訴訟については 下矢印 ご一読いただけると幸いです

 

 

 

web記事でどうにも納得できなかったので私の意見を記します。
 

 

 この記事に物申す

 

 

まずもって、「365日24時間救急患者受入れ」の救急病院に於いて、搬送される患者の多くは重症で、一刻を争う治療、処置が必要であり、慎重な医療を求められる。

よって当然搬送患者は高齢者の場合が多く、そのリスクも基礎疾患(いわゆる持病)を抱えているハイリスク患者が多くなる

それこそが救命救急病院の宿命だと思う。

 

 

 問題にしていたケース

 

 

【神戸徳洲会病院、90代患者死亡例】
福祉施設で心肺停止となった90代患者が神戸徳洲会病院に搬送され、処置の結果、心拍再開、蘇生救命に成功したが、その後、昇圧剤の薬剤がなくなり、点滴ポンプ(or シリンジポンプ)のアラームが鳴った。患者家族が看護師を呼んだが、予備薬剤がなく、患者が死亡。

 

この症例は、心肺停止後、蘇生処置で心拍が再開した患者であり、90代の高齢である背景はあるが、家族が延命を希望、医師が治療、処置を行った結果、蘇生に成功、昇圧剤等でコントロール下にあったのだから、昇圧剤の準備をしていなかったこと、その交換のタイミングが遅れたことは間違いなく医療ミスと言える。

 

こう書くと必ず、施設入所の90代高齢者、寿命だろう問題が出てくる。

まず、患者の寿命問題と、救急搬送された患者を救命しないと言う行為絶対にイコールで結べない。

 

患者さんが100才だろうと、認知症であろうと、車椅子生活者であろうと、寝たりきりであろうと、「救命救急搬送」されてきた場合、医師は治療を施し、看護師は医師の指示どおり患者を看護する責任と義務がある

 

そう書くと今度は、「高額な高度医療を高齢者にするからその公費の医療費負担は限界に来ているんだ、年齢的な上限をつけるべきだ」などと言い出す人がいるだろう。

 

そう思うなら別口で議論すれば良いと思う。
X(Twitter)などで高齢者叩きをしている人の親も高齢者になるし、本人もいつかそうなる。

ご自分の家族が90才で元気で生活してたのに、眼の前で倒れても、救急車を呼ばず、静かに看取ることができるなら、そうすれば良いと思う。
眼の前で苦しむ家族に何もせず見ていられるなんて普通はできないが。


また、公費医療費問題を言うなら、90才以上は救急車は全額負担、救急搬送時の治療、処置も全額負担を推奨すれば良い。
歳を取ることだけは平等だ。収入はなくなり、年金もわずかになるが、高齢者医療費全額負担を掲げる運動を起こせば良いと思う。
だが今、ここでの議論は、救急病院に搬送された患者を助けるか、助けないかなので医療費問題は別と考えて欲しい。

 

 

 実は儲かる救急病院

 

 

「365日24時間救急患者受入れ」の救急病院では、実は救急科が一番売上げに貢献していると言う事実もある。より多くの患者を受入れろと言うのは、医師でも看護師でもなく経営者の意見

 

 

 

 元気なときに死生観について話し合っておくことの大切さ

 

 

認知症、寝たりきりの高齢者に、高度医療が必要か、否か問題については、親が元気な時から、家族でどれだけ死生観について話し合っているかによって左右されると思う。
施設入所も同じで、施設と本人、家族が元気で冷静な時に話し合い、自然な看取りができるように話しておくことも必要だ。

 

とは言え、さっきまで自分で歩き、ご飯を食べて笑っていた親が、眼の前で倒れたのを見て、「自然死だから!」と何もしないなんて、施設ができるわけないし、家族ができるわけがない。結局、やっぱり救急車で搬送されてしまう。もうそれは仕方ないことだと思う。

 

先のweb記事で、「介護施設で、看取りができない」と書かれていたが、ん~?そうですか?
私もそこの情報は断片的ですが、少なくとも私が関わったり、私の知り合いが経験から言うと、介護施設での看取りはできます。

 

 

 

 これが問題でしょ?

 

 

先のweb記事で、

 

特に夜勤時間帯は最低限の人員配置にならざるを得ない。筆者も徳洲会OBであるが、60床を在職者17名で看護していた、日勤帯で看護師4人ということすらあった。

 

これ違法じゃないですか?
医療法で、人員配置基準が決まってます。
医療の質を保つため、施設の規模や内容に応じて定められた基準があるのです。
それを満たしていないのは、病院経営上問題があります。
むしろ、医療ミス、事故が起きる背景はこの問題が大きいのではないですか?

 

 

勝手に人のweb記事を引用しましたが・・・同じ看護師のようなのでガマンできませんでした。
カレが私に反論する場がなくて申し訳ないですが。