J. S. バッハ:モテット全集 (J.S. Bach : Motets / Masaaki .../Bach Collegium Japan

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 最近更新がすっかり滞ってしまい申し訳ありません。やることが多いとどうしても、ブログを書く暇がなくなってしまいますね。あとパソコンが壊れてしまって記事をアップできなかった事情もありました。

 今日は最近の音楽ライフの雑感を。


 音楽をきく量も前と比べてだいぶ少なくなっている。買う量は減っていないから、きいていないCDの山が高く積まれていき、手も足も出ない。

 前までは廉価ボックスが発売されるたびに喜んで購入していたが、最近は値段が高くてもなるべくSACDなどの高音質のアルバムを買うことが多くなった。確かに廉価CDは安いものになれば一枚100円を切るものもあり、一枚2000円以上もするアルバムなど太刀打ちできるはずもないと思っていた。若いうちはオーディオなど音質を求めるのでなく、多くの音楽と触れる方が大事だと廉価CDばかりをぼくは買いあさっていたのだ。大学を卒業する頃に保有CD枚数が2000枚を超えていたのは、昨今の値崩れの恩恵のおかげに違いない。だけど廉価CDよりも、逡巡してこれと思ったアルバムの方が、得られる感動は大きいことに最近気がついてきた。手に取るのも紙ケースに入った廉価CDよりも、プラスチックケースに入ったCDの場合が多い。

 平林直哉が指摘しているが、同じCDでもリマスタリングやCDの質が関係しているのか、廉価CDはいまいちな録音であることが多い。ブリリアントクラシックが登場したとき多くのクラシックファンがその安さに喜んだものだが、今聞くとその録音の質の低さに失望せざるをえない。

 一方でEMIやユニバーサル、ソニーなどのメジャーレーベルが連発している数十枚級の廉価CDボックスの録音自体は悪くないのだが、聞き終わった後、再びきくことが滅多にないことに気がついてきた。どれだけ大きな感動がえられたとしても、所詮はボックスに収録されている数十枚のうちの一枚にすぎないのだ。そのボックスを買ったのは安価で多くのCDを手に入れることができるという経済性だけであって、その一枚のCDのためではない。CDやパソコンの前で悩み抜いた末に購入した一枚のアルバムに比べて思い入れが少ないのは当たり前のことだろう。買ったまま結局一回もきかないままのCDがどれだけたくさんあることだろう。

 一方でなけなしのお金で2000円もしたアルバムはたいてい繰り返し手にとることが多い。また期待度が大きかったぶんだけ、得られる感動も大きいことが大きいように思う。演奏家やプロデューサーなど携わってきた多くの人たちの思いがひしひしと伝わってくるように思える。CDプレーヤーにセットしスピーカーから音楽が流れてくるまでの一瞬の静寂の緊張感は、野暮な話だが高い金を払った方が強いのだ。よく評論家は自分の金を払ってコンサートに行けと批判する人がいるが、ちょっとわかる気がする。

 そしてなんといってもSACDの音質はCDとはくらべものにならない。最近はお気に入りの曲をSACDで買い直してよくきいている。CDの平板な音に比べ、SACDの音質は奥行きがあり響きが豊潤だ。ライブまでとは言わないまでも、廉価CD10枚分くらいの満足感をSACDは与えてくれる。

 多くの演奏を聞きまくるよりも、お気に入りのCDを繰り返し聞くことの方が良い時間をすごすことができる。時代小説家の五味康祐はあれだけ多くのLPを買いあさっておきながら、持っているLPは100枚あれば十分であり、LPの枚数を自慢する愛好家は二流だと言って気に入らないLPは売るなり譲るなりしていたそうだ。最近五味の意見がよくわかるようになってきた。これ以上の演奏家を見いだすことが果たしてできるのだろうか、新しいアルバムをおっかけるほどの金も時間もないぼくには気力がわかない。新譜でも、新たな演奏家に手を出すよりも、既にきいたことがあって信頼のおける演奏家についつい手がのびてしまう。

 ちなみに、最近のぼくはバッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハのカンタータ全集ばかりきいている。いや、本当にすばらしい。彼らがSACDに切り替えてくれたことは、実に喜ばしい。

 こうSACDばかりきいていると、もうCDになんて戻ることはできない。そうなると、今まで買ってきた廉価CDボックスたちがなにやらがらくたの山にも見えてくるのだ。

 こういう事情があって、最近音楽をきく時間はそれほど減っていなくても、手に取るアルバムがめっきり減ってしまった。少し紹介するアルバムの数は減るかもしれませんが、よろしくお願いいたします。