『世の中には2種類の男しかいない。俺か、俺以外か』

現代ホスト界の帝王のお言葉。

読解力の弱い私は瞬間的に、ただの視点転換の話でなんだか当たり前の事を言っているなぁ、これがウケるという事は世の中の人は主観視点というか、自分軸が弱い人が多いのかなという印象を持った。

後で、この場合『俺以外は有象無象』という尊大なニュアンスが含まれて見えるのが面白かったのかなという事に思い至った。我ながらアホだと思う。


先の言葉は『男』についてだけれど、私は『世の中全て』を『自分』か『自分以外』かで捉えている。

物質、生物、環境、人、とにかく全て、どんなに近しくても、仲が良くても、素敵でも、素晴らしくても、大好きでも、それらは全部『自分以外』で個々の属性を認識分類するのはその後の話。

『自分』は私にとってかけがえがなく、『自分以外』は突き詰めると無くしても問題ないし、なんなら替えがきくものも多い。


命は皆平等で等しく大切に尊いと言われることがあり、これは一つの側面として正しい。

しかし、正直私個人にとって私を含めた全ての命は対等でも平等でもなく優先度がある。なんと言われてもあるものはあるし譲る気はない。それを押し付けるかどうか、どこまで出すかはまた別の話。

世界は多面的で視点が変われば価値も変わる。価値の測り方にしたって様々だ。その多面性を認識した上でどの位置からどの位を切り取るかは個々人の思想だけでなく、立場や環境などから要求されることもある。

そんな中、しがらみや忖度なく100%を制御干渉でき得る唯一の対象が『自分』だと思う。そんな唯一無二のものを、誰でもない自分自身が一番に大切に特別に扱わないのはとても勿体ないと思う。


だからといって『自分』以外はどうなってもいいとか、攻撃してやろうとか、無関心で興味ないとか、何も考えず簡単に切り捨てるとかでは勿論ない。今私は周りに居てくれる大切な人たちや今の環境があるからこそ、とても幸せだ。世界が『自分』だけで成り立つものではないと理解するから、今の『自分』の周りにある幸せな世界を形作ってくれている『自分以外』に対して、感謝があるし、できる限り守り大切にしたいし、その為に『自分』が出来るギリギリまでの事はしたいと思っている。

逆にもし現状に不満や違和感があってそれが解消されず、幸せよりも辛さが上回るのなら、必要に応じて『自分以外』の構成を組み替えたり排除することには抵抗がないということだ。


混同しやすいかもしれないが自分本位と自分軸とは別物だ。マナーやモラル、配慮といったものを持ち合わせない、自分軸しかない考え方を自分本位と言うのかなと私は思う。なので必ずセットでそれらも持ちたいものだとも思う。


例えば領地経営シミュレーションゲームだとすると、『自分』は領地。整地や、土が貧弱なら耕し肥料を与え肥沃にする事なども適宜必要だろう。土地の豊かさが基本になるのだから。

そして領地に乗っかってくるものや、それらが定着して出来るコミュニティ、文化などは全て『自分以外』。

マナー・モラル・配慮は、フワッとするけど多分その土地が持つ居心地の良い気や波動のようなもので、なんだか雰囲気が良いし気分良く過ごせるから長居しようかなとか思わせるものだと思う。


自給自足の素朴な町、高層ビルひしめく近代都市、物流盛んな商業都市、見た目艶やかな観光都市、結果できたものがどんな形態でも定着して循環し続ければその領地経営は継続するし、あわよくば発展もする。


もしも運悪く悪天候や天災で土地の上にあるものが壊れ流されてしまっても、もしくは大地の意志で自ら壊してしまっても、土地さえ無事なら時間はかかってもいくらでも再建できる。


他に上手い例えが思いつかなかったが、イメージはこんな感じだと思う。


結局何が言いたいかと言うと『自分』を世界の中心に据えて優先的に大切にしながら、マナーやモラル、配慮を疎かにさえしなければ、幸せは後からいくらでも作れるしどうにでもなるってこと。

狸の考察、おわり。