梶並が座ると、すぐに、ドアーが開いてコーヒーが置かれた。
松木の妻芳江である。背の高い骨太の女である。仕事柄、方々の家を訪ねるが、大半は家に似た顔がのぞくがこれほど
不釣り合いも珍しい。
芳江は、髪が薄いせいか、しきりと頭をなでながら梶並に頭を下げた。
「父ちゃん一人では心配なので私も聞かせてもらいます。」、、、大きな声で笑った。
「梶並はん、なにかいい考え浮かびましたかな」
梶並が座ると、すぐに、ドアーが開いてコーヒーが置かれた。
松木の妻芳江である。背の高い骨太の女である。仕事柄、方々の家を訪ねるが、大半は家に似た顔がのぞくがこれほど
不釣り合いも珍しい。
芳江は、髪が薄いせいか、しきりと頭をなでながら梶並に頭を下げた。
「父ちゃん一人では心配なので私も聞かせてもらいます。」、、、大きな声で笑った。
「梶並はん、なにかいい考え浮かびましたかな」
鍬を持ったまま畔上に座り話は続いた。
「大手の銀行なら安心ですやろ、まあ農協には仕事柄仕方おまへん」
「それにしてもすごい土地ですなぁ、このあたり全部松木さんの土地ですか」
少し表情をやわらげ続けた。
「向こうの道からあの畔まですわ、」
「すごいですなあ、3~4千坪ありますなあ」
「いやもうちょっとあります。全部はちょっとおぼえてまへんけど。」その時の梶並は、少し離れた松原市の郊外に30坪程の家をローンで買って住んでいた。何もかもがごちゃ混ぜの生活だったが支えていたのはいずれというハングリーな気持ちだったろう。
「さあ、、」草から腰を上げて、思い出したように言った。
「あんた、この土地や金の使い道考えてくれはったら何もかもまかせますわ、梶並はん、まあ一度考えておくんなはれ。」
松木は丸い小さな背を見せて畑の中に入った。
熟慮の結果あるいは鉄は熱いうちにとかダメ元とか頭をめぐらしてみたが、確信の持てる案が一つあった。
二日後、梶並は松木の家を訪ねた。
地桧の廊下から居間へ入るとさっぱりした松木が座っていた。
「まあ、座っておくんなはれ。」相変わらず硬い表情である。 naginoippei
松木は、完全に梶並に心酔しているように見える。
田舎の、農家出身で、社会の情勢に詳しく、容姿身のこなし共々穏やかで雑学にたけて動きも早い。梶並自身そう思っている。他の得意先に行っても同じ雰囲気なので、雑学と、身のこなしがこれほど役立つとは思ってもみなかった。
しかしながら中身は伴っていない、梶並自身三十歳過ぎて尚何が自分の人生なのか仕事なのかつかむことができない。只、現状ではだめだということはわかっている。
独立以来、雑多な人々との交渉の中にも今のように際立ったものを感じたことはない。
この頃から大学卒がそれなりの位置を占めるようになり妙なコンプレックスが片隅にいつもあらわれてきた。
松木と話していると経験のない光と風が頭上にある。
梶並の話に一家は熱心にうなずいていった。億単位の資産が自分の手によって変化していくと思うと気持ちの高鳴りとともに、話に力が入った。
松木ほどの資産家となると、銀行はもとより土地の斡旋からマンション建設と
巧みな誘いが次々と訪ねてきた。それらがたとえ身内であっても頑なに拒否してきたのだろう。梶並自 身最初はにべもなく反対をむかれた。
ある日、畑まで追いかけて一服を待ってると、松木が口を開いた。無表情のままだが、
「預金は全て銀行と農協においてます」
naginoippei
梶並が建設会社を退社して1年ほどたったころか、ある不動産屋の世話で松木の屋敷の離れ
の改造を頼まれ金額にすると50万円ほどだったか、初めて松木の顔をみた。
全く無視で下請けの大工くらいに思ったのだろう。島さん、島さんと、ことあるごとにきいている。それから数日たって梶並は職人を連れて工事にかかった。夕方現場をのぞいた時少し違和感のある感じがした。不動産屋の島さんが松木の飼い犬を連れて散歩をしている。
犬の名を呼びながらいかにも手慣れた様子だ。
個人でやっている小さな商売だが、松木をガッチリとつかんでいる感じである。松木の家の内外あちこちの改造をしているようであった。
1,2度あったのが縁で、「自分とこ、小さい仕事だけどできるかな」
「何でもやらしてもらいます。よろしゅう頼みます。」梶並は即答した。いかにして得意を増やすか、これから先どうして安定さすか、相手も場所も選べないのが現状だった。
田舎から布団と背広1着と、何千円かを持って建設会社の社宅へ入り、すぐ現場へと。
今からが辛抱というとき退社した。しかも2人の同僚を連れて。
この時梶並には少しの金があった。なぜなのか、この話は又あとにしよう。
さらに女房と1人の子供がいた。風が舞うような只々金がいるそんな現実ではあったが若さと飢えが大きなベースになっていた。
那岐の一平
黒い顔に目だけがぎょろっとしている。笑った歯は少し黄ばんではいるがきれいだ。地下足袋をはいてこしには愛用の鎌をさしている。
松木の体は健康そのものである、酒、タバコはやらない。しかも趣味もない、車もなければ外出もしない。8時には床に就く。虫歯もなければ入れ歯もない。
何十年も変化なく暮らしてきた。これらの一つ一つが財をなしえた要因だろう。
「昨日はご苦労さんでした」 梶並が言うと、「朝から入れてますねんけど、、どんなもんですやろ」次は下の田んぼの所有者が来るので、それまでに程よい量になるかと聞いている。
「それでええと思いますけど」 わかったような答え方をした。
最近は何事につけ梶並にきてくる。農機具の選定から慶弔の額、芋の苗の本数まで、となるとうんざりとすることもあるが、、急激な社会の変化を思うとわかるような気もするのだった。
考えたことのないバブル社会がすぐ近くまで来ていた。
梶並と松木は水田を見ながら実現確実な大きな目的を共有していることでお互いに対する一点の不信感もなく穏やかな新風をうけていた。
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大きな門戸の横の欅造りの勝手口から石張りの通路を20メートルほど歩くと玄関につく。このころには梶並は挨拶もしないで我が家のように中に入るようになっていた。台所まで行くと、芳江は洗い物をしている。梶並の顔を少し見たが表情は変えない。
「東の田んぼ、、」 「水引で朝から出たきりなんですよ。」
手を休めず答えてお茶を用意しながら梶並の前に座った。大柄な体は顔も一体 となっている。日焼けを隠そうと白く塗ってはいるがなんとはなくおかしい。
「ちょっと自転車借りるわ」
細い水路ぞいに走ると水田が広がり何人か見える。前方にうずくまってる松木がいた。畝を歩いて近ずいても、動くことなく水面を見つめている。わずかな水が少しずつだが田を潤している。以前は豊富な水量があったが、近年住宅開発に伴う人口増加とそれに伴う道路、公共施設などで貯水池は減り当然のこと水量も減っている。もっとも水田も減少しているが。
それでも松木のように乗用車の往来を横に見て鍬を担ぐ姿もあちこちにある。
数億の預貯金があり、なおも悠々と田に出る姿がどう映るかはそれぞれの自由ではなかろうか。
梶並の姿を見ると松木は嬉しそうに立ち上がった。
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駅前の商店街を抜けるとすぐ住宅街となり、密集した中にも歯抜けたように田畑が見えてくる。進むほどそれらは多くなりその中であちこちに住宅やマンションの建築工事が進んでいる。その一角にそれらを見下ろすように豪邸が見える。瓦値打ちと言わる和風が多いが白色の洋風もある。その主は大半がこのあたりの地主であり農家である。
見た限りでは土地高騰の恩恵を受けその庭先あたりは誠に優雅に見える、が、その中でも松木の家は際立っている。田畑の中にあるのでそれは異様な感じさえ受ける。白い洋風造りは陸屋根から出た銅板の庇は鈍い光をはなっている。手入れされた庭は描き切れない絵のようである。
門前の大きなガレージに軽四輪貨物車を止めてチャイムを押した。
「はーい、梶並さん、お父ちゃん田んぼですよ」松木の妻、、好江の元気な声が返ってきた。
彼女はいつも素っ頓狂な声を出す。
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梶並政美が県立津山工業高校建築科に入学してからの3年間記憶にあるのは僅かだった。
ただひたすら15キロはある駅までの自転車、そこから津山までの列車の中、駅から歩いて50分。 他人と自分を見比べて、体力のなさ能力のなさ、そして貧しさ、そんなことばかり考えて
過ぎた気がする。
妹や弟の記憶はあまりない。2年の時オリンピックがあった。津山駅前のラジオが盛んに放送しているが、全く関心はなかった。そのことのほうが鮮烈な記憶になっている。
自転車の帰り道端の柿をとったこと、母に無理を言ってバスで駅まで行ったこと、、家族も自分もギリギリだったことだけは、、はっきりと覚えている。
続きは後にして、、私立学園設立の話に移ろう。
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話を少し急ごうか、貧しい中でも中学校3年の秋のこと、狭い田んぼ寄せ集めても2反に満たない山田で、稲を刈っている時だった。誰かは覚えてはいないが、1枚のハガキをもって合格通知が来たと言っている。大阪の定時制高校の通知だった。おぼろげながら大阪へ行くのかなとか、まったく自己判断ができぬまま3~4か月前に父に連れていかれた小さな鉄工所と今宮工業高校が記憶にある。
田舎とはいえ半数は高校へ進学する時代だったと思う。やがて全日制の高校の願書締切の数日前僕の担任教師小林克己が訪ねてきた。
父母と何か話をしているようだったが、僕のほうをちらっと見て帰っていった。
その夜、父が言った。(お前津山の高校へ行くか)
暗い台所ではあったが、何となくホットしたのを覚えている
naginoippei 次回よりサブタイトルあり
ここで梶並政美つまり僕のことを説明しておきます。
昭和22年7月岡山県勝田郡勝田町久賀323に生まれる
団子山の谷間で、まさに貧農日々の生活も文章にはできない。
(小学3~4年)にかけて、大量の血尿と蛋白が混じりほぼ寸前を感じたこと、はっきりと覚えている。
なぜ生き延びたかは、ずっと後でかくことになります。。
次回お楽しみに naginoippei