凪と彩雲


凪は、今年60歳。

53歳で、乳がんになり右のおっぱいを半分切除した。

ホルモン依存のガンだったので女性ホルモンを抑える薬の副作用でありえないほど太りだし、人生最高値の体重更新中だった。

髪は薄くなりヘアスタイルが思うように決まらなくていつも引っ詰めている。

時々、写真を撮ると体のラインの全てに余分なお肉がオーラのように縁取りをしている。どのアングルから見ても余計な肉が縁取りを作ってしまい、最近は写真を撮られるのが嫌いになった。

現実を突きつけられる事に耐えられないのだ。

人生1番の楽しみは食べる事。 

その次は、娘たちの成長だ。

凪は結婚して30年になる。

旦那と知り合った頃はスタイル抜群のいい女だった。旦那も自慢の彼女だった。、

今は、凪をみれば「太ったな。痩せろよ!」

無口な旦那の、発する言葉はこのワードの他には

「行ってくるね」と、「ただいま、ご飯何」

「もう、いいよ」

それくらいしか思いつかないほど会話がない夫婦になっていた。

よくある、日本の主婦の生活を凪は送っている。


凪という名前は父親がつけた。

海辺に住んでいたわけではないが、昔好きだったTVの洋画劇場のオープニングに出てくる海辺のシーンが好きで人生がこんなふうに凪であって欲しいと、壮大な親の愛情でつけてもらった名前だ。

しかし、凪の人生はそんな穏やかなものではなかった。

凪は1963年生まれ。受験戦争の走りの世代。しかも落ちこぼれ。

若い時はバブル時代で、美人だった凪は、ディスコで踊り、アッシーとメッシー待ち。もちろん本命彼氏もいてしっかり時代に乗っていた。

時代はサーファーブームで、見た目だけのオカサーファー。

ずいぶんわがままだったが、自分を肯定する様な軸はなかった。

そのために人間関係のトラブルが絶えなかった。

邪気。

凪にとりついた邪気とは、トラウマだ。

トラウマというフィルターを通して見える世界、聞こえる声は、全て凪にとっては攻撃の矢でしかなかった。

凪という素晴らしい名前をつけてくれた父親は凪が3歳の時に病気で亡くなった。

その当時、一家の主人が死ぬという事は、残された家族の生活の保証が失墜しかねない事態である。

母親は、茫然自失,小さな子供たちを育てるという意欲もなくただ毎日泣いていた。

親戚たちは自分たちの生活を維持するのに精一杯ながらも、なんとかこの哀れな母親と子供達を助けなければならないと会議に会議を重ねていた。

そんな大人の事情という暴風雨吹き荒れる中で3歳の凪と、1歳の妹は、無邪気に笑っていた。


そんな無邪気な子どもたちを見て大人たちは言った。


子供がいなければまだよかったのに。

子供がいるから再婚も難しい

お母さんに迷惑かけないでね。

これからどうしたらいいんだろうね。

母子家庭になったから大変だね


それらの言葉が凪の心にサクサクと刺さる。

たくさんの傷をつけた。

やがてそれは、歪に形作られ凪の無邪気な心に覆い被さり、やがて凪の心は見えなくなった。


凪の無邪気を邪気に変えた刷り込みのワード

それは


貧乏な母子家庭に育つ可哀想で哀れで惨めな凪ちゃん、これからどうなるんだろうね

であった。