英語には
情緒や温もりがない?
存在への愛の眼差し
のお話
今日は「言葉」から、人の意識や文化について考察してみます。
「ある言葉が存在しないこと」から観る
という、少し変わった切り口になります😉
■🤔日本語の方が繊細で情緒的?
時々耳にする
「日本語は情緒的で繊細で優れている」
「英語は機能的で合理的な言語だ」
という言葉。
さらに、
「日本語は情緒的で繊細で、言霊があって
だから英語より優れている」
──そんなふうに語られている場面も時折見かけることもあります。
でも、本当にそうでしょうか?🤔
実は英語の単語ひとつひとつを、
丁寧に眺めてると、特に
✨let や be のような、
✨子どもでも最初に覚えるような、
✨ごく簡単な単語の中に、
✨驚くほど深くて美しい世界観が折りたたまれている
ことに、気づくことがあります✨🌈
それは、単なる意味や用法の話ではありません。
「人をどう扱うか」
「他者の存在をどう捉えているか」
そんな命の姿勢そのものに関わる話です。
■🧭「let」という言葉が前提にしているもの👀
少し英語の授業の様なお話になるのですが、
とても本質の話なので、
ちょっとだけ我慢して読んで下さいね(笑)
let は、
日本では英語の授業で使役動詞と教わります。
「〜させる」
「〜してよい」
「任せる」
などと訳されることが多い。
けれど、その多くは
let の中心にある感覚を、
表しているとは言えません。
実はlet の核にあるのは、
・相手を主体のままにしておくこと
・相手のプロセスに介入しないこと
・それでも、見放してはいないこと
つまり、
「介入しないという選択」
そのものです。
例えば、
Let her cry. 彼女を泣かせておく
Let him decide. 彼に決めさせる
Let it be. そのままにしておく
直訳するとそんな風になりますが、
これらは冷たさでも、放置でも、責任転嫁でもありません。
相手の存在と、その在り方を
信頼しているからこそ
あえて手を出さない
という態度です。
let という言葉の奥には、
✨「人をひとつの存在として扱おうとする敬意」
✨「相手を縛らない精神」
✨そしてその姿勢そのもの
が内包されていて、
【たった一語でそれを表している】
そう考えると、少し驚きませんか?✨👀
■ 😲日本語版「let」が存在しない、という事実
ここで一つの疑問が浮かび上がります。
🤔日本語に let に相当する言葉があるの?
日本語にも、
「任せる」
「見守る」
「委ねる」
「そのままにする」
といった言葉はあります。
けれど、どれも
let と同じ世界観をそのまま表すことは出来ません・・・
言語において、
「一語で存在する」
ということは、
その感覚・概念がその社会で
👉頻繁に使われ
👉共有され
👉説明なしで通じる
ということを意味しますが、
裏を返せば、
一語として存在していない、ということは、
その概念自体が社会に深く浸透していない
ということでもあります。
---
■ 🤔日本社会はletの精神がない?
ここで、また一つ疑問が湧きあがります。
🤔日本にはletの感性が無いの?
この問いを、
「介入」
という切り口から眺めてみたいと思います。
突然、質問ですが、
Q.日本は、他者から「介入」される文化ですか?
それともそうじゃない文化ですか?
どちらだと思いますか?
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・
答えは
「介入される文化」だった
と私は思います。
かつての日本は「家」を中心とした社会で、
家のために結婚を決めたり、
家のために仕事を決めたりすることも当たり前でした。
また、家以外の集団においても、
集団のために個人の意見は抑えられ、
価値観や生き方にまで、
「当たり前」の様に介入され続けてきた側面があります。
それは、直接的ではなかったかもしれません。
けれど、
・空気
・常識
・正しさ
・善意
・思いやり
という形で、
巧妙な介入が常に存在していて、
それが介入であることでさえ気付かないままに、でした。
そして何より、
介入すること自体が「愛」だと信じられてきた、
という世界観もありました。
「あなたのため」
「心配しているから」
「導いてあげている」
そんな風に、
他者の選択やプロセスは、
ごく自然に侵食されてきたのです。
家や集団のために個人が犠牲になることが、
時には美談・美徳として語られることさえありました。
身に覚え・・・ありませんか?
---
■ なぜ let は育たなかったのか
この文化の中で、
let のような
「介入しない」
「信頼してあるがままにさせる」
という概念が中心的な言葉として育つことは、
難しかったハズです。
なぜなら、
・介入しないこと
・相手に任せること
・失敗も含めて委ねること
は、
「冷たい」
「無責任」
「愛が足りない」
と解釈されやすかったからです。
letという概念そのものが無かったわけではないけれど、
一語として、社会共通認識として
持っている必要が無かった
と言えます。
---
■⚖文化の優劣ではなく、重心の違い
ここで私が言いたいのは、
英語圏の文化が優れていて、
日本の文化が劣っている、
という話ではありません。
ただ、
・日本は「関係性」を重視する文化
・英語は「個人の存在」を尊重する文化
という、重心の違いがあるんですよね。
(現実、その通りになっているかは別として)
日本語は、
空気を読み、場を壊さず、
関係を保つために、
非常に精緻に発達してた…
一方、英語は、
他者を他者のままにしておくために、
「非介入」という態度を、
動詞として持つ必要があった…
その違いが、
let という一語の有無に、
くっきりと表れている、
という気付きをシェアしたかったんですよね😌
---
■🌱 今、問い直されているもの
現代では、
・一人一人の存在への敬意
・境界
・介入しない愛
・存在の力を信じる眼差し
が、強く求められるようになっていると感じます。
けれど日本語は、
それを一語で支える言葉を、
まだ持っていません。
だから私たちは、
😿集団の中で個人の輪郭が薄くなってしまったり、
😿過剰に大切な人を心配したり、
😿必要以上に頼ったり頼られたり
するのかもしれません。
私個人としては、
😌let に相当するような言葉が、
😌日本語にもあったらいいのにな
と感じています。
相手の存在を認め、
相手の存在やプロセスを信頼して、
あえて介入しないという態度を、
迷いなく置いておける言葉が、
もしあったら、
一瞬でそれらを伝える言葉があったら、
もっと個人の命が輝いて、
世界は優しいかもしれない。
夢見がちかもしれないけれど、
そんな風に思います。
「let という小さな単語が無い」
そんなことから始まった今回の考察…
あなたは、どう感じましたか?🤗
そして、敢えて一番最初の疑問に戻ると――
日本語の方が繊細で情緒的で
英語は機能的で、合理的ですか?
どう感じましたか?
また良かったらあなたの感じたことを教えて下さいね🤗💕
それでは、本日も最後までお読みくださって、
本当にありがとうございました🤗
もし良かったらご感想等、頂けると嬉しいです🤭
おもしろかったらスタンプなどで反応頂けると嬉しいです💖
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