今年はヘンデル没後250周年、メンデルスゾーン没後200年などのメモリアルイヤーなわけですが、その中で最も取り上げられているのが、ハイドンなのではないでしょうか。。


皆さんご存知の通り、ハイドンはモーツアルトやベートーヴェンと比べると、波乱と言う文字を見いだせないような立身出世、順風満帆の人生を送った人です。ハンガリーの大貴族、エステルハージ侯爵家の学長を務め、ロンドン旅行の大成功など、その名はヨーロッパ中に響き渡っていました。哲学者でいうと、カントみたいなもんでしょうか。伝記に書こうと思っても、おもしろみがないタイプです。


一方で死後の評価は波乱尽くめだったそうです。ハイドンの音楽の大半は忘れ去られ、音楽もそれほど広まらなかったようです。その原因については専門家が山ほど論じているので、そちらに任せます。


そのハイドンが再評価されつつまり、このハイドンイヤーで爆発していると読みました。確かに注意していると、色んな音楽雑誌で、ハイドンが取り上げられていいます。今月号のレコ芸とGramophoneは特にそうですね。


特にGramophoneの表紙におもしろい表現が載っています。

FOR 200 YEARS HE'S BEEN IN MOZART'S SHADOWS. BUT IT'S TIME THAT CHANGED.

ま、訳すると・・・200年に渡り、ハイドンはモーツアルトの影に隠れていた。しかし、それを見直すときが来ている。みたいな感じですかね。凄い文句ですよね。ハイドンの再評価の風潮を表すよい例なのではないでしょうか。


ハイドンは先日にミサ曲について紹介しましたが、彼の曲は他の作曲家を上回る壮大な構築性みたいなものがあると思います。まさに巨匠という感じでしょうか、ちょっとやそっとでは絶対に崩れない安定感を感じました。もちろん、僕はミサ曲しか聞いてないので、はっきりとは言えませんが。


これを機会にハイドンについて勉強せなあかんなと思う今日このごろです。それにしても交響曲の数が104曲ってのは、聞く側としてはちと辛いものがありますね。