コザルが野球を始めるきっかけになったのが三歳上の兄の存在があげられる。少年野球でよくある「兄がチームに入っていたので、ついて行きました」という弟の典型的なケースとは違うところが面白い。5年前、夏の高校野球をテレビ観戦していた小学一年生のコザルはそれに触発されるように、遊びの中心が野球となった。地域には老舗の3チームと新興の1チームの4つの選択肢があり、それぞれに体験入部をし、どのチームも歓迎をしてくれていた。

 年を越し2年生になる春になっても決めかねて、悩んでいたところに、5年生にあがる兄が「野球面白そう。俺やるわ」と言い出した。兄のチーム選択は自分が通う小学校がホームとなる新興チームしか眼中になく、自然なものだった。高学年になるまで野球に何の興味も示さなかった兄の即断即決に弟のコザルは救われ、5年と2年の野球小僧生活が同じチームでスタートした。

 コザルはいう。「あの時、兄ちゃんがいなかったらこのチームに入っていたかな?とにかく兄ちゃんには感謝してる」。いま中三になった兄は部活引退後も、クラブチームで野球を続け、高校で野球をすることを目指している。

 無安打無得点試合。俗に言う「ノーヒットノーラン」であるが、小学生のレベルでは7回がフルイニングであることもあり、実力差がそうとうある場合はたまに見ることがある。コザルも以前、練習試合で投手としてそれを体験したのだが、ゲームセットしても気づいてはいなかった。試合終了後、スコアを確認していたコーチが、赤のペン表記がないことから、発見したのだった。

 コザルは投手以外にショートやサードをすることも少なくなく、そのおかげで登板したときは、守備のリズムを崩さないことをいつも気にしている。ノーヒットノーランについても、投手をやっていれば一度は達成してみたいことではあるが、コザル自身は剛球投手でもないし、守備あってのことだと自然と考えるようになっていた。

 その考えには賛同したい。まさに野手に感謝である。

 

 しかし奪三振率の高い投手の場合は、ノーヒットノーランをやろうもんなら、多少なりとも自己アピールをするのが自然なことだろう。逆に言うとそれは仕方のないことかもしれないが、そもそも、野手がいなければアウトは成立しないし、もっと言えば9人が整列しないことには試合が成立しないことを忘れてはならない。

 例えば、すべてのアウトを三振に仕留めたとしても捕手が捕ってくれないことにはノーヒットピッチングはできても、ノーランはありえなくなってしまう。唯一、一人野球といえるのは投手が捕手(その他の野手も)にボールを触らせることなく、投手自身がすべてのアウトをとることになる。すべて打たせて投前ゴロ(この場合は一塁を自らベースタッチできる範囲の打球となる)か、投飛(自らがとれる範囲のライナー、フライ)になる。これは現実的には、不可能である。ノーヒットノーランのときばかりでなく、普段から野手に感謝の気持ちを持っている投手は味方のエラーに対しても寛容となり、例えそれが敗因となってもまずは自分の責任を忘れはしない。


 コザルにはいつも仲間に感謝をしてマウンドにあがる投手になってもらいたい。

野球選手にとってランニングは重要であることは、カテゴリーを問わず、常識となっている。走ることは基礎体力をつけるためには不可欠と言っていいだろう。しかし、野球選手にとっては「なぜ走るのか」を意識してほしい。下半身を鍛えるというのはあまりにも、漠然としてはいないだろうか?コザルは毎朝、6時にランニングをスタートさせる。彼は投手にとって下半身の重要性を彼なりに理解している。だから毎日走る。骨盤の動きや体幹がリードする腕の振りなど、プラットフォームとなる下半身のパワーは投手にとって生命線だ。そろそろ、コザルには投手にとって走る意義をしっかりと伝えようと思う。