”悪魔の証明”

 

訴訟提起したことで、少しずつ裁判について学ぶこの頃。
最近、「悪魔の証明」と言う言葉を知りました。

裁判において立証責任、証明責任は原告にあると言う理不尽さを表した言葉のようです。
(私の理解)

 

「ある」という証明より、「ない」を証明することの方が著しく困難であり、なおかつ原告、つまり患者側、遺族側がそれを証明しなければならないのです。

 

ある遺族の方の訴訟を例に取ると、

 

ご家族が、薬物を通常の4倍量投与され、心肺停止になった

 

この事実に対して被告側は、「適正量だったらそれは起こらなかったのか」と反論してきたそうです。薬使用添付書の規定量記載の4倍投与は明白で、医学的には完全に指示ミス、医療ミスなのに、「適正量だったらそれは起こらなかったのか」を証明するのは原告、患者、家族側。
しかもその証明を被告病院のずさんなカルテ(詳細記入がない)等から証明しなければならないと言うのです。もうこうなると専門家の弁護士にお任せするしか闘いようがない。

それは私の父の案件もしかりです。カルテに透析室依頼もなく、透析が必要な入院とカルテ記載なしで、誰がカルテを見ても被告病院が透析を忘れていたことは一目瞭然なのに、それを証明するのは原告側なのです。

 

 

 明らかな医療ミス、するべき医療行為をしていない病院

 

 

確かに、立証は難しい医療過誤、ミス事件は多いと思います。

  1. 毎年2回の人間ドックに行っていたのにステージ4のガンが見つかった
  2. 治療法の提案が1つしかされず、それしか選べす、死に至ったもしくは後遺症は残った
  3. 医師に手術スキルがなかった

このような案件は、医療従事者として考えても非常に難しい訴訟だと思います。

(2)のケースなら、インフォームドコンセントが十分ではなかったと言えるし、(3)ならどういう状況でオペに臨んだのか、スタッフは誰がいたのかにも関わると思います。

しかしそれとは別に、カルテ記載で明らかになっている薬の投与ミス処置ミスや、透析、インスリンの注射など、やるべき医療行為を忘れていた、していないは区別するべきだと思います。
そうでなければ、薬液投与の失敗はなくならず、やるべき医療行為の取りこぼしも続くでしょう。
そういう医療ミス、連携ミス、確認ミスをなくしていくことからしか医療ミス(過誤)は減りません。

民事裁判以外にこの現実を打破できる術はないのでしょうか。