人間の感覚というのが、いかに曖昧でいい加減なものなのか・・・



それが音楽を通してでも、良くわかります



たとえば、「あの人は高音だから」と言われてる歌手の人


男なら、小田さん、女なら、広瀬さんってとこかな?



ところがね、案外、単純な音符に直してみると、そうでもないんです


どんな歌本でもいいですから、五線譜を見て下さい。あれって、主旋律、つまり、その人の声の音階をそのまま書いているわけですが、そのほとんどは五線譜からはみ出す事はありません。

キーが高いと思われる歌でも、五線譜からせいぜい1,2音程度はみだすくらいです。


極端な音階の高低を表現するオペラとかは別でしょうが、ポップス系などの音域は、大体、1.5オクターブの範囲内に、ほとんどすべてが収まってしまうんですね。


つまりね、音階そのものじゃなく、声の質で「高い、低い」と思ってしまっているだけのことなんですね。


赤い色は高温、青く見えれば、なんとなく冷たく感じるのと同じです。



結論から先に言えば、「音痴」なんか存在しない」って事です



要は「自分の声の使い方がわかってない」ということですね


音程をあわせることが重要じゃなく、まず先に自分の声の質を知るということが大事・・・




もっとわかりやすく言うなら「自分」という楽器がどういう楽器なのかわかってない・・・それが「音痴」と呼ばれている人たちってことです



ありとあらゆる楽器があるのにも関わらず、管楽器はフルート、トランペット。 弦楽器はギター、バイオリン。鍵盤楽器はピアノだけ・・・

そういう分類しかしてないのが、巷にある音楽教室なんだと思います


息を吹きかける、弦を弾くという行為は同じだけど、チューバとピッコロは違うし、ウクレレの弾き方でウッドベースは弾けません。



問題はね、今の音楽の基本を作ったというか、ボイストレーニングを始めた人たちが、たまたま自分達の声に合った声の出し方を、その後輩や弟子が、誤って受け継いでしまったというのが真相なんじゃないかってことです。


「こういうやりかたもある」じゃなくて「こうするんだ」って事になってしまった・・・



多くの中のひとつ・・・じゃなくて「これが正解」だと信じ込んでしまった・・・



いくら練習したって、教えたって、そりゃあ、コントラバスじゃバイオリンの音は出ません。

同じ縦笛だからって言っても、尺八でクラリネットの真似も無理。


教える方も、やる方も、同じ「一種類の楽器の使い方」しかせず、それが正解になってしまっているわけですから、たまたまその使ってるというか、基本とする楽器がトランペットだったら、生徒が持参した楽器が、ひとりがトランペット、もうひとりはサックス、横笛とかだったら・・・?


そして、困った事に、その楽器は肉眼では見えない「見えない楽器」ということです



簡単な話、テキストどおりに出来るか出来ないか?で「ウマイ、下手」って言ってるに過ぎないような気がしますね・・・


声が出ないとかならともかく、ちゃんと話せてる人なら、自分の声は出せるんだし、「歌える」ってことですよ。




これって、音楽だけじゃなく、精神世界にも言えることです。




「歌う」



「祈る」




これって同じですよ





自分の事をちゃんと見つめて理解せずに、人の真似をしようとするから、


「正しい、間違っている」なんて事になるんです




「ドレミファソラシド」



「ありがとう」



「南無阿弥陀仏・・・」




これって同じですよ





要は、どれだけ自分の心をこめることが出来るか?



それが大事ですし





「それが基本」ですよ