料理ができないと将来困るとか言われるけど、私はべつに困らないと思う。衣食住にそんなにこだわりが無いので、手の込んだ手料理が食べたいとか特に思わないのだ。食べたけりゃ買うし、不満があるなら味付け変えるくらいはする。
というか、日常における料理において技能というのはそんなに求められていないのでは、と思うこともある。レパートリーが求められているだけではないか。そんなのは、知識と創意工夫だし。金と時間があるならレシピ通り作ればいいだろう。それが難しいのかもしれないが。飯がまずいとかいうのは、やるべきことをやってないか、やらなくてもいいことをやっているか、味覚が破綻しているだけだろう。


私は不器用だから、リンゴの皮を長く繋げて剥く、みたいなのは苦手だ。でも、べつに長く剥く技能は要らないように思う。切ってから剥けばいいじゃん。その方が保存しやすいし、うさぎだって作れる…。作らないけど。技術があるのはいいことだろうけど、べつに私の人生にリンゴウサギは求められていない。


なんとなく、家事全般というのはそういうものの気がする。できるかどうかではなく、面倒なことをしてもらえるかどうか。いい子かどうかの指標でしかない。そもそも、面倒なことをさせないという発想はないのだろうか。これほど技術が発展しているというのに。家事ができなくて困るんじゃなく、困らされるのだ。そんなひとには関わんないほうがいいんじゃないのかなあ。



困ったところで、子どもの頃にお手伝いしとけば良かったなんて、反省はしないと思う。そうやって泣きつくのを期待しているのかもしれないが。そらみたことかと、嘲笑いたいのかもしれないが。済んだことをとやかく言っても仕方ないし、そういう試されるようなやり方は私は好きじゃない。出来るようになりさえすればいいんだろ。できてたかどうかじゃなく。