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刺しゅう専門店Nagisaです。

 

 

 

私は子どもの頃、「ありがとう」や「ごめんなさい」が自然に出てこなくて、それで怒られてました。

本当は言おうと思ってましたが、いざとなると言葉が詰まってしまったんですよね。

 

お礼を言っても喜んでもらえない、謝っても余計に怒らせる、と言う思い込みから、言葉の詰まりが生じてしまったのだと思います。

 

「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えないのは、耳が聞こえないことや脳の病気等でしたら理解してもらえますが、私は耳が敏感過ぎて、苦しい程聞こえ過ぎるので、責任感がない等と誤解されていたのです。

 

いじめにも会ってまして、いじめる子程成績が優秀だったり、先生や友達から大好評だったりしました。

 

母はいじめる子に注意してくれてましたが、いじめる側の目線になっていたり、私が個性的であることに罪悪感を覚えている様子でした。

父も兄も、私をいじめる側の目線になっていたこともありました。

 

両親や兄、先生や同学生達は、私にだけ1度怒り出すと、なかなか止まらないことがなん度もありました。

 

高校生からは、お礼を言う必要のないことに迄お礼を言うようになり、謝る必要のないようなこと迄謝るようになってしまったのです。

 

そうなると余計に偏見されました。

 

失敗する度にひどく沈むこと迄覚えてしまい、強迫症にもなってしまいました。

 

人間社会ってなんて残酷なんだろう、と途方にくれるあまり、どうして良いかわからなくなってしまい、これまた何度この命を絶とうと考えたかわかりません。

 

私が発達障がい、かつ軽い自閉症スペクトラムだと診断されたのが、22歳の夏でした。

 

アデプトプログラムを受けてから3年経過してから腑に落ちましたが、人は楽したい、安心したい、と言う思いからマトリックスに入ってしまい、本当の喜びで生きることを諦めてしまうのです。

 

「出る杭は打たれる」「臭いものには蓋をしろ」と言う諺通り、本当のことを知らずに、マトリックスに入ってしまうと、マトリックスに入らない、と言う正しい選択をした人をそこに入れたがって、攻撃してしまったり、逆に優しさで安全な場所に誘導してしまう傾向にあります。

 

地球上では、マトリックスに入らない、と言う正しい選択をしたにも関わらず、形而上学が隠されてきてからは、問題視されてしまうことが玉に瑕です。

親は子どもを安全な場所に導く責任を強く感じてしまい、悪気ではなく愛情で、マトリックスに入れてしまうのです。

ですが、親は自分の責任をしっかり果たしていて偉いですよ。

8000年もの間アデプトプログラム、かつ形而上学が隠されていたのですから、知らなくても仕方ありませんので、気に病まないでくださいませ。

 

生き辛さを全く感じなくなったわけではありませんが、形而上学が腑に落ちていく度に、産まれてきて良かったんだ、と次第に思えるようになってきています。

 

あなた様もアデプトプログラムを受けられて、本当の喜びで生きましょう。

アデプトプログラムをご希望でしたら、私がお世話になっているモダンミステリースクール公認ガイドさんを紹介致します。