【初読】 穂高明『むすびや』 双葉文庫
本日はこちらの作品を。
ひらがな四文字のタイトルの可愛らしさに惹かれました。
以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。
主人公の結(ゆい)は就職に失敗した男の子です。「おむすび屋の息子」ということにコンプレックスを抱いている彼が、実家に戻り、家業を手伝い始めるところから物語が始まります。だんだんと寂れてきた商店街の中で、生き残っている小さなおむすび屋さん、何とも風情があります。
元サラリーマンだった父親が、祖父の寿司屋を改装し、新たに始めたのがこの「むすびや」です。主人公の結が生まれる前に開店しているので、結は物心ついたときから「おむすびやの息子」でした。
店名をおにぎりではなく「おむすび」の「むすびや」としたのは、父・修一の、俺は親父と違って『握れない』から、という一言があったからです。
それにしてもこの修一、寿司職人の息子なだけあって本人もかなりの職人気質です。この「むすびや」は、元サラリーマンが成り行きで始めた店とは思えない程、「おむすび」に対しては一切の妥協がありません。
お米の炊き加減に気を使うのはもちろんのこと、「おかか」の鰹節は毎朝、その日に使う分だけ削り、梅干しも付け合せの漬物も自家製。鮭は切り身を焼くところから。味噌汁に使っただしがら昆布は刻んで佃煮に。
きゅっきゅっ、きゅっきゅっ、と四回握って綺麗な三角形を作り、口に入れるとほろっと米粒が崩れるように仕上げます。これはもはや「匠の技」と言って差し支えないでしょう。
そして、お米の目利きの方は米屋に一任しています。おむすびに合う米を売ってくれ、と言って。そういうところはその道のプロに任せ、自分はその米をいかに美味しく炊き上げるかを考える、修一はそういう男です。
取り扱っている商品の種類は、おかか、梅、鮭、昆布、焼きたらこ、生たらこ、鶏そぼろ、かやく、赤飯。それから塩むすび。たらこが生と焼いたのと二種類あるのが素敵です。ときどきイクラやうなぎの蒲焼きなどの特別な商品が出ることも。
店内でのイートインも出来て、好きなおむすび2つと味噌汁、漬物で五百円。良心的です。しかもイートインの場合には出来たてのものから提供してもらえるのです。「あつあつ」ではなく「ほかほか」のおむすび、良いですね。空腹時に読んだので余計にお腹が減りました。
傍から見れば、美味しいおむすびが食べ放題な羨ましい家庭環境なのですが、息子の結はそんな「おむすび屋の息子」であることを恥ずかしく思っています。
結だけでなく、この商店街の子たちの多くは、小さい頃にやれ魚屋の息子だの八百屋の息子だのとからかわれていたため、それぞれ実家の家業に対して複雑な思いを抱いています。魚屋の息子・誠一が好きな女の子からなんか生臭そうと陰口を叩かれ、ドラッグストアで制汗剤を二本も買う場面はさすがに可哀想でした。
結が可哀想だったのは、小学生の頃、給食で余ったご飯を前に、ほらおむすび握れよと男子たちからからかわれる場面ですね。思わずしゃがみこんで泣いてしまう結を見て、転がったぞー、おむすびころりん、おむすびころりん、とさらにはやし立てる男子たち。これは残酷すぎるでしょう。こんなことをされたら家業を嫌いになるのも当然です。
それから、隣の部屋で、夜な夜な売り上げの話をする両親。これも結構嫌ですね。今日は三万しか……とか、今週はさっぱりダメだな……とかいった話を夜毎聞かされたら、私なら商売そのものを嫌いになりそうです。
この物語の内容としては、そんなこんなで実家を恥じていた結が店で働いていくうちにだんだんと心情を変化させていき、最終的にここが自分の居場所なんだ、と自覚する、というのがおおまかな流れになります。
主人公は結ですが、章ごとにメインとなる人物は違い、それぞれの視点から「むすびや」の様子が描かれていきます。各人物への掘り下げもあり、どちらかというと「むすびや」を中心として周りの人々を描いた短編集のような雰囲気です。
結の幼なじみ・俊次や米屋の清、両親などの商店街の人々の生き方が描かれるほか、それぞれに悩みや不安を抱えた人々が、地元にある「むすびや」を訪れ、少しだけ安らぎを得る姿も描かれています。
私が好きなのは留学生のキム・チョルスですね。結の良き友人の一人です。韓国人ですが母方の祖母が日本人で、「憂鬱」と漢字で書くことができたり、話に歌麿の浮世絵を引き合いに出したりするくらい、日本文化への造詣が深い男の子です。非常に真面目で勉強熱心な性格で、さらに自身の博学さをひけらかさない謙虚なところに好感が持てます。
結や俊次たちが彼のためにキムパブを作るエピソードは特に好きです。
今は「キンパ」の名称の方が主流かもしれません。ソーセージ、玉子焼き、にんじん、カニカマ、チーズ、炒めた薄切り肉、ナムル、沢庵。それにごま油と白ごまをたっぷり。結たちが作ったのは知識頼りのなんちゃってキムパブですが、非常に美味しそうです。祖母が亡くなって落ち込んでいるチョルスを元気づけるために、皆で協力して作ったキムパブ、チョルスも泣く程美味しかったようです。
もう一人、印象的だったのは、結もお世話になった富田先生です。別視点では、小柄で童顔で、フェミニンな服装をしていて、男子生徒に絡まれてはぷりぷり怒ってみせるあざとい女教師として描かれていますが、本人はそんな自分にうんざりしています。仕事も男関係もうまくいかず、電車に揺られながら「こんちくしょー」とぼそっと呟く姿が悲しいです。美味しいおむすびでも食べて癒やされてください。
その他の人物もそれぞれに印象的でした。俊次にしろ米屋の清にしろ、それから結と同世代の佳子や誠一にしろ、富田の教え子の春菜にしろ、一人一人が非常に丁寧に描かれています。
それから、結の両親も。
特に母親の澄子が、就活中の結をそっと見守る様子が印象的でした。元気をなくしていく息子に対して何もしてあげることができず、靴を磨いたり、シャツにアイロンをかけたりしながら、自分は無能な母親だと落ち込む場面は見ていて胸が痛くなりました。そんなことないですよ。
父・修一に関しては、終盤で彼が誠一にかけた言葉が特に心に残りました。
「むすびや」のおむすびの味と、勤め先の回転寿司の味を比べてしまい、自分の仕事はインチキ寿司を提供するだけの虚しいものなんだ、とこぼした誠一。それに対して、それは違う、人様の腹の中に入る物を作っている点ではうちも回転寿司も同じだ、大切なのは真心だと返した修一。
当たり前のことですが、やはり一番大切なのはそこですよね。
回転寿司自体は、決して悪いものではないと思います。安くて手軽で、私も好きです。こだわりのおむすび屋さんと回転寿司、そもそも比べるものでもないでしょう。誠一が虚しさを感じたのは、そのシステム化された運営には真心がないと知ってしまったからです。誠一は選ぶ職場を間違えました。
店を通して多くを学び、主人公の結もだんだんと成長していきます。
最初のつまらなそうに海苔を巻く姿から一変、具材の仕込みについて自分から母親に教わったり、新メニューを真剣に考えたり、「おむすび屋の息子」らしくなっていきます。玄米にきゃらぶきを合わせるのは良いセンスだと思いました。蕗は若干万人受けしづらいかもしれませんが、私は好きです。絶対に美味しい。
最後にはようやく米を握るお許しも出ました。
定休日、一人厨房で塩むすびを作る結の姿で物語は幕を閉じます。
まだ父のようにはいかず、不格好です。歪んだおむすびを前に
「よし、もう一回挑戦だ!」
と言う結。一歩、踏み出したという感じがします。
どこかゆったりとした、心温まる優しいお話でした。
「むすびや」という店名と「結」という名前の繋がりも素敵でした。東北生まれの祖母がつけた、「助け合い」を意味する言葉だそうです。
この作品でも、人と人との繋がりを強く感じることができます。
自分の名前に込められたいくつもの意味に思いを馳せ、結が一人でおむすびを作るラストシーンは、ようやく地に足がついたような、前を向いてしっかりと歩き始めることができたような、そんな印象を受けました。
働くうえ、生きていくうえで大切なことを教えてくれるような作品です。良いお話でした。
それでは今日はこの辺で。