【再読】 カフカ『変身』他一篇 山下肇訳 岩波文庫
今朝、ジャングルで大ムカデに襲われる夢を見ました。
トラの背に乗って逃げる私を、全長4,5メートルはありそうな巨大なムカデがぞぞぞぞとすごい勢いで這って追いかけてきました。変な夢ですよね。滅茶苦茶怖かったです。
そしてそんな夢からふと連想して、本日はこちらの作品を再読することにしました。
ムカデかどうかは分かりませんが、多足の毒虫のお話です。その他にもう一つ『断食芸人』というお話も収録されています。
以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。
『変身』
仕事熱心なグレゴール・ザムザ青年が、目が覚めたら一匹の毒虫になっていた、というところから始まります。
最初は寝惚けて、どうしたのかな、おれは。などとぼんやり考えています。
意識がはっきりしだしてからも、仕事のことしか頭にないこのグレゴール青年。突然毒虫に変わった自分の体よりも、時間通りに仕事に出ることの方が重要なようです。
毒虫の体で何としても出勤しようと奮闘する姿は少し微笑ましいですが、傍から見れば巨大な虫がわさわさ動いているだけですから、相当不気味な様子でしょう。
この、虫になった主人公の体の描写ですが、はっきり言ってかなり気持ち悪いです。
たくさん生えている細い足や、腹部にある謎の白い斑点など、やけに丁寧に描かれているため読んでいて一々ぞわっとします。私は虫はあまり好きではありません。
人間だった頃の彼はごく真面目な良い青年だったと思うのですが、どうして突然こんな目に遭ってしまったのでしょう。
老いた父と喘息病みの母、まだ十七歳の妹を養うために毎日頑張って働いていた立派な長男で、給料も、自分の手元にはほんの少しだけ残し、あとは毎月欠かさず家に入れていました。それから妹をどうにか音楽学校へ入れてやろうと密かに計画していたり、兄としても尊敬に値する人物です。それが最後には家族から「こいつ」「これ」呼ばわりされて、毒虫のまま死んでしまうなんてあんまりです。
変身したグレゴールに対する家族の反応としては、やはり何度読んでも父親の非情さが目につきます。
変身した直後の場面、部屋から出てきた彼を、ステッキと新聞紙をばさばさ振って、しっしっと自室に追い戻す父親。この時点でもう、目の前の虫けらを息子と思う気は一切ないのでしょう。気を抜くとこんがらがってしまう足を必死に動かし、のろのろと部屋に戻っていくグレゴール。ステッキで無理矢理部屋に押し込められ、傷ついて血まみれになってしまうのがあまりに痛々しくて哀れです。血というよりは体液でしょうけれど。
林檎を投げつける場面にしろ、彼の体に林檎がめり込んで取れなくなるくらいですから、相当思いっきり投げつけたのだと思います。それこそ本当に殺す気で。いくら気味の悪い見た目なのだとしても、息子と分かっているものに対してここまで残酷な仕打ちができるものなのでしょうか。
怯えるだけの母親や妹はまだ良い方です。
特に、妹は兄の世話を積極的にしてくれたわけですから、根は善良で優しい子です。
自分の姿を少しでも妹の目に触れさせないように、と考えて亜麻布をすっぽり被ったグレゴールに対して思わず安堵してしまったりと、兄の姿を気味悪がっていることは事実なのですが、それでも彼女の毒虫になったグレゴールへの当初の気遣いには確かに思いやりがあり、彼女が兄を愛していたことが十分に窺えます。
それだけに、終盤の彼女の叫びは聞いていて本当に辛いものがありますね。愛する妹から「このけだもの」と呼ばれ憎しみをぶつけられるグレゴールの心を思うと、絶望的な気持ちになります。
まあ彼女にしろ、それまで家事の手伝いくらいしかしたことのなかったのがいきなり働くことになり、生活の苦しさと現状のままならさの中でつい感情的になってしまったのでしょう。あの場面は考えなしに下宿人たちに姿を見せてしまったグレゴールの方にも問題がありましたし。
父親はともかく、母と妹に関しては、もし一家がもう少し裕福で心にもゆとりがあったなら、グレゴールに対してももっと違った接し方をしていたのでは、と思います。貧乏で、暮らしていくことに精一杯で、その上毒虫の長男という厄介者の面倒を見なくてはいけない、という現実が、本来は心優しい妹にあんな言葉を言わせてしまったのではないでしょうか。
グレゴールという稼ぎ頭を失ったことで、父親は小使として、母親は服飾店の下請けで下着を縫い、妹は女店員になってそれぞれが働くことになりました。装身具類を売り払ったり、住居を間貸ししたりと、家族が一丸となって必死に生活しています。その様子を、隣室から見守ることしかできないグレゴール。やるせない思いでしょうね。この一家は、今まで家を支えてくれていた長男にもう少し感謝するべきです。
ですが、結果的に彼がいなくなったことで、家族はお互いに協力し合いながら生きることになったわけです。これが本来、家族というもののあるべき姿なのかもしれません。グレゴールへの依存から脱出し、それぞれが自分の足で歩き始める、視点を変えればこれは父と母、妹それぞれの成長物語というようにも受け取れます。
三人で陽射しを浴びながら散歩に出ていくラストシーン、彼らが、グレゴールが見つけてくれた今の家を出て、もっと小さくて安い、実用的な家に住もうなどと生き生きと話している場面は何度読んでも悲しい気持ちになります。これでは、自分が頑張らなくてはと一人でがむしゃらに働いていたグレゴールが馬鹿みたいです。
昔、この「変身」を読む前の私は、「これは目が覚めたら毒虫になっていた青年が主人公の暗い話だ」というどこかから聞いた知識しかなかったため、最後は気味悪がられ迫害されて死んでしまうものと思っていました。今考えると、そちらの方がまだ救いがありますね。
実際は、彼は「自分が消えていなくならねばならない」ということを理解して、安らぎと虚しさの中で死んでいくのですから、どうにも救いようがありません。
人間であった頃から彼には、自分は邪魔者である、という無意識化での思いがあったのでしょう。それが彼を毒虫へと変えてしまったのだと、私はこの「変身」についてそう解釈しています。
余談ですが、グレゴールを見ても一切動じない、「筋骨たくましい手伝いの婆さん」は良いキャラをしていると思います。
襲いかかるような素振りを見せた彼に対して、飛びすさったり逃げ出すのではなく手近にあった椅子を振り上げるあたり、相当肝が座っています。そしてグレゴールが飛びかかってこないと分かると「そうかい、それっきりかね」と言って静かに椅子を元の位置に戻します。この冷静さは見習いたいものですね。私だったら恐怖で失神していると思います。
『断食芸人』
文字通り、断食中の痛々しく痩せさらばえた姿を見世物とする芸人のことです。
主人公である彼は、檻の中で座り続ける四十日もの間、一切食物を口にしません。
その姿はもはや芸人というよりも行者です。
断食を名誉と考えており、見世物としてというよりは自分を満足させるために断食をしているようにも見えます。
人気が低迷して落ちぶれた後もサーカスの片隅で断食を続け、最後にはそのまま餓死します。
誰も立ち止まらない檻の中で一人虚しく断食を続けていた彼は、最期にこう言い残しています。
「わしはな、美味いと思う食物がみつからんかったからだよ。美味いものがありさえすりゃあ、なにも、人気集めなどせんで、おまえやみなの衆みたいに、たらふく食ってくらしとったと思うよ」
彼の言うことが本当であるなら、不幸なことだと思います。
一般的に人が美味と感じるであろうものを食べても、彼はそうは思えない。その差異、一般との「ずれ」、疎外感を埋めるために彼は断食を始めたのでしょうか。だとするなら、行者のように見せてはいても彼の断食とは何ら崇高なものではなく、本人がそう思いたいだけで、実際は食べることを楽しめない人間の強がりにしか過ぎなかったわけです。それは虚しい行いです。
だんだんと誰からも顧みられなくなっていく中、彼はどう思って檻の中で過ごしていたのでしょうか。
芸人が餓死した後、彼がいた檻の中に新たに入れられた、若い豹の生命力あふれる姿が印象的でした。残酷な対比です。
以上。
どちらも短いお話なので、所謂「文学作品」と呼ばれるものの中でも比較的読みやすいのではないかと思います。
それでは今日はこの辺で。