2回目の手術 | 凪の時間 (滑膜肉腫と共に)

凪の時間 (滑膜肉腫と共に)

高校1年生の時に滑膜肉腫を発症した息子の記録です。
約6年の闘病生活。転移、所術は数知れず。
亡くなる瞬間まで生きることに全力を傾けた息子の生の姿です。
2023.11.19以降は、母の想いを綴る独り言日記に変わりそうです。
母の側弯症手術後経過も少々。

1回目の手術では前回書いたように術後せん妄が起こり、ほとんど手術後の記憶が無い。

 

ただ、とんでもなく痛かった。

 

後から聞いた話では、肺や胃を除けながら背骨の前からアプローチする手術なんだけど、後ろ向きになったり横向きになったり、コロコロ体勢が変えられていたみたい。

 

後ろも同時に切ったのかもしれない。

 

そして、変形して飛び出していた骨を骨切り術で取ったのかも。

 

生きてる骨を骨折させて取るんだから、そりゃあ痛いはずだよねと納得。

 

意識がなんとなくはっきりしてきた1回目の手術から1週間後、2回目の手術へ。

 

背骨は、腰椎が70度前後曲がっていた。

 

これを無理矢理真っ直ぐにするんだガーン

 

胸椎の、、、何番だったか忘れたけど、そこから尾てい骨までロッドというチタンの支柱を入れて、穴を開けた背骨とロッドをスクリューというネジで止めていくらしい。

 

そして厄介なのが、腰の根元付近の背骨が反対に反っている。

 

所謂「腰曲がり」ってやつ。

 

よく腰の曲がったお年寄りを見かけることがあると思うけど、放置して酷くなるとああなるかも💦

 

自分では全然自覚が無い程だったけど、これを治すのが大変らしい。

 

尾てい骨で終わりじゃなくて、骨盤まで固定することになる。

 

動きがとっても制限されそうねガーン

 

手術をすれば、年を取っても腰が曲がることは無いらしいから、是非とも先生に頑張っていただきたい。

 

1回目の手術と同じように「麻酔入りますよ」の声とともに、温かい液体が腕のチューブの中を流れて行くのを見ていたら、すぐに意識が無くなった。

 

気が付いたら、どうもICUにいるらしい。

 

事前に同じ病室の手術が終わった人達に聞いたら、そのまま病室に帰ってきたって言うから、私も同じく病室に戻るんだと思っていた。

 

背中は痛いけど、なんとか痛み止めの点滴が頑張ってくれている。

 

看護師さんが付きっきりでお世話をしてくれている。

 

頭が暑くて汗でびっしょり。

 

40度近い熱があった。

 

この熱は、この後もずっと続いた。

 

左側の点滴棒には輸血パックがぶら下がっていた。

 

ここの病院では、事前に自己貯血をしない。

 

全て赤十字の善意の血液。

 

ありがたいなとぼんやり眺めていた。

 

炎症反応も肺炎並みに高く、でも原因がわからないと何度も検査を受けた。

 

時計も無く、時間も日にちもわからない部屋で、鼻には酸素のチューブを付けて、たくさんの点滴やドレーンなどのチューブたちに繋がって、脚にはフットポンプが絡んでいる。

 

重病人みたいだ(笑)

 

とにかく目を開けていることさえ辛い。

 

時々意識が飛んでしまう。

 

そうすると不思議なことが起こる。

 

私は看護師さんの斜め上辺りに浮遊している。

 

看護師さんを見ていると、名前、出身地、何処へ引っ越したか等の情報が頭に入ってくる。

 

当たっているかどうかは知らないけど笑い

 

何人もの、そこにいない看護師さんたちの上でフワフワして、そのうちとっても素敵な場所にワープした。

 

疲れちゃったので今日はここまで。


入院中に生まれてたびっくり


 

スピリチュアルなお話が苦手な人は、黙って読み飛ばしてくださいね。