逝ってしまいました。。。 | 凪の時間 (滑膜肉腫と共に)

凪の時間 (滑膜肉腫と共に)

高校1年生の時に滑膜肉腫を発症した息子の記録です。
約6年の闘病生活。転移、所術は数知れず。
亡くなる瞬間まで生きることに全力を傾けた息子の生の姿です。
2023.11.19以降は、母の想いを綴る独り言日記に変わりそうです。

私が愚痴なんて言うから、優しい息子は逝ってしまった。

 

 

今日は朝から元気が無かった。

 

1度も食事を摂らなかった。

 

怠いのか苦しいのか聞いても違うと言う。

 

ただテーブルに枕を載せて、頭をもたれてずっと動画を観ていた。

 

夕方、炒飯を置いて、「食べれたら食べてね」と言って私はシャワーに。

 

出てきて声をかけて、私も食事。

 

途中、何故か気になり息子の部屋へ。

 

「食べないと丸山ワクチンの効果も出ないよ」

 

なんて話をしていたら、突然息が出来ないと言う。

 

酸素を最大の5Lに上げながらサチュレーションで測るけど数字が出ない。

 

訪問看護に連絡しながら測っても数字が出ない。

 

看護師さんがすぐに到着して訪問医に電話。

 

息子の首が倒れて目の力が消えた。

 

瞳孔が開いている。

 

看護師さんが心臓マッサージをしてくれている。

 

訪問医が、「このまま楽にしてあげますか?」と言うので、咄嗟に「嫌です」と言って救急車を呼ぶ。

 

救急車の中でも、何度もAEDを使用する。

 

機械で心臓マッサージも続けている。

 

病院で人工呼吸器(?)だか付けて、アドレナリンを打っても息子は戻って来ない。

 

ERの先生が、

 

「これ以上やると肋骨が折れてしまいます。これ以上お身体に傷をつけない方が良いのでは?」

 

と言うので、延命措置を全て終了した。

 

息子の胸には軽いやけどのような痕が。

 

1日1日を大切にするってこういうことなんだ。

 

もっと話したかった。

 

もっと触れたかった。

 

今日は何故か昼間、突然叫びたくなって

 

「息子、愛してるよー!」

 

って大声で叫んだ。

 

きっと私がまたアホになってると思ったんだろうな。

 

飲むと言ったエンシュアに手を着けていなかったから、冗談めかして

 

「明日飲むとか言って、明日はいないとかないよね?(笑)」

 

って聞いたら

 

「生きてるに決まってるじゃん」

 

って答えてた。

 

私は見てないけど、救急搬送された病院で撮ったCTには、生きてたのが不思議な程の腫瘍に体が埋め尽くされていたみたい。

 

生きたいって言ってたものね。

 

クリスマスケーキも大好きなエスカルゴも予約したんだよ。

 

寒くなったら着ようねって買った、お揃いのMOZのモフモフパジャマはどうするの?

 

やっぱり私が愚痴なんて書き込んだからだ!

 

きっと疲れた顔してたから。

 

それでもね、実の両親に棄てられて、辛い思いばかりしてきたんだから、最後のクリスマスやお正月を楽しんだっていいじゃない。

 

まだ実感が無いから、ここに書き込めるんだと思う。

 

心がビックリしたまま固まっている。

 

ただ、シャワーを浴びてる時じゃなくてよかった。

 

結果は同じだったけど。

 

息子の大好きな彼女だけには連絡できてよかった。

 

たまたまか、息子が彼女とのLINEを開いたままだったから、暗証番号わからなくても連絡できた。

 

 

どうする?私。

 

実感が出てきたら息子のところへ行こうか?

 

まだ、息子がそこにいる。

 

ごめんね。

 

 

【追記】

 

長くお友達でいてくれている方も、はじめましてさんも、たくさんの心温まるお言葉をありがとうございます。

 

まだ現実が受け入れられず、悲しみよりも無になってしまった感じで何をするでもなく過ごしています。

 

しかしながら、みなさんのコメントを何度も何度も読み返しながら、お返事を書こうとすると涙で画面が見えなくなります。

 

今までずっと応援してくださったのに、お一人お一人にお礼が言えなくてすみません。

 

葬儀が終わりましたら、また改めてしっかりとお礼を言いたいと思います。

 

今までも、そして今も、私たち親子のために祈ってくれて、応援してくれて、感謝しか無いです。

 

ありがとうございました。