交換留学から帰って来た友達達とよく会う。
口を揃えて言うことは、

「あの時間って一体なんだったんだろう」

ということ。

交換留学から帰ってくるとすぐに、進路選びに直面し、
留学先の余韻なんて残す余裕無いほど、
ちゃきちゃきと行動しなくちゃならない。

北米の地で、カンカンとした太陽の元、
胸元空いたワンピやタンクトップ、ホットパンツで生活していた
ような子が、帰国して1週間後には就職活動の黒いスーツを着て
東京中を歩き回らなきゃならのだ。

ふと、思う事は
「こっちが現実で、留学が夢だったんだ」 ということ。

私たちは、1年間、現実から隔離された異空間に居て、
そこでしか見られないような夢を見させてもらっていたのだ。


なんて いやだ!

留学のこと全部わすれて、何事も無かったかのように
日本の中で生活するが、なんか怖い。

私はまた留学に行こうと思って居ます。

もうこのブログには書きません。

見てくれた人々、今までありがとうござんした。


新しいのは
http://nagizuburogu.tumblr.com/

期末テストをさくっと終わらせて、2週間カナダ東部の旅に出て、
エドモントンに帰って3日間滞在した後、帰国しました。

人と別れた事を表象するのは何だか怖い。
自分自信に傷を付ける気がするし、
言葉に救われない記憶と感情がこぼれ落ちてしまう。
でもまあちょっと書いてみます。


お婆ちゃんの容態が良くないと両親から連絡があり
日本に帰る日程を早めることにした。

飛行機はカルガリー発なので、エドモントンから4時間ほどの
ドライブが必要である。
その間の距離を、デイビッドの父親が車を出してやると申し出てくれた。

この父親というのが本当に愛すべきハンガリー男なのである。
ハンガリーから出て来て40年間エドモントンに住んでおり、
引退した時期が早かったために、いわば主夫となってデイビッド育て上げた人物。
デイビッドと父親が喋っていると、外見と挙動と言葉のチョイスが似過ぎていて
本当によく笑ったものだ。
父親の口癖は What to call'em.... で、
デイビッドの口癖は What to call it... である。
注意して聞いていると、2人合わせて3分間で10回以上、
この口癖が飛び出すことが分かる。それを聞くたびにニヤニヤしてしまう。
彼は60代半ばなのにも関わらず、21歳のデイビッドと同じだけswearする。
大体人が沢山swearするのを聞いていると、人格が下品に見えたりするけど、
彼の場合は、swearすることによって自分をそれ以外の何かに見せようとか
何かを装う意図が全く見えない、全く自然なやり方でのswearで、
それはチャーミングにさえ響く。
元コックさんらしく、彼はピザの作り方を私に教えてくれた。
それはデイビッドが料理をするとき、私に手順を教える時と全く同じ口調と目線で、
デイビッドと父親が過ごした時間の長さを私によく教えていた。

私の目の前に座っている、
ハンガリーの初老男と、彼の息子が、私のために計画を練っている。
二人とも眉間に皺よせながらタバコをすって、
同じような喋り方と同じようなリズムで、私に交互に言葉を投げかける。
ていうか、この二人本当に息がピッタリで、ユーモアのセンスも全く同じで、
兄弟とか仲の良い友達みたいな調子で話す。

これは帰国する2日前の話なんだけど、
私はお婆ちゃんが危険な状態にあると知ったその日のうちに
航空券やバスの手配をして、日本やカナダいろんなところに
確認の電話掛けたりしなきゃならなくて、内心は悲しいし不安なのに
手続きに忙しくて本当に参っていたのだ。
だから、この2人の調子は私を本当に落ち着かせてくれて、
最善の形で私をカナダから送り出すべく、知恵を寄せ合ってくれて
本当に心強かった。

「朝早く出発するドライブになるから、前日から泊まっていくのがベストだ」
とどちらかが言って、
「でも、ママは人を家に泊める事が好きじゃないぞ」
とどちらかが言って、
「そしたら、ナギがランプシェードのフリをして、部屋の隅に立っていれば良い」
とどちらかが言って、
「よし、そしたら今日ホームセンターでランプシェードの傘を買ってこよう、
 ナギ、一晩中立ってられるか?」
と言うような具合。
愛するべき親子。

母親に隠れて家にナギを泊めるとなったら、
どうしたらいいか、という議論が続く。
車の中、客間、地下、デイビッドの部屋、父親の部屋、ごにゃごにゃ・・・

前々から気がついていたけど、この家の覇権は母親が握っている。
私の目の前にいるとても怖い外見をした2人の大男たちが、
もの凄く渋い剣幕でタバコを吹かしながら、
「でもmomにバレたら」「でもmomが帰って来たら」「もしmomが地下に降りたら」
という会話を延々と繰り返していて、
あの小さな中国の中年のおばさん(母親)が一体どれだけこの二人にとって脅威なのか、と
私は推し量った。

それを察したデイビッドが一言、
「これも全て、ママがナチをやってる(being Nazi)からいけないんだ。」
父親「おい、それはちょっと良い言葉じゃないぞ。」
デイビッド「けど、それでもママがナチだって事実に変わりはないぜ!」
父親「まあ実際その通りだな、息子よ。」
このラインが一番面白かったです、隣で聞いていると。
His mom is being Naziという曲が書けそうだよ、私。

そして、何よりも、私をカルガリーまで送ると言う事を内緒にしなければ
いけない理由というのが
父親「ママはまだ、俺のガール・フレンドがカルガリーに居ると思ってるんだ。
   実際、彼女が生きてるか死んでるかも俺は知らんけどな。」
息子「Oh Daaad. Oh my God.」
ガール・フレンドwww 彼のパパはかつてプレイボーイ。

と言う事で、
明朝に駅で落ち合って、4時間かけて空港まで送ってくれたのです。

父親が同伴していたお陰で、車中しっぽりと悲しい空気に浸ることもなかった。
空港に着いて荷物を降ろしてから、
デイビッドが、また帰っておいで、と言って、私は少し泣いて、
手を振ってから、空港の中に入って行った。
信じられないほどさらっと別れた。
結局身のちぎれるような悲しい思いをしていたのは、
別れの時を想像していた、帰国前の数週間だったなぁ、と今になって思う。
現実は想像よりももっと穏やかで明るいものとなった。
デイビッドの父親のお陰である。
最後父親にハグをしたら、彼は今までに無い笑顔を見せていた。
若い女の子にハグされたのは久方ぶり、という笑顔。
彼にはサントリーの響でも送ってやらなければならない。感謝!

人と別れることが、こんなに美しく映ったことは今まで無かった。
私は帰国してから、
カナダに留学していたんだよなぁという事実を、何回も確認することがある。
自分の脳内に「カナダ」という言葉でアクセスしてみると、何の躊躇もなく、
空港まで続いた道のりが鮮明に展開される。
この風景である。いつまで残っていて欲しい。
カルガリーまで数時間延々と続いた、カナダの美しい農場風景、牛と馬、
終わりなく続くかと思われた緑の中のまっすぐな道路と、暖かく乾燥した空気、
彼の父親が対向車に対して「サノバビッチ!」と悪態を付く姿、それを笑う私、
デイビッドの農家が着るような青いチェックのシャツ、
全てがとても鮮やかだ。
この記憶の中でなら私は絶命してしまってもかまわないなぁ。
それは本当に完璧なお別れだったんだよ。

バンクーバーから東京まで9時間のフライト中、夢を見た。
夢の中でも私は寝ていて、目を覚ましたら横にデイビッドがいる。
私は「ああ、いまデイビッドの夢を見た。なんだかデイビッドが思い出になっちゃって
もう二度と会えないような夢だったよ。すごい嫌だ。」
と言った。彼はタバコを吸う所で、マッチを擦って火を付けていた。
「大丈夫だよ、こっちが現実だから。俺が思い出になるなんて事起る訳がない。
 ほら、その証拠にマッチに火が付いてるでしょ、」
と彼は言っている途中に、彼は徐々に暗闇の中に消えて行って、私は目が覚めた。

暗くなった機内で、乗客のほとんどは寝ていた。
私の目の前のモニターには一時停止された映画が映し出されて、
青い皮膚の生き物と神秘的な森のシーン、そこから溢れる光が、
私を照らしていた。
今みた夢の意味をぼんやりと考える。
実態から切り離されて、人はこうやって思い出になっていくのね。
彼はアルバータ大学のキャンパスを、ホワイト・アヴェニューを、
サスカチュアン・リバーを、私無しで歩かなければならない。
たった一人で、思い出の中に生活しなければならない彼の事を思う。
私が居ない事で彼が悲しむなら、私の事なんて全部忘れちゃって良いのだ。
私の事をすっかり思い出にしちゃえば良い。
彼を幸せにしてくれる女の子がすぐに現れればいい。
誰かの幸せを祈る、ということを、私は初めてしていると思う。
とても深い、愛だ。
暖かいです最近。
半袖で外でちゃう。うきゃ!!

今日駅で人を待っている時、
ぼんやりといろいろな事を考えたな。

人を待つという行為が嫌いではないと言う事
人待ちは、純粋に「ぼんやりと考える」が出来る貴重な時間だからだ。
まあ10分とかなんだけどさ。

一人で純粋に「考える」時間って、最近本当にない。
どん引きされそうだが、一人で居るときはラップトップに向かっているのだ。
ラップトップの電源を落とすときは、寝る時。
一人で部屋に居る時間=パソコン可動時間である。
こんなんだから常時フル可動の可哀想なマックは、購入して7ヶ月にも関わらず、
自力でシャットダウンすることが出来なくなってしまった。
私は毎晩、マックのキーボード右上の電源ボタンを長押ししてあげて
マックを眠らせてあげるとき、自殺扶助みたいな感情になってるの本当。

そういうインターネットの住人になっているとですね、
他人の産み出したテクストが鬼のように流れ込んでくるばかりなんだよね。
誰かの発言 on mixi, twitter, facebook, tumblr , ブログ類
誰かの音楽、映像、ニュース、全て全て。

そうすると私の純粋な思考に触れる間もなく、
他人の産み出した思考に浸されてしまう。ビッタビタに。
おひたしのように・・・ (おひたしは留学来て以来食べてない)

インターネットやってると、
軽~い情報が、洪水のように沢山流れ込んで来て、
それはそれで疲れるよね。

なので、話がそれましたが
駅で人を待っている間、ああどうでも良いことを考えるという行為を最近
忘れていたな、と気がついて

それってちょっと駄目じゃない、
と思った。

そ、なので、そこで考えた事を
ちょっとここに書き出してみよ。 

なんだっけ・・・ なんか、駅の窓ガラスの外を見てたら、
うわあ凄く今日は春めいているなぁと思って、
その後で、1ヶ月で別れるお友達の事とか考えて、
自分の中で過去と現在と未来をひっくるめたストーリーがほわっと
浮かんで来て、
私ったら何で今までこの一連のストーリーに気づかなかったんだろう
と思ったんだよな。

そのストーリーって一体なんだったのかというと

思い出せません。
頭に浮かんだよしなしごとを、いちいち描写できる技術が無かったわ。


あと一個別に思っていたこと。
駅の中で行き交う人々を見ていて、
アジア人白人黒人が一杯行ったり来たりする。
あ、そういえば、カナダではそろそろ白人種が他の数的に
「マイノリティ化」するらしいです。
これもし日本に帰ったら、
日本の駅のホームにこうやって座っていたら、
行き交う人の見た目97%くらいは日本人で、
ああそれって、「凄く違うなぁ」と思ったのです。

良い悪いじゃなくて、
それってエドモントンと、凄く違うなぁ、と心から思った。
私はあと1ヶ月ほどたったら、
「凄く違う所」に行っちゃうんだなぁ、
そして多分エドモントンには長い間帰ってこない。
そう思ったら、私は全てを赦して良い気持ちになった。
ここで出会った人や、起った出来事すべてを、
確信を持って「良い思い出に昇華する」ことを始めた。
全ての留学生がするように、
様々、ひっくるめて全部「良い留学だったよ」にする行為が始まった。
なんだかそれは、思い出の美化っていうより、
解放とか赦しという方が近くてね
ていうか、どれもこれもみんな、春の陽気のせいなんだけどさ。
今日はなんとも
「残り1ヶ月の留学生」をやるにはうってつけの
小春日和でございました。


すごい、書き出してみたら
もの凄く当然のことだった。
凡庸すぎて驚いたわ。

いつものお決まりのセンチメンタルだと思います。
それってもう私の中で永遠のひな型みたいになってるけど、
ふっと思い立った時はいつだってニュウなのですよ。
そして、書き出してみると、何でも無くてがっかりする。
こんなんじゃなかったのになぁ。
このギャップ、執筆能力の無さ。

すごいダルダルの日記になった。
私って何て感覚的な語彙と語法ばかり使っているんだろう。
読んでいる人にどれだけ伝わっているのだろうね。

それでは、また ^^