後悔しかない
医療訴訟なんかしたくなかった。
なんでこんなことになったのかと今でも悔して、悔しくて仕方ないことがある。
私と家族は医療関係者だ。
だから医誠会病院のコロナ渦の大変さを理解しようと、常識的に行動しようと思ってしまった。
医誠会病院がこれほどまでに堕落し、病院崩壊していると知っていたら、「病院に来られても困る」と言われても、看護師に制止されても病棟にあがり、父の様子を見たし、医師の説明があるまで食い下がり、帰らなかった。
だけど、コロナ渦・・・大人の対応をしてしまった。
だって、病院でしょ?当然、透析、診察、治療、処置はしていると思っていたし、状態が悪化してるなら、医師から連絡があって然るべきだと思っていたから。
結果、診察もされず、状態悪化しても看護師は医師に診察オーダーもせずに放置していたのだから、信用などするレベルじゃなかったのに。
今でも一番後悔しているのは、8日の夜の父との電話だ。(7日17時入院)
だった1日で、かなり状態が悪くなっているらしい父は、それでも気力があった。
どんな様子かと聞いた私に、「しんどい。息ができない。透析をせなアカン、透析や・・」と繰り返した。
どうして私はこの電話で、(医誠会病院が透析をしていないのかも知れない)と思わなかったんだろう。
父の言葉より、病院の対応を信じた自分を呪いたい。
父を信じ、病院に駆けつけ、医師から説明ない限り帰らないと言えばよかった。
このことは今でも本当に後悔し、思い出すと感情が乱れる。
私の職場では医師は家族に綿密に連絡を取るし、看護師も電話する。
それが当たり前の環境で働いているから、医誠会病院も当然そうしていると思ってしまったのだ。
医誠会病院を信じたことがすべての間違いだった。
その結果、父を病室で心肺停止で発見される状況にしてしまった。
病棟内で、入院患者が心肺停止で発見されるなんてことは、医療事故、不審死レベルのことなのだが、医誠会病院ではよくあることなのか、全然慌てている様子も、家族に必死で説明しようとする姿もなかった。
それだけ医誠会病院が壊れているってことに今になって気づく。
人は時として大人にならなくて良い時があるのかも知れない。
それは愛する家族の命がかかっているときだ。
私は今後、どう思われようと、絶対に病院を信じないと決めている。
うざい家族、面倒な人と思われても絶対に常識人であろうとはしない。
納得するまで食い下がる。
もうひとつ後悔するとしたら、常識的な人物であろう、冷静であろうとした自分だ。
説明をしない限り帰らないと居座るべきだった。
何度説明を求めても電話しても無視する医誠会病院に乗り込むべきだった。
そして、病院説明会で、もっと感情的にやってやればよかった。
オフレコも全部ぶちまけてやればよかった。
どうして私は常識的でいようとしたのか。
感情的になってはダメだと自分を諌めたのか
後悔してる