いい音 いい音楽 (中公文庫)/五味 康祐

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五味康祐オーディオ巡礼 (SS選書)/五味 康祐

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 以前から通っている古本屋に、ずっと気になる一冊があった。五味康祐が音楽について語った『西方の音』の初版だ。五味康祐は建前的には剣豪小説家という看板を掲げていたけれども、麻雀、オーディオ、音楽に対する造詣も大変深かった。なんせ彼はオーディオとLPが買いたかったから、前衛を捨て、大衆小説家の路を選んだのである。

 彼の音楽についての本は何冊かあり、どれも人気が高い。既に大半が絶版になっているのでプレミアがついている。その店主がそういう事情を知っているかどうかは分からないが、800円という価格はかなりお買い得だった。ただ、最近でた文庫本と重複している文章もいくつかあるし、状態もそれほど良いとはいえない。皆僕と同じような心境だったせいか知らないが、あまりにも長い間売れ残り続けていた。でも毎回その古本屋に通ってそいつと顔を合わせているうちに、愛着が湧いてきて、結局今日購入した。家に帰ってぺらぺらページをめくっていると、タンノイのところにだけ赤線が引いてあって、ちょっと運命を感じたりする。この本は僕の手元に来るはずだったに違いない、みたいな。

 というくだらない身の上話は置いといて、音楽の話。僕は音楽評論家や専門家よりも、小説家や文学者が書く音楽の文章の方が好きだ。僕が音楽の文章に求めるのは、マニアックな知識でも緻密な構造分析でもなく、その人が何を音楽から感じたかということだ。音楽のそういう機微は、小説家などの方が描くのが上手い。村上春樹の『意味がなければスイングはない』は、最高の音楽エッセイのひとつだと思っている。吉田秀和が僕にとって理想の音楽評論家の一人なのも、彼が文芸評論などをも包み込む総合的な評論を目指していたからだ。彼らは肝心なところは必ず自分の言葉で語る。

 五味康祐も僕にとっての最も好きな書き手の一人だ。その語り口はいつも説教臭い。「音楽とはこうでならなぬ」という今では珍しくなった矜持があった。それは当時誰よりも音楽を聞いていたという自負と、自分の耳への自信から来ていたのだろう。それは独断的であったが、誰もが納得せざるをえない説得力と勢いがあった。音楽が好きだからこそ存在する、譲れないもの対する絶対的な自信。そういうものをあけっぴろげに全部暴露することができる人が、今何人いるだろうか。彼は音楽愛好家の極地にいた人だった。だから多くの人がその熱意に共感することができたのだろう。

 最近彼に関する本が次々と復刊されている(上のがそれ)。そしてそれらを手に取った人たちの多くが「何か大切なものを思い出せた気がする」と感じている。オーディオに関する文章は時代遅れなものが多いが、時折ハッとするような一文があり、考えさせられてしまうのだ。パソコンで音楽が手軽になり、音楽とどう向き合うかなんて誰も振り返らなくなった今こそ、彼の文章は読み返されるべきではないのか。彼の名が剣豪小説家としてよりも、音楽で残りつつある。きっと彼も本望だろう。

 以上、色々書いてきましたが、最高の本です。どうぞ。