ジェノアCFC 1994-95 1stユニフォーム | サッカー ユニフォーム収集家

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ジェノアCFC
1994年にはイタリア・セリエAのジェノアCFCに1年契約で期限付移籍し、アジア人初のセリエAプレーヤーとなった。この移籍には商業的な価値を期待していたと見る向きが強く、ジェノアのユニフォームの胸部分の広告権をケンウッドが獲得したこともあって、加入会見では「スポンサーを得るために獲得したと言われているが、どう思うか?」などと辛辣な質問も浴びせられた。
プレシーズンマッチの地中海カップでは好プレーを見せ、サンシーロで行われた、ACミランとのセリエA開幕戦において先発出場し、セリエAデビュー、前半途中にフランコ・バレージとプレー中に激突し、鼻骨骨折と眼窩系神経を損傷してしまい、一ヶ月の戦線離脱を余儀なくされた。
復帰後、12節UCサンプドリアとのジェノヴァダービーで先発出場、アントニオ・マニコーネの浮き球からトマーシュ・スクラビーがヘディングで落としたボールを右足アウトサイドでゴール隅に決め、セリエA初ゴールとなる、先制ゴールを奪ったが(16節のパドバとの対戦では、サイド突破からマニコーネの決勝点のアシストはあったが])、これがジェノアでの唯一の得点となった。代表戦のため第31節ユベントス戦に出場後、シーズン終了を待たずに帰国、その他1994年10月にはアジア大会への出場のための帰国、また度重なる監督交代も影響して、21試合出場(先発10試合)に留まった。その後、トリノFC、スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルといったチームからオファーが来ていたが、シーズン終了後にはヴェルディ川崎へ復帰することとなった。ジェノア在籍時にはジェノバの名前を日本に広めたことで、市から特別表彰を受けた。シーズン終了後、ジェノアCFCの一員として、横浜スタジアムで行われた、ヴェルディ川崎との親善試合に出場、この試合を最後にジェノアを離れ、ヴェルディへ復帰した。また在籍時の1994年12月にはASローマ対世界選抜の試合に出場した。






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