ハイドン : 12曲のロンドン交響曲集 (Haydn : London Symphonies .../Joseph Haydn

¥4,351
Amazon.co.jp

F.シューベルト : 交響曲全集 (Schubert : Complete Symphonie.../マルク・ミンコフスキ

¥4,351
Amazon.co.jp


クラシック音楽CD収集が最近停滞している。大きな感動を得ることが滅多になくなってきたからだ。高い金を出してクラシック音楽CDを買うくらいなら、本に投資して音楽の知識を養った方がよく思えてくる。我が家のCDはまもなく2000枚に達するので、もうCDを買うのをやめて買い溜めたアルバムを繰り返しきくクラシック愛好家としての余生をすごそうか。

 また、大体の曲にお気に入りの演奏家が固定化されてしまった。もうこれを超える演奏家はしばらく現れないような気がするのだ。良い演奏を繰り返し聞く方が、終わることのない名盤探しよりも生産的な行為のように思える。重箱の隅をつつくようにマイナーな音楽や演奏家などクラシック音楽の深部へとずぶずぶ沈潜していく勇気はぼくにはない。

 ただ、強烈な個性を持たず、芸術家よりも研究者としての一面が強いつ指揮者ほどつまらないやつはいない。さすがに第一線で活躍しているラトルやゲルギエフ、ハーディングなどは違うが、つまらない個性を知識で覆い隠す姑息なやつが増えているのは確かだろう。指揮技術はもちろんだが、あなたの感性をまずききたいのだよ、というのが愛好家たちの多くが抱えている不満のはずだ。

 古楽が研究めいてつまらない、というのはあまりに低いレベルの批判だ。最近ではむしろ古楽の方にユニークな個性を持った指揮者が多い。ヘンゲルブロックやミンコフスキなどだ。ヘンゲルブロックは北ドイツ放送響の指揮者に就任し、新たな風をクラシック音楽産業に吹き込んでいる。古楽の奏法を現代オーケストラに取り入れることが一種の自己アピールとして機能していた時代は終わり、古楽の奏法を取り入れた上でいかに自分の個性をのせるかが問題となりつつあるのだ。指揮者に要求される知識と技術はますます高くなり、生き残る指揮者の数はどんどん少なくなっていくだろう。おぉ、生きにくい世の中です。

 というわけで、ミンコフスキのアルバムを貼っておきます。
Works of Igor Stravinsky/Sony/Bmg Int’l

¥3,369
Amazon.co.jp

 近年発売される廉価ボックスの数には驚かされる。ぼくがクラシック音楽のCDを本格的に集め始めた6年前まではnaxosやブリリアントクラシックスぐらいが廉価レーベルだった。学生のぼくにとっては貴重な存在であり、有り難かった。ブリリアントから出ていたブラームスやメンデルスーンゾの合唱曲ボックスがたったの4000円弱で売られているのをHMVのサイトで見た時の感動は、今でも忘れない。

 だが次第にクラシック音楽廉価業界にメジャーレーベルが参入するようになり、一枚100円、200円が当たり前のようになっていく。特にEMIやDGなどのメジャーレーベルが抱える名演はどんどん手頃になっていった。おそらくユニバーサルレーベルがグラモフォン111周年を期に発売した55枚組ボックスや、ハルモニアムンディの50枚組ボックスが出だしだった気がする。音質にさえ不満がなければ、だいたいの巨匠の名演は2万円もあれば50枚程度はすぐ買いそろえる時代になってしまったのだ。

 作曲家ものも同様だ。ユニバーサルの作曲家シリーズは毎年恒例となり、ブラームスから始まり、シューマン、リスト、ワーグナー、ベートーヴァン、バッハと続いていき、もはや最初の頃の新鮮さはとうに失われてしまっている。ブリリアントなどは100枚超級のバッハやモーツァルト全集を1万円を切る。ムソグルスキー、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、テレマン、ヴィヴァルディ、Rシュトラウスからブリテン、ディーリアスまで・・・・とにかくだいたいの作曲家の大型ボックスは出尽くし、一人の作曲家の作品を網羅的に楽しむことができるのだ。実に幸せだ。

 ぼくはこの現状に不満を言うつもりはない。確かにネット上ではその安さへの苦言をしばしば見かけることがある。廉価CDは音質が悪いだの、演奏の重さがなくなるだの、と。しかし、音質にうるさいのは昔から一部のクラシック愛好家だけだし、芸術の価値を金銭ではかるのは一つの価値判断でしかない。関西人のように価格で評価が二転三転するわけでもないし、鳴っている音楽が重要なわけだ。高価なLPをすり切れるまできいて体にしみ込ませる昔の聞き方は素晴らしいと思うが、様々な演奏を浴びるようにきくことも現代のあり方として認めるべきだろう。

 だが、廉価ボックスに一つだけ苦言を呈するとするならば、ストラヴィンスキーのボックスがないのだ。これほどの大家のボックスをなぜレーベルはほっておくのだ!ストラヴィンスキーは春の祭典までの一連の傑作だけでいいのか!?けしからん!!

 で、見つけたのが上のストラヴィンスキーによる自作自演の22枚組ボックス。ストラヴィンスキーの知らない音楽がたくさん収録されている実に幸せなボックスである。なんといっても3000円という値段がいい。一枚あたり200円をきっている。うれしいものだ。ぐひひひ。

 明日届くみたいなので、音質についてなどはまたレビューします。内容がよければ最高のストラヴィンスキー入門ボックスになるはずです。

 以上、最初は固く、最後は一気にくだけて駆け抜けてみました。もはや何も驚くことがなくなった廉価ボックス市場において久々のうれしい発見でした。しめしめ

 先日自分が所属している合唱団の演奏会に行ってきた。

 クラシック愛好家としては恥ずかしいことに、GW以来コンサートに行けていない。いくら家のオーディオを整えようと、コンサートホールできく生の音には到底及ばない。人工的な音だけに触れていると、音楽の完成が次第に鈍ってくるように感じる。練習にも行けていないから、実践面でも音楽と離れた生活を送っている。

 そういう中できいた演奏は僕にとって格別なものだった。演奏どうのというより、音のシャワーが心に染み入ってくる。後半になるとこういう新鮮な感動は薄れて客観的で批判的な耳が蘇ってきてしまったけど、何か大事なものを取り戻せた気がする。最近は音楽をきく気がなかなか起らなくて、暑さのせいにしては軽い室内楽や小編成アンサンブルをきいて誤摩化していたが、根本的な部分が息絶え絶えだったのかもしれない。心に栄養がもらえた気分で家路についた。

 帰りのバスでは今も合唱生活にどっぷり浸かっている後輩たちが色々と批評めいたことを議論し合っていた。実に良い光景だと思う。彼らにとってその生活は当然のことなのだろうが、いつかそうでなくなる。音楽が常に身の回りにある生活をいつまでも続けてほしいなぁ、と先輩心に思う。批評する気も起らず、ただ生の音をきくことにさえ飢える生活もあるんですから。

 以上、かなり恥ずかしいコンサート評でした。