母の苦し

 

5/2発売の週刊現代”A医師スクープ”のページを仏前に供え、「ジィちゃん、この記事を読んでると思うねん」と母。
母にとってこの1年4ヶ月は、自分の病気の回復に努め、夫の死を受け止めようと苦しみ、ひとりの生活に慣れるために努力した毎日だったと思います。

 

肩関節内注射により化膿性肩関節炎となった母は敗血症状態で入院、2回の手術に、厳しいリハビリをすることになり、結局父親とは父が亡くなる3ヶ月前に離れ離れになって以降、1度も会うことなく、死別することになりました。

 

 

 父の最期の言葉
 

父は母が大好きで、介護施設に入ったあとも、「いつ会いに来てくれるんや」と言い続けていました。

 

そんな父のために母は毎晩電話をしていました。
父が医誠会病院の病室で心肺停止で発見される2時間前、父は母と電話をしています。
母がいつものように電話すると父はすぐに電話に出たかと思うと、「もうアカン」と言って電話を切ったそうです。

母は、「きっと私の電話を待ってケータイを握ってたんやと思う」と。


実は私は母から、「ジィちゃん、かなり悪いみたい。大丈夫なんやろうか」と確認の電話をもらっていました。しかし普通病院は、入院患者の状態が悪化していれば、

 

看護師が当直医に報告

   下矢印
医師が診察、適切な処置

   下矢印

医師から家族に病状報告
危険状態なら家族を呼ぶ、もしくはDNR(蘇生拒否)の確認

 

と言う流れで家族連絡するものです。
私は医誠会病院だと思っていましたし、入院から病状が悪化している患者に一度の診察も適切な処置もなく放置することなどありえないと思っていましたから、


母に、病院から連絡がないから、命に別状はないんやと思うと話していました。

 

私は医誠会病院を信じていたのです。

ですがそれは見事に裏切られ、母との電話の2時間半後、急変を伝える電話で駆けつけたときには、父は家族に確認なしに気管内挿管状態でした。

 

 

 

 医療とは、患者の基本的権利を尊重し、疾病の治療、健康の支援に努めるもの

 

上記は日本医師会の定義です。
私がこれまで働いてきた病院は、状態悪化した患者さんには医師の診察、適切な処置をし、医師から患者家族に連絡してもらうことを当然の医療行為としてやっていましたので、それが行われない病院がこの世に存在すること自体納得できませんし、適切な処置を入院患者に行わない医誠会病院は病院とは言えないです。

 

 

 

 母にかける言葉がない

 

 

今でも母は、「私が倒れなかったらこんなことにならんかった」と後悔を口にし、泣くことがあります。でも私はそんな母に掛ける言葉すらないのです。

父は生の最期を医誠会病院に託すことになったのに、医誠会病院は父に適切な診療、治療、処置を行わず、結果病室で心肺停止で発見されると言う無惨な最期を迎えることになりました。
90歳まで精一杯生きた父の最期が医誠会病院だったことがほんとうに悔しい。

 

きっとこのブログを医誠会病院関係者も読んでいると思います。
これを読んで、どう思うのでしょうか。
自分のやっている医療、看護は患者のためになっていると思いますか?

 

私は医誠会病院のスタッフの中に、一緒に声をあげてくれるスタッフがいないことがやっぱり残念でなりません