【再読】 諸星大二郎『暗黒神話』 集英社文庫
本日は漫画を読みたいと思います。
私の大好きな漫画家さんの一人、諸星先生のダークファンタジーです。
単行本版の方が好きなのですが、生憎と手元にあるのは文庫本のみです。単行本版も買おうとは思っているのですが、お値段がネックなんですよね。かさばる分、場所も取りますし。
それでは、内容について書いていきたいと思います。
以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。
『暗黒神話』
「八つの聖痕を持つ者が現れたとき、暗黒神スサノオが降臨し、地上に死と破壊をもたらす」
という言い伝えがありました。
この「聖痕を持つ者」というのが、この作品の主人公・武です。
絶対者ブラフマンによって選ばれ、暗黒神スサノオを操り世界を支配することのできる「アートマン」という特別な存在になります。
この作品は武が転輪聖王(世界の支配者)として覚醒していく過程を描いたものです。
「全ての空間と時間を支配する、唯一にして最高の真理ブラフマンと、その体現者であるアートマン」。この説明ではインド哲学の知識がない人にとっては何のことか分かり辛いでしょう。ブラフマンというのは宇宙の根源であり、これが仏教で神格化されて梵天になりました。
アートマンには武の前任がおり、それは、全世界を支配する転輪聖王になるか、人々を救う仏陀になるか、という選択肢の中で後者を選んだ、つまりはお釈迦さまのことです。
そして第二のアートマンとして選ばれた武の進む道は、仏陀ではなく転輪聖王の方です。要は悟りを得て、強大な力を手に入れるということです。
ちなみに、転輪聖王となることで武が得られるメリットは全くのゼロです。人間をやめて宇宙の歯車の一つになるわけですから、残るのは永遠の孤独だけです。
普通に生きていただけで、望んでもいないのに突然死と破壊の力を与えられ、さあ、その力でどこへでも行けるし何でも壊せるぞ、と言われても、常人なら戸惑うだけでしょう。武には本当に同情します。ブラフマンの方に悪意はありませんし、武がアートマンとして選ばれたのは不運だったとしか言いようがありません。
ブラフマンとアートマンという概念はインド由来のものですが、ストーリーにはその他にも神道や魏志倭人伝、仏教、占星術など、異なる地域や時代の伝承・逸話が複雑に入り混じっています。
主人公の武がヤマトタケルの生まれ変わりなので、要素としては、どちらかというと古代日本の伝承の方がやや多めでしょうか。縄文文化やクマソの一族、邪馬台国の伝説などの部分は、何度読んでもわくわくします。大陸の文化が浸透するまでの「古代日本」の神秘的な雰囲気には、何とも言えない味があります。
各地の古墳や遺跡を巡りながら隠された謎を読み解いていく、という筋は、どことなくアドベンチャー映画を彷彿とさせます。
例えるならば『ダ・ヴィンチ・コード』や『ナショナル・トレジャー』からエンタメ性を引き算した感じでしょうか。この作品は明るい場面、コミカルな場面がほぼ皆無なので。
遺跡を巡りながら聖痕を受け、最終的に武が覚醒し、暗黒の力を手に入れたところで物語は終わりへと向かっていきます。
終盤の畳み掛けるような解説シーンには、すごい、の一言しか出てきません。古事記に登場する三貴神の末弟・スサノオと仏教の馬頭観音、神馬に跨った転輪聖王、世界の馬の伝説、そして馬頭星雲。これらが全て一つに繋がる、という説明にはただただ圧倒されます。初めて読んだときには興奮のあまり、その夜はほとんど寝付けなかった記憶があります。
馬頭星雲、宇宙の果ての、人類が決して辿り着けない場所に存在する、暗黒の神。確かに死と破壊そのものです。「暗黒神スサノオの降臨」とは、馬頭星雲が地球に接近した際に起きる異常気象のことだったわけです。そして、神馬に乗る転輪聖王の如く、この馬頭星雲を好きなように操ることができる、というのが武に与えられた権能になります。本人にとっては迷惑以外の何物でもありませんが。
宇宙の果てで、武は地球に帰りたいと望みました。けれど、馬と共に移動すれば地球を滅ぼしてしまいます。悩んだ彼ですが、最後には地球に戻って来ました。
武が帰ってきたのは、終わる寸前の地球です。
星雲の移動には時間がかかりますから、地球に着くまでは何億年もかかり、その間に地球上の生物は滅んでしまったものと考えられます。彼の地球に帰りたい、でも滅ぼしたくはない、という望みはどちらも叶えられたわけですが、この結末は少し可哀想です。武だってこんな地球に帰って来たかったわけではないでしょうに。
生物の死に絶えた、荒れ果てた大地。膨張しきった真っ赤な太陽。全てが終わった後の地球に一人取り残された武のことを思うと、絶望的な気持ちになります。
最後のページに書かれた言葉と弥勒のイラストが印象的でした。美しくも不気味な、宇宙の深淵を見事に表現していると思います。芸術的です。
登場人物の中で個人的に好きなのは、事あるごとにマントラを唱える慈空阿闍梨ですね。餓鬼共を封印する場面の強キャラ感がすごいです。
それから、ヤマトタケルとの再会を夢見て、石の中で千六百年もの間眠り続けていた弟橘姫。健気で一途な女性です。すぐに死んでしまいましたが。
彼女の体がどろどろに溶けていく場面は、アニメ版『風の谷のナウシカ』の終盤で巨神兵が腐り落ちていくシーンを思い出しました。
大神美弥も好きです。女性キャラの髪は長い方が好みですが、この人はショートが似合っています。見るからにお化粧が濃い、派手目の顔立ちです。
神代文字が読めたり、考古学に関する知識はあるのですが、判断力の方はあまり良いとは言えません。プライドが高く野心家で、最終的に不老不死の泉に浸かって醜い餓鬼に変じてしまいました。
私はこういう、欲深さから身を滅ぼすタイプの女性キャラクターが大好きです。
悪趣味だという自覚はあります。
それから、人物ではないものの、最初の方に出てきたタケミナカタの恐ろしい姿も印象深いです。両腕が無く、首の長い怪物。諸星先生の描く怪物は本当に気味が悪くて素敵です。
「古代、神とはありがたいものではなく、死と破壊をもたらす恐ろしい存在だった」と竹内さんも言っていましたが、これを見れば納得です。どう見ても人間の敵です。
『徐福伝説』
こちらは古代中国がモチーフのお話です。
不老不死を求め、秦の道士と九十二人の子供たちが船で日本にやって来ます。
ストーリーというよりは雰囲気を楽しむ作品です。
こちらに登場する縄文人たちは、何だか密林の部族っぽい見た目をしています。オセアニア辺りに住んでいそうな。首飾りや腕輪をじゃらじゃら付けているせいかもしれません。
ヒロインである美少女の精衛も好きなのですが、それ以上に宛若という女の子が良いキャラをしています。
好きな男の子のために、彼が他の女の子と逃げるのを手助けするなんて、なかなかの女っぷりだと思います。
個人的には、こういう大陸風のお話の方が好きです。古代中国のふわっとした広袖、裾のひらひらした衣装が、諸星さんの画風とよくマッチしていると思います。諸星さんの作品の中では、私は『西遊妖猿伝』が一番好きですね。
以上、二編でした。
諸星さんの作品は、画風、特に人物の描き方が独特なのと、不気味な場面が多いので、結構好き嫌いが別れると思います。
私は大好きです。特に怪物や妖怪が。子供の頃は『マッドメン』のン・バギが特にお気に入りでした。
この『暗黒神話』も、万人に対しておすすめできるものではありませんが、まあ、興味のある方は、ぜひ読んでみてください。娯楽性は低いですが、名作です。
それでは今日はこの辺で。