自分は他人に興味がないということを認めるのはすごく抵抗があった。周りに合わせるために努力していたからだ。本当に興味がないなら努力する必要はないだろう。お人好しに見えるかもしれないがすごく我慢していることもある。


何故か人が重視していて知りたいと思うことに、興味がないだけだ。何が好きかとか、休日は何をしてるかとか、どこに住んでるとか…その人がどんな人か想像できる手掛かりになりそうなものってやつ?

聞かれても困る。知って何か私を否定しようというのか。自分とは違うから?

何が好きかとか言われても困るがこだわりがないわけではない。とにかく、好きとは違うのだ。これがいいんじゃない、それ以外にないのだ。

それになんにせよ好きなものは台無しにされそうな予感がする。大した価値はない気がする。


すごく怒ったりすごく楽しかったりすることもなくはないけど、ほんの一瞬だ。飽きっぽいなんてもんじゃない。テンションが続かない。元の状態以上に冷める。だからあとはサービスだ。他人に対するパフォーマンスだ。すごく笑ったりするのは難しい。抑えてるわけじゃない。もとの熱量のようなものが足りないのだ。演技力を発揮するしかない。尤も怒りは振り返すのだけど。継続するんじゃない。断続的に、不意に訪れて抑えられない。


確かに私は無趣味だけど、趣味なんか自分が楽しければいいんじゃないか。何故他人と繋がるきっかけになるものでなくてはならないのだろう。ひとに認められなくてはならないのだろう。否定されるよりは認められる方がいいけどなくてはならないものではない。



そんなことをずっと考えていて。


こういう傾向はスキゾイド(シゾイド)パーソナリティ障害だかに当てはまりそうだけど。

病気なのか?治るもんなの?治さなきゃいけないの?

私の場合はせいぜい変わり者とか偏屈とか思われるだけだと思うんだけど。社会生活で不利なくらいで、つまり他者に関わらなきゃ問題になりそうもないんだけど。ひとと関わらないわけにもいかないだけで。
別に徐々に精神を蝕まれていくみたいなものでもないし。

私のキャラクターが面白いとか思われるのは不本意なんだけど、それで笑って済ませてもらえるなら安いものだし。


たとえひとと違っていても多少違和感あるくらいで溶け込んで見せる。

ある種のクソ真面目とか結婚できないとか友達いないくらいで浮いてたとしても生きていくしかないのだから