改めて自己紹介しますと、私は主婦しつつ、福祉系NPO役員しつつ、大学の通信学部4年生をやっております
で!その大学の最後の単位習得試験が少し前に終わりまして。
多分、無事来月には卒業出来ます。
大学の卒業証書、欲しかったんですよね~(*´Д`)。
届くのが待ち遠しいです(なんてこと言ってて留年してたら笑ってしまう)。
大学では2年で62単位以上取らないといけなくて、興味がある科目もない科目も(笑)履修しました。
学習した科目で一番面白かったのは、精神分析学です。
フロイトから始まる精神分析の歴史や、歴代の精神分析家のプロフィール、主張等を学びつつ、精神分析学と言う学問を理解していきます。
フロイトは正直、何でもかんでも「性衝動だー!リビドーだー!エディプスコンプレックスだー!」なイメージで(笑)。
「古い」精神分析家な認識しかなかったんですが。
でも、精神分析学の講義を受けるうち、フロイトがこの「後世の人間から見たら少々極端で、首を傾げたくなるような理論を展開」したからこそ、精神分析の多様化が進み、今の精神分析学に繋がったのかもなぁと思うようになりました。
まぁ15回くらい学んだからと言って、精神分析学がすっかり理解できる訳もなく。
特にラカンは、今後一生かけて勉強したとしても理解できない自信があります(゚Д゚)ノ。
ラカンの理論、難解すぎて、お手上げ(笑)。
そんな私のお気に入りの精神分析家はアンナ・フロイトと、アドラーですよ
以前から、「触りだけでもいいから、ちゃんと精神分析を学んでみたい」と言う希望が、この講義で叶いました。
それだけでも大学に編入した意味があったかも知れません。
さて、精神分析学ではレポートもたくさん書きました。
毎回テーマが決まっていて、そのテーマに沿ったレポートを書くのです。
「あなたが見た夢を一つ選んで、それについて自分なりに診断してみましょう」
こんなテーマのレポート課題がありました。
フロイトの夢の解釈は有名ですね。
それを自分でもやってみましょう、と言うレポートです。
夢は私は結構覚えている方で、しかも「自分が見た夢」と言われて真っ先に思いつくのは、もう30年以上前に見た以下の夢です。
「私が住んでいた家から一番近いスーパーまでの道のりに私はいる。
私は自転車の後部座席に座っている。
自転車を漕いでいるのは母である。
まだ幼い私は、いつも母の自転車の後ろに乗って、保育所に行ったり、スーパーに買い物に行ったりしていた。
道の両側には田んぼがある。
田には稲が実っていたから、季節は秋だったのだろう。
私は母の背中に手を回し、安心しきって後部座席に座っている。
田んぼの真ん中のまっすぐな道を左に曲がると、急な下り坂に差し掛かる。
その前に、母が後ろを振り向いた。
母の背中に手を回したまま、母の顔を見た私の心は凍り付く。
何故なら、母の顔はノッペラボウだったのだ。」
・・・なかなかホラーですね( ;∀;)。
夢判断では、夢の中のどこに注目するかが重要になって来ます。
田んぼとか稲とか、キーワードは色々あるけれど、この夢の中から私は、「自転車」と「ノッペラボウ」と言う要素に着目しました。
自転車は漕ぎ続けなければ倒れてしまう不安定な乗り物です。
自分以外の人間が運転している、その不安定な乗り物の後部座席に乗ると言うのは、運転者への強い依存を表していると推測できます。
そして「ノッペラボウ」は、「知らない」人を象徴しているように思えます。
つまり、誰よりも信頼し、慕っている母親が、実は自分が思っているような人ではないのでは?
自分は果たして今後も母親を信じていいのか?
そんな不安が現れていると私は考えました。
夢を見たのは「自転車の後ろに乗れる年齢」の頃であり、恐らく小学校に上がるか上がらないかくらいの年頃です。
そう考えると、この夢は、幼児から少女に差し掛かる年齢の、母離れの象徴だったのかも知れませんね(*´Д`)。
字数制限のおかげであまり論ずることは出来なかったけれど、真面目に自分の夢を考えるのは結構楽しかったです。
大人になってからの勉強は、しんどいこともたくさんあったけれど、やっぱり楽しくて。
「学びたいから」学ぶ、それが若い頃に出来ていれば、私の人生も全く違ったものになっていたかも知れませんなぁ・・・(笑)。
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母と久しぶりに一緒にランチしました(≧▽≦)。
母のお気に入りの「さかなの大将」さんの貝汁定食
母と会ったのは3週間ぶりくらい?かな?
そこまでご無沙汰ではなかったのに、母の記憶力の衰えが目について、ちょっと戦々恐々でした・・・
みけこ#のmy Pick