「一を聞いて、十を知る」
有名な聖徳太子を称して言われた言葉ですが、現代人にあわせるならば、これ、ちょっと変えたいですね。
「一を知って、十を知る」もしくは「一を知って、無限を知る」と言い換えたい。
見ただけ、聞いただけでわかることなんか、この世にはありません。
見てわかるんじゃない、それは「記憶しただけ」です
「記憶」は成長しないんです。データはいつまでたっても、その姿のままです
変わらないからこそ、データなのであり、減りも増えも変化もしません。
だから、データだけを元にして出した答えは「ひとつの問題にはひとつしか答えは無い」ということになってしまいます。
でも、「知った」事は別です。それは公式を知る事と同じです
「こうすればこうなる」ということが判りますから、その公式に当てはめる数字や文字が変われば無限に答えは変化するということがわかります。
「知る」には時間がかかります
基礎を知る、頂点を知る
そのどちらも知る事には変わりは無いけど、ではその
「知る」「知った」内容は同じか?と言えばそうじゃありません。
自分ひとりに限っても、その知った内容は、毎日毎日変わります、成長します。
「知るとは自分が変わるということ」 です
何かを食すれば、血肉となり、体は変わります
愛を知れば、心は温かくなり、目には優しさが出てきます
希望を、夢を持てば、目には輝きが出てきます
「知れば変わる」んです、それに例外なんてない
「良い言葉を知った、見た」だけじゃね、それはグルメ番組、本を見た、と、同じ事
ガイドブックを読んで行った気になったと同じ事
いくら本を読んだところで、腹は膨れません、その味はわからない。血にも肉にもなりません。
「やってみなはれ、やらな、わからしまへんで」 とは、ある大手企業の創業者の言葉です。
誰でも最初は失敗します
挑戦する山が高ければ高いほど、それには困難が生じます。
登山経験が無ければ、失敗するのはあたりまえです
「今登れる山にしか登らないで、登山家気取りをしているような、自称「知識人」が多すぎます」
「知る」と言う山には頂点なんか無いんです
登れば登るほど、その山を知らない自分に気づくんです
たった一度か二度、その国に行ったどころか、行きもせずにその国の事が判るはず無いじゃないですか
どんな事でも同じです
「やらなきゃわからない」
それもね
「とことんやらなきゃ、わからないということが、わからない」んですよ
一度ね、「自分は何も知らなかったんだ」という事に気づくべきです
その瞬間、本当に愕然としますよ、「オレは一体何をしていたんだ・・・?」ってね
でも、その時からが、本当の「世界を知る」という入り口に立ったという喜びも、また
「知る事が出来るんです」
机にかじりついて、パソコンのキーをかちゃかちゃ打って、画面ばかり見てないで、ちょっと外に出てみて
「知ってる」と思っている事に対して、その道の専門家に聞いてみてください
その人が自分が知らない事を知っている・・・つまり
「自分は知らなかった」という事実を突きつけられますよ
毎日毎日、「ああそうか!!」という、知る、悟る喜びは、どこにでも転がってます
ほんのちょっとの好奇心と、人に話しかける勇気、それだけでいいんです。