2023 ありがとうございました。 | 凪の時間 (滑膜肉腫と共に)

凪の時間 (滑膜肉腫と共に)

高校1年生の時に滑膜肉腫を発症した息子の記録です。
約6年の闘病生活。転移、所術は数知れず。
亡くなる瞬間まで生きることに全力を傾けた息子の生の姿です。
2023.11.19以降は、母の想いを綴る独り言日記に変わりそうです。
母の側弯症手術後経過も少々。

もうすぐ2023年が終わろうとしています。

 

今年は私の人生において最悪の年でした。

 

息子は主治医の暴言とともに病院から放り出され、もう治療手段も無く在宅看護に。

 

毎日の人の出入り(ひとりが好きな私は苦手)に、とっても感謝しながらも心はヘトヘトに。

 

そして日々弱って行く息子。

 

見るのが辛かった。

 

やせ細った脚。やせ細った腕。

 

私の知っている息子じゃなくなっていく。

 

それでも息子は生きようとしていた。

 

なのに私は酷い言葉を吐いた。

 

「ママはあなたの大の方の始末は無理。もし自力でトイレに行けなくなったら、その時は緩和病棟に入ってね」

 

息子は何も言わなかった。

 

軽い潔癖症がある私が、オエオエしながら息子をお世話するのは失礼だと思った。

 

そこまで弱った息子の姿を見たら、泣きながらお世話するだろうと予想できた。

 

緩和病棟の方が、息子も気兼ねなくお世話してもらえると思った。

 

酷い親だよね。

謝りたい。心から謝りたい。

 

11月19日、息子は大のお世話をさせる前に息を止めた。

一瞬の出来事だった。

蘇生が無理なのはわかっていた。

それでも諦めきれずに救急車を呼んだ。

ガン患者が万が一蘇生しても、またすぐに同じ苦しみを味わうのはわかっていたのに。

 

息子の死が確定した。

 

そこから、どうやって生きてきたのだろう。

 

体中を切り刻み、そのまま塩の上を転げまわるような心の痛さだけは覚えている。

 

そのまま動けずに天を仰ぐだけだった。

 

ただ、みんなが私を救ってくれた。

 

みんなの優しさが心にすーっと染み入った。

 

まだ立ち上がれないけど、立ち上がってみてもいいかな?と思うようになった。

 

思うだけで動けないし、動くのが怖い。

 

それでも見放さずに応援してくださったみなさん、ありがとうございます。

 

最後まで、悲しいことしか無い1年でした。

 

支えてくれてありがとうございました。

 

ほんとに感謝しか無いです。

 

今、病で苦しんでいる人がいたら、私も一緒に悩みます。

一緒に泣きます。

 

一人でも病から救われて欲しい。

 

今の私には、それが切なる願いです。