何が命があるだけで素晴らしいだ!」と言う恐ろしい感覚になってしまったんですよね。
私達は肉体で生きていると、生きることで精一杯になってしまい、地球に来た目的や感謝を忘れてしまいがちなのです。
承認欲求は、農耕が始まってからは生じたのではないか、と私は見ております。
日本は八百万の神様の国と言われ、通過儀礼が多い国だとお伝え致しておりますが、どうやら通過儀礼は貴族、幕府、天皇等の、身分が高い人達の間だけだったようです。
通過儀礼とは、生き延びられた奇跡に感謝して祝うことと見ておりまして、お腹に赤ちゃんが出来たら戌の日に服帯を巻き、赤ちゃんが産まれたらお七夜、お食い初め、お宮参り、奇跡的に子どもになれば七五三、大人になれば成人式、結ばれれば結婚式、人生を終えればお葬式。
お葬式は悲しいですが、それも通過儀礼なんですよ。
お正月、節分、桃の節句、お花見、端午の節句、七夕、お盆、重陽の節句、お月見、大晦日等は季節毎に生き延びられた奇跡に、感謝をして祝うと言う季節の通過儀礼ですね。
通過儀礼が始まった頃も貧富の差が激しくて、身分が高い人達は、通過儀礼を庶民達には隠していたと言って良さそうです。
通過儀礼が始まったのは、祈りを捧げる習慣がなくなってからだと予想しておりまして、貴族、幕府、天皇達は、上手く理解出来ずに、どんなに身分が高くても、致死率が高くて、困った時の神頼み感覚で、通過儀礼を受けていたと、私は想像しております。
その為に、庶民達を支配してしまったり、誰かに依存してしまったと言えます。
通過儀礼が始まった当時から娯楽状態だったでしょうから、当時から形だけで、正しく悟られていなかったんですよね。
もちろん、正しく行われて、正しく悟られていたところもあると思いますよ。
通過儀礼が正しく行われて、正しく悟られていれば、庶民を支配したり誰かに依存したりせずに、庶民達にお金を出したりと、支えていたはずですからね。
貴族にしても、幕府にしても、天皇にしても、お城の中の生活しか知らなくて、庶民達のことを良く知らなかったので、それはそれで気の毒に思います。
絵は、「デジモンフロンティア」に登場した、デジモン小学校の生徒の1人のツノモン、ツノモンから進化したガブモンです。
皆んなで遊んでいて、ボールが木に引っかかってしまい、ガブモンに進化してボールを取ってくれましたが、皆から怖がられ、担任のトゲモン先生に迄、急に進化するのが悪い、と冷たい対応をされていました。
誰もわかってくれなくても、自分さえしっかりしていれば!
光が強ければ強い程、影も色濃くなる!
どんなに暗い闇の中でも、自分の中の光を見失わない!