日曜日

この日は来客が御二方
台風で破損した実家の屋根修理に
遠方から友人が直しに来てくれました。

これもDの死後 すぐの誕生日会がきっかけとなり
うちの両親と友人が何気に話してるうちに
流れて引き受けてくれました。

通常なら5ヶ月先になると言われた修理、
近所の人も観にくる、
そしたら
近所の人の修理までしてくれて
ご近所さんなんで、みんな一緒に直しますと言ってくれて
神対応。






あー、これ   愛やね、
いつも、出会ったみんなに平等に愛をくれる彼、すごいなぁ、


どんな人にもこの愛はあって、
(私もね)

それが垣間見えた時、

本当に泣けるほど、有り難いよね、


彼達は実家に来るのは初めてなので
お焼香してくれました。



そしてもうお一人

着付け教室の先生が

Dのお焼香をさせて頂きたいと
言ってくださり、
レッスンの前に お越し下さいました。


実家の近くで見つけた着付け教室、
先生とこんなに
深い縁となるなんて
思いも寄りませんでした。

習い出したのは10月



Dからの誕生日プレゼントでした。


さかのぼると

Dが病気を宣告されてから
それどころではないと
煎茶道をやめたのが昨年。

皆さんお着物でお点前をする姿

凛とした気配

優美とか華美とは少し
違うところに惹かれていました。

私が出会った煎茶道では
華美な着物はご法度、そこがまた私には魅力でした。

武士道みたいな凛としたものと同じように見えた


ヘニャヘニャ、
不健康な私ですが


着物は左前、この巻き方はカラダの体幹をしっかり整え
帯は 腰をサポートし、

バカほどチカラが出ると言う。
昔の人の馬力(特に女の人)は
凄かったんですよね、

大きい樽に4.5人子どもを入れて
頭に担いで移動できたんだからねー、、
すげい、

着物はへにゃ子にもってこいなのです。


着物は経済的でもある。

冠婚葬祭のための服を
わざわざ調達しなくても、

着物さえあれば
華やか

同じ着物でも
都度、小物を変えて楽しめたり
ウキウキ度は
新しい洋服を買ったのと同じくらいある。

毎シーズン洋服を
買わなくてよくなるし

実は経済的なのですね、



着物を自分で着て
普段の生活に
取り入れてみたいと思っていたところ

そこに
Dからの打診。



久々の
ジーザスアーメンブッタ✨ラブ



ありがたく行かせて貰うことにしました。

マンツーマンでのレッスン
楽しくおしゃべりしながら
着物のこと、その周辺のこと
束の間ではありますが

生活の彩りとなっていました。

こちら↓

先生や同期の方々とも
いろんな話しが出来て調和の世界、
お部屋も心地よく。



程なくして  Dが亡くなってしまい、


また、それところではなくなり
少しお休みしてましたが



少しずつ、再開

帯の締めかたを習得しています。

この日のお茶タイム


先生のお部屋の一角、
かわいい猫が点々とあるね


身内が亡くなった時のお話しをポツポツされる生徒さんもあって、
わたしの身の上話を話していると

人に話をしている時の
自分の考えが


どこか不自然なのです。
決まり切った文句に、変な悟り感



物分かりの良い人過ぎると言うか

同じ土俵に私は上がらないと言う、
わけのわからんプライド

いろんな出来事を
無意識にポジティブに変換していた
(実際 この時は気づいてない、違和感だけある状態)

でも

ネガティブなジメジメ感は
どうしても好きになれず、

いつのまにか
いつも最善だと考えるクセが出来ていた


何をしても
何をされても
最善。

その方が

人間関係がスムーズに淘汰されるんちゃうかなと楽観的に思っていたし
自分自身も穏やかでリラックスした状態に早く戻れるし安心(と思い込んでいた)

早く(インスタント)自分がリラックスした状態になれる←ここミソです。
だから
ポジティブが大好きでした。

これが、厄介なクセだったこと、
偽って
自分を自分で痛めつけていたこと。

目の前にいる人の良いところを見ること、

それは気持ちの良いことですが、


そればっかしてる
影で

自分の気持ちをおざなりに
していた事実





数時間後に知ることになりました。

まるで、
サスペンスドラマだよ、

注意深く
出来事を眺めていると

付箋がたくさん 貼ってありました。




この日 一本の電話。

それは彫金の師匠からの電話

内容は
私がずっと探していたデータが
違うところにあるかもと言う助言の電話でした。


自営業の人が亡くなると
確定申告は死後4ヶ月以内にしなければならない、
その会計ソフトを提出するよう、
税理士さんから言われていましたが、
提出したMacBookにはなかったらしく

会計ソフトはWindowsにしか入らないから
Windowsをくまなく見て探してください。
と言われました
だけど、

Windowsを何度見ても今年度が
全く出てこない、

もう、かれこれ、2ヶ月、どうしよう、
半分諦めていた

彼の3台あるパソコンのうちひとつだけがWindows、
その中ばかり探していた、

でも
電話で師匠から
Windowsではなく
MacにWindowsでしかできないものも
後付けハードを入れたら
積めるんだよ、
僕はそうやっているから Dさんもそうしていたかも、
一度 もうひとつのMacも見たほうが

と言う助言。

3つめのMacを見る、それをしなかったのは
知識のある人からの助言を
鵜呑みにして

そればっかりしていたこと。

知識がなければ、(Windowsにしか入らないソフトという知識)
全部 そりゃ見ていたと思う。



この後、こんな小さな出来事さえも
(私にとってはめちゃくちゃ前進の一報)


この電話が
自分の状態と全く一緒だったように

今は思う。


沢山の本で  良しとされていること、
ポジティブばかり見ることが良いことと
思い込んでた私が

違うところを見ること

ネガティヴに入ること。


これをせずして

陰陽のある

この世界

この世界の半分を見ずに、

ないない、と言って騒いで、
対処法を色々あーでもないこーでもないと本を読み漁ったり
人と会ったり、

これだけが全てだと
愛のある世界はこれだけだと
思い込んでいた
自分を

象徴するかのような出来事だと
今なら思う、

そして


自己崩壊を迎える
月曜に

突入することになりました。