「茶の心」を政治に利用されたが故に、日本全国に格式高い作法として「茶の湯」が広まり最後は茶の精神と己の心を貫く為に・・・・😢
「おもてなし」と「茶の湯」の精神は武士や家臣達までをも癒し、しかし、格式高いが故に統治の為に利用されて行く。
最初は、利休も「褒美の名器」に酔いしれたかもしれない。誇りに思ったり、茶道をもっと認めてもらいたい、広めたい・・・・色々思いもしたかもしれない。
しかし、蓋を開ければその「おもてなしの心」を政治に利用されていたならば、
そこには、本来の「おもてなしの茶の心」は無い。
名声や、地位、命と引き換えに「己の精神と茶の心」を守り貫こうとした利休のその清らかで揺るぎ無い精神と心の在り方(清らかな緑)に感銘を受けてしまう。
わびもさびも無くて、本末転倒な金箔の心の傲慢さの表れた茶室に利休はどれだけの違和感を覚えただろうか。
利休の生き方、考え方、少しずつ学びながら茶道の心が知りたいと思いました。
所作だけではなく、その心の在り方にも・・・・