こんにちは
三国志の時代では男性だけでなく女性も数多く後世に名を残しています。
今日は女性を1人紹介したいと思います。

卞氏        諡号は武宣皇后


初め卞氏は歌妓でしたが曹操の目に止まり179年、20歳の時曹操の側室となります。

当時曹操には丁夫人という正室がいました。
丁夫人は名門の生まれであり身分の低かった卞氏を馬鹿にしてイジメまくります。
しかし卞氏は文句を言わず丁夫人の身の回りの世話などをこなしていたそうです。

丁夫人と曹操の間には子が出来なかった為、丁夫人は別の側室が産んだ曹操の嫡男、曹昂を養子として引き取り自分の子のように可愛がっていました。

しかし曹操が197年、張繍の叔父の未亡人にニヤつきながらちょっかいを出し、ブチ切れた張繍に攻撃を受ける事件が起きます。宛城の戦いですね。

この戦いで曹昂は曹操を庇って戦死してしまいます。丁夫人は深く悲しんで、ニヤついていた曹操に「私の子を殺しておきながら平気な顔をしているとは」など事あるごとに恨み事を言うようになりました。

曹操はイラつきながらも丁夫人を愛していたため一旦実家に帰して気が落ち着くのを待つ事にしました。

しばらくして曹操は迎えに行き「私が悪かった、一緒に帰ろう」と話しかけますが丁夫人はシカトします。「君はまだ私を許してくれないのかね」と曹操が言いますが丁夫人は背を向けたまま返事をしませんでした。

曹操は「わかった、達者でな」とだけ言いその場を去り2人はそのまま離縁する事になります。

かわって正室となったのが卞氏です。卞氏は曹操の正室となった後もかつて自分を毛嫌いしていた丁夫人への時候の挨拶を欠かさず、自分の家に招待するなど丁寧に接し続けました。
丁夫人も次第に卞氏に深く感謝するようになったそうです。

卞氏は曹丕、曹彰、曹植、曹熊などを産み、馬超との潼関の戦いや孫権との濡須口の戦いなどにも曹操に同行しています。
↑息子相手にオラつく卞氏

曹操死後は王太后となり、曹叡の時代まで生きます。230年に亡くなり曹操と共に埋葬されました。

ちなみに2009年に曹操の墓っぽいのが発見されましたが同時に陵墓の中から卞氏の遺骨っぽいのも発見されています。



陳琳(魏の臣)「曹操は玉無し野郎の肉片から生まれた醜い奴である」
兀突骨(烏戈国国王)「曹操は玉無し野郎である」