マンガ講師事始め
●ちょっともとへ戻って、マンガ講師になったあたりの事情を書いて
おきたい。きっかけは、朝日新聞の「手塚治虫文化賞」の選考委員を
第一回から三年間やらされたときの、最初の受賞パーティで、
久しぶりに篠田ひでおさんに出会ったことにある。
彼とは60年代の終わり頃、新宿十二社池の下交差点そばにあった
スタジオゼロの頃に知り合った。古いマンガ家仲間である。当時、彼は
藤子不二雄A先生が、仕事に詰まってくるとやってきて、その助っ人を
やっていた。自宅へ持ち帰り、あっと言う間に付録一冊を代筆してしま
ったりする野球好きの青年だった。
A先生も野球好きで、よくご一緒し交流を深めていたらしい。
★その彼が、現在岐阜県に有る大垣女子短期大学で、マンガを教育する
教授として働いていると言う。
「実技の方は先生がそろったが、マンガ理論やその歴史といったことに
ついても、きちんと教えてみたいんだ」
その役には、お前がうってつけだ。遠方だが、月に二回来てくれるだけで
いいよ。どうだい?
ということを言われ、当時ひまで栃木の南那須に住んでいたぼくは、たま
には旅がてら外に出るのもいいだろうとかんがえ、気軽にOKしました。大学
は10月までに来期の予定を組むとかで、新学期までには、かなりたっぷりと
時間があった。
★それにしても、月に二回といえ一年間教えるとなると、出たとこ勝負という
わけにはいかない。やはりテキストが必要だなあと思った。
何がいいか?このとき、初めて日本には学校で系統立った「マンガ学」を
教えるための本などが皆無であることに気付いたのである。マンガ評論本
などは結構多い。だが、それは、マンガを創作していこうという美術系の学生
にとっては、あまり参考にはならない。
そこで、いろいろ考えたすえに、宝島社に電話を掛けた。
「おたくで刊行した『マンガの読み方』は有りますか。短大授業でテキスト使用
したいんです」
この本は、夏目房之介さんや竹熊健太郎さん、そしてマンガ系編集者たちが
討論を重ね、マンガ構造そのものの分析を行ったムックである。作品紹介や
評論ではない。テキストには格好のものであった。
●宝島社の返事はこうであった。
「さっそく調査してみましたら、当社には在庫はゼロです。編集部に二冊
有るのみとなっております」
「増刷の予定はいつでようか?」
「その予定は全く御座いません」
「……」
さあ、弱ったぞ!どうする!?