【再読】 スティーヴン・キング『ゴールデンボーイ』浅倉久志訳 新潮文庫
最近忙しくて本を読む時間があまり無いのが悩み。
久々の投稿になります。
本日はこちらの作品を再読しました。キングの作品の中でも特に好きな一冊。
「恐怖の四季」の前編、『刑務所のリタ・ヘイワース』と『ゴールデンボーイ』の二作が収録されています。どちらも映画化済みです。
それでは早速、感想を書いていきたいと思います。
以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。
『刑務所のリタ・ヘイワース』―春は希望の泉―
ショーシャンク刑務所内の調達屋・レッドが語る、アンディー・デュフレーンという男の話。
酒やタバコからいたずらグッズや女の下着まで何でもござれの調達屋・レッドは、ある時囚人仲間だったアンディーと親しくなり、やがて誰よりもアンディーという男を知る人物になります。
妻殺しの冤罪で収監されたアンディーは、元エリート銀行員という肩書と己の才覚のみで刑務所内をのし上がり、そしてその後脱獄した、伝説の男です。監房の壁をちまちま掘り進めること二十七年。四百五十メートルもある狭い下水管の中を汚物まみれになりながら這い進み、そのまま姿をくらましました。
レッドの知る囚人時代のアンディーは、身だしなみがよく物静かで、不思議な雰囲気を纏った男性です。
脱獄の方法からも分かる通り、信じられない程根気強く、また、かまほりのシスターたちに徹底抗戦するプライドの高さも持ち合わせています。良い意味で自己中心的というか、完全に己のペースで生きている人といった印象です。
先見の明と思慮深さに加えて、運を味方につける勝負強さまで兼ね備えており、脱獄だけでなくその後の平穏な暮らしまで手に入れました。手腕が鮮やかすぎて惚れ惚れします。
閉塞感漂う刑務所の中で、レッドとアンディーがお互いの中に価値を見出し、親交を深めていく様子には何度読んでも胸が熱くなります。
私は、作中でレッドがアンディーから贈られた石英の彫刻を前に感動する場面が好きです。かつてクソ野郎だった彼が、美しいものに素直に心打たれる様子にはこちらまでじんとしました。
レッドと同じようにアンディーに惹かれる仲間たちが、彼の脱獄後は寂しそうにしていたというのには少しほっこりとしてしまいました。
彼の自由を喜びながらも、彼のいない生活を空虚でわびしいものに感じてしまうレッドたち。陳腐な言い方になりますが、愛されていたんだなあ、としみじみ思います。
その後伝説が独り歩きして「アンディー」が半ば概念化しているのには笑いますが。
物語終盤、特にレッドが仮釈放になってからがこの作品で最も好きな部分です。
すっかり老いてしまい、「外」の世界に馴染めず、何度も刑務所に戻ろうかと考えるレッド。しかしその度、自由のために壁を掘り続けたアンディーのことを考えては、「それ(わざわざ自ら戻ること)は彼の苦労に唾をかける行いだ」と、思い留まります。ここは本当に良い場面だと思います。
そして、あのラスト。
【シワタネホ。そんな美しい名前は忘れようったって、忘れられるもんじゃない。】
【どうかアンディーがあそこにいますように。
どうかうまく国境を越えられますように。
どうか親友に再会して、やつと握手ができますように。
どうか太平洋が夢の中とおなじような濃いブルーでありますように。】
【それがおれの希望だ。】
かんっぺき。泣きます。
なんて綺麗な終わり方。もう言うことなしです。
ちなみにこちらの原作では、レッドが黒人だという描写はなく、ブルックスは結構影が薄く、トミーは殺されずに移送ですみます。良かったねトミー。
『ゴールデンボーイ』―転落の夏―
主人公は十三歳のアメリカン・ボーイ、トッド。健康的な体つきに明るく朗らかな性格、頭も良く、家庭環境にも恵まれた幸福な少年です。
こちらのお話では、そんな彼と、近所に住むナチ戦犯・デンカー老人との交流が描かれていきます。
気難しい老人×無邪気な少年というのはハートフル・ストーリーによくありがちな組み合わせですが、この作品ではそういった要素はまったくありません。ハートフル?とんでもない。ただただ胸糞展開です。前話との落差がすごい。
デンカー(本名ドゥサンダー)からナチスの残虐行為の詳細を聞くことで、自身の内にあった残酷さ、殺戮衝動を開花させてしまったトッド。そして、自らも捕虜を甚振っていたSS時代の邪悪さを徐々に取り戻していくデンカー。
お互いに弱みを握っているズブズブの共犯関係で、デンカーを脅迫していたはずのトッドが途中から脅迫される側に回るのが面白い。さすがに大人と子供、年季が違います。
トッドが狂っていく様子は何度読んでもぞわぞわします。―転落の夏―という副題のとおり、坂道を転げ落ちるようにして狂気に染まっていくトッド。表では成績優秀、スポーツも得意な好男子の皮を被り、裏では浮浪者を殺しまくる殺人鬼です。ラストの五時間の間には一体何人殺したんでしょうか。完全に正気を失っています。
彼に比べると、デンカーの方はまだ人間味がありました。自殺する前にトッドの未来を考慮するような素振りを見せていましたし。
最後の方のワイスコップとリッチラーの会話は特に印象に残る場面でした。ワイスコップの鋭さと冷静さが怖い。彼の、「殺人」に「汚染される」という言い回しは終盤のトッドの有様を上手く表現していると思います。
トッドがユダヤ人処刑や非道な人体実験といったものに興味を持った気持ちは、まあ理解できます。怖いもの見たさに近い、悪趣味な興味というか。私にもそういう嗜好はあります。ただ、彼はあまりにも「それ」に近づきすぎてしまったために、破滅することになってしまったんですね。好奇心はほどほどに、という教訓でしょうか。
以上、全二編です。
全くテイストの違う作品ですが、どちらも人間の本質というか、美徳、悪徳の両面を掘り下げるような物語になっています。ストーリーももちろん素晴らしいのですが、言い回しがまた独特で素敵です。訳が良いんでしょうね。
エグい表現も多いですが、どちらも本当に面白い作品です。『ゴールデンボーイ』→『刑務所のリタ・ヘイワース』の順に読むと読後感が良い感じになるのでオススメです。
それでは今日はこの辺で。