連絡を取るような友人、知人はかなり少ないのだか、そのうち数名がここ何年かでツインレイと言い出した。私は複数で絡むのが得意ではないので、基本はマン・ツー・マンで付き合いをする。それぞれ繋がりのないところで個々に言い出したので率の高さに驚いたものだ。


聞きかじりのため正確には把握していないけれど、元来は一つの魂だった絶対的唯一無二のお相手の事を指すらしい。想いが成就し、結ばれると魂の統合が成され宇宙の意志と繋がれるのだそうだ。そして双方、あるいは一方は既婚であることが多い。要はある程度の年齢に達してから出会うのだと思う。さらにたちの悪いことに、基本は意思確認すらできていない片思いの状態なのだ。

正直、ツインレイそのものの是非についてはどうでもいい。そういう唯一無二の繋がりを持ったお相手はいるかもしれないし、それはとてもロマンチックで夢がある。気持ちを意思で変えることは難しく、義務感だけでパートナーを続けられるほど人生は短くはない。出来る限りの責任を果たしけじめをつけるのなら、それは他人が口を出すことでもない。仮に報われないままの片思いだろうと、楽しくて幸せなのならその人にとって間違ってはいないと思う。

しかし、人は自分の信じたいことだけを無意識に探して集めてしまう。弱っていっている自分に気が付かないふりをして、無理を続け縋ってしまうほど視野が狭くなる。

ツインレイであることは証明出来ないけれど、違うということもまた証明できない。確証はえられないまま感覚を頼りに時間だけを消費する。時間をかければかけるほど執着は強くなるそれは、ギャンブル依存と同じだ。一人で抱えきれなくなって情緒不安定になり、自分だけでは自分を保てないようなところに来てもやめられない。辛い、やめたいと泣き崩れ、やめると一度決めても暫くするとまた引き戻されてしまう。まるで麻薬だ。

貴重な年月を費やし心を病んでいく友人達を見るのは本当に辛い。

ツインレイの導き手の様な事をしていらっしゃる方々が存在する。無料で発信している方もいらっしゃれば有料でのセミナーやセッション等されている方もいらっしゃるようだ。皆さま、一様にサイレント期間だとか、サレンダーだとか色々な時期や状態があるのだと言うらしい。相手が逃げたり、連絡が取れなくなるのも通過儀礼だといい成就するまで何年もかかる事もあると言う。執着が生まれやすい状況なのに執着を捨てないと成就統合には至らないのだそうだ。なので、こっぴどくふられても諦められない。執着を捨てきれていない自身のせいだと戒め、踏ん切れずに耐え続ける。余程意志が強くないと止め時など見つけられないだろう。
その上、相手が本当にツインレイなのか確認する方法はないのだ。手を繋ぐと光るとか、同じ痣があるとか、近づくとファンファーレが鳴り響くとか、本人が感覚的に感じること以外で、対外的に証明できる方法はない。
どんなに頑張っても、そもそもツインレイでなければ成就もなにもないだろう。唯一無二だからこそ道ならずも求めているのであって、ただの恋愛ではないのだから。

その方達の言っていることが嘘か本当かは正直確認しようがない。ツインレイ統合を果たした成功例としてお二人で存在し成功体験等を話されると、やはり鵜呑みに信じてしまいたくなるのだろう。実際そういった方達のアドバイスを受けてツインレイを見つけ幸せを掴んだ方もいらっしゃるかもしれない。

最初にも書いたがツインレイの是非はどうでもいいし、その方たちの活動が、真心であれビジネスであれ、私は本当にどうでも良い。正直受け手側の問題だと思うが、本当に業の深い界隈だとも思う。

私の言葉は響かずすり抜けるが、それでも友人なのだ。もう共感を模索できる範囲は超え、かける言葉もなくなり、ただ話を聞いてあげることしか出来なくなってしまった。

ツインレイと出会い結ばれればそれはとても素晴らしく喜ばしい事だと思う。その為に頑張るのも確かに一つの道だ。
しかし今が幸せでないなら、一人で立って居ることが出来ず他人に迷惑をかけてしまうのなら、それはおかしい事だと気がついて欲しい。人生の残り何年もを来るかどうか分からない成就の時に向けて苦しみ続けるのは如何なものか。わたしたちは今を生きているのだ。現実を、今を大切にできないで未来などあるものか。

物事には全て理がある。理とは法律とか常識とかそういった人由来の類のものではない。この世の摂理であり因果律だ。今を大切に楽しめない人に大きな幸せは訪れない。幸せというものは遠く夢見るものではなく、今この瞬間に感じるものなのだ。今を蔑ろにする人は目の前の幸せに気がつけない。今を見ていないからだ。ツインレイでもなんでもいい。目の前の現実を大切にして向き合って幸せに居てほしい。私にできる事はたまに話を聞く以外にもうほぼないけれど、いつかこの言葉が届いてほしいと思う。