年に数回、仕事帰りに涙が止まらなくなることがある。

社会的にはそこそこちゃんとした仕事をしていて、そこでもそこそこ上手くやれていて、決して高給ではないけれど私一人慎ましやかに暮らせるだけのお給料はもらえてる。

そんな私は、多分周りからはあらゆる面でとても平均的に見えると思う。私自身もそう思う。

ただ、自分でもこれまで認めずにいた範囲があって、それが、境界性パーソナリティ障害という部分だと思う。

20代前半で拒食症を経験した。リストカットもしたし、その二つで入院もしたけれど今は卒業もした。幼稚で定番過ぎるメンヘラなんかでいたくないと思った。世の中にはかまってちゃんなんて言葉もあって、そこにカテゴライズされるのなんてまっぴらだ、恥ずかしい、とさえ感じていた。

でも私の本質は、本当はそのど真ん中にあった。

そこそこ満たされた幸せな環境で育ったくせに、いつでもそこはかとない虚無感、孤独感、自己否定感。積極的に死にたいと心の底から願ったことはないけれど、最近は、出来るだけかわいそうに死ねたらいいのにとは思う。

今の私の一番の悩みは、止められない自己否定と、セックスへの依存。

仕事柄、信頼されることが重要だし、信頼されることそのものが技術であるとさえ言われる。人を癒す、優しくするといえばおこがましいが、それに近い接し方をすべき立場にいるため、相手から拒絶されたらそれは自分の力量不足ということになる。

仕事は好きだ。
でも、人に優しくする仕事の私は、誰が優しくしてくれるんだろう。

許す、認める、力づける…
私の仕事はそんな言葉を意識して行うが、私にそんな言葉を意識して接してくれる人はいない。

儲けを意識しないこの仕事の根本は善意だ。相手のために努力をする以上の何物でもない。
だけど人は自惚れる。
私がいくら善意、そして厚意で取り組んでいても、いや、そうであるほどに、受けとる相手は甘える。自分の望むものに不足していたら、相手を責める。
「じゃあ自分でやれば」って言ってしまいたいけれど、客商売なのか公益なのかよくわからないこの業界ではとてもそんなことは言えないし、特に私の職種ではそんなの不適合すぎてとんでもない。自らの資質を否定するようなことにもなる。

心を広く、もっと優しく、と思う。

でも、私は人に優しくするのに、私は人に優しくされない。

長くなったけど、そんな枯渇感から、私は人肌に溺れている。

私は大切にされない。
私も大切にされたい。

すべてはそれだけかも知れない。


生きるのが下手な私に簡単に取り組める形が、セックスなんだと思う。

女に生まれて良かったと思う。

女の私から誘えば、そう断られることはない。
お金にもなったことがある。

男の方がロマンチストとはよく言ったものだと思うけど、私にとってセックスは別になんというものでもない。

行為に対して冷めている私に、相手が夢中になっているのは悪い気分じゃない。
女優のように快楽を演じている自分も、普段とは違う人格のようで心地いい。

セックスしている間は、あまり何も考えてなくて、一種の躁状態というか、脳内のなんとかかんとかが過剰に働いている状態そのもので、そしてそれは中毒性のあるものなんだと思う。

定番だけど、終わったあとは、絶望感と虚しさで死ねちゃいそうな気持ちになる。

それでも女として扱われないと不安になる。女として見られることに快感がある。

ビョーキだと思う。

私を大切にしてくれない人にばかりしがみついて、私自身、私を大切にできない。