【再読】 角田光代『空中庭園』 文春文庫
角田さんのドギツくて生々しい文章はたまに無性に読みたくなります。
本日はこちらの作品を再読しました。六つのお話からなる連作小説です。
以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。
中心となるのは田舎町の「ダンチ」で暮らす四人家族、タカシ(パパ)と絵里子(ママ)と高校生の姉・マナと中学生の弟・コウです。ここに絵里子の母と家庭教師のミーナが加わった六名のそれぞれの視点から物語が展開されます。
傍から見れば明るい家庭なのですが、この家族、実際は非常に歪です。問題を抱えた人間同士がそれを隠しつつ表面上は仲良し家族を演じています。母親が祖母を殺したいほど憎んでいること、父親に浮気相手が二人いること、そのうち一人が息子の家庭教師だということ、息子がすでに童貞を捨てていること、娘が見知らぬ男とホテルに行ったこと。
何事も包み隠さない、というのがこの家族の方針ですが、その通りでないことは皆薄々勘づいているようです。それでも家庭が崩壊しないのは、お互いがこの「明るい家庭」を維持するために不審な点から目を背け続けているからなのでしょう。ミーナの言う通り、まったく大した学芸会です。
私は、こういう家庭は嫌ですね。
元々が絵里子の自己満足のために作られた家庭なわけで当然と言えば当然なのですが、お互いへの関心が非常に薄く、夫婦間、親子間、姉弟間に当然あるべき親愛の情がほとんど見られません。それらしく振る舞うことで最低限の義務を果たしているだけ、といった様子です。愛が全く無い、とまでは言いませんが、温かみには欠けた家庭だと思います。
まあ、世の中に「正しい家族」の在り方が決められているわけではありませんし、当人たちが居心地良く感じているのであれば、これはこれで一つの家族の形としては「あり」なのかもしれません。私は嫌ですが。
この家族の何が気持ち悪いか、それは、これだけの隠し事がありながら、表向きは「隠し事なんて何一つない」という風を装っていることでしょう。
本当に重大なことは隠しているくせに、夕飯時に両親のセックスを話題にしたりと、無理にオープンな家風を作り上げている、その必死さが見ていて痛々しいのです。
誰だって、それこそ家族にも言えないような秘密があるのは当たり前のことです。家族だから何もかもを共有しなければいけない、というのは間違っていると思います。
ただお互いに隠し事をしているだけの家族であれば、ここまで気持ち悪くはなりません。隠し事があるのに、そんなものはうちでは存在しないと言い張っていることが気持ち悪いのです。
ありふれた題材で、ここまで特異な空気を作り出すことのできる角田さんは流石だと思います。
六つの章の中で一番読み応えがあったのは、絵里子の「空中庭園」でしたが、キャラクターとして好きなのはミーナです。
赤茶色の髪の毛をして、若くて、可愛くて、頭も股も弛い、扱いやすいお馬鹿な女の子。タカシのパートだけ見れば、そんな印象を受けます。
しかし、彼女のパート「鍵つきドア」を見るに、その内面はからからに乾いています。賢くはありませんが、見た目ほど馬鹿でもありません。人を見る目が非常に鋭く、大抵の人間を見下しています。というより、世の中自体にうんざりしているといった様子です。
彼女がタカシの頭の悪さを哀れむシーンは、何度読んでも笑いそうになります。よく言ってくれました。下半身の欲望に忠実で、何も考えていない、彼は本当に救いようのない小さな人間です。女性の多くが不快に感じるであろうキャラクター造形だと思います。私も哀れみしか湧きませんでした。
ミーナはこの家族にとって唯一の完全な「部外者」なので、彼女の視点は最も読み手の目と重なる部分が多いのではないでしょうか。傍から見ることで、この四人家族の歪さを一番強く認識しているのがミーナです。作られた「明るい家族」の団欒に彼女が慄くシーンでは、私も全く同じ気持ちになりました。内実を知った上で外から見ると、本当に不気味なんですよね、この一家。
ただでさえ、ミーナは家族というものに対して嫌悪感を抱いています。
そして、その根底にあるのは、浮気を完璧に隠したまま死んだ実父への恐怖と嫌悪です。
浮気した父に対しての
「同じ屋根の下で談笑している人間が、じつは連続殺人犯であるということと、それはまったくおなじじゃないか」
というモノローグは、「信頼し合うべき家族に隠し事をしていたなんて信じられない」という風に解釈をすることもできます。
家族なんて絶対に作らない、と決心しているミーナですが、もしかすると父親に「裏切られた」という思いがあり、それが傷になっているのかもしれません。
そんなミーナからすると、全員が秘密を抱えつつ、それを隠し通しているこの家族の異様な雰囲気は余計に気味悪く感じられたのでしょう。
読んだ後にいつも思うのですが、角田さんの作品の多くに漂っている、この疲れたような空気は一体何なんでしょうね。
まだ十代のマナやコウですら、覇気が無いというか、既に生活に疲れたようなオーラを醸し出しています。圧倒的にフレッシュさが足りません。読んでいるこちらの気力まで奪われていきそうです。
まあ、そこが角田さんの作品の味でもあるわけですが。
作中では重要な場所として「ホテル野猿」というラブホテルが何度も出てきます。当然、「そういった」描写も頻発します。
角田さんのエロは生々しいぶん、いやらしく、言い方は悪いですが汚らしくも感じられます。美しく官能的に表現しようという気が一切見られず、セックスはセックス、と淡々と文章にしているのが非常に潔いと思います。こんなに色気のない濡れ場を書くのも逆に難しいのでは?
以上です。
角田さんらしさを全力で味わうことができ、満足です。
短編集も色々と読み返したくなりました。『おやすみ、こわい夢を見ないように』とか。
それでは、今日はこの辺で。