いやぁ



まいったね


英語の勉強もしようと、思った。

今のやろうとしていることの延長に、それがあるなら、というか原因を作ってしまえば、必要にさせてしまえば、取り組めるだろう。やったる。


一つの区切りがついたところで、あらたな流れができつつある。どんな流れかはなんとなくだけどわかる。一つの決意があって、必要なものが集まってくるように見えるのは、意識が変わって、選択できるように、選ぶ目がついてきたということだろう。いままで、自分に向かってくる、あるいはあったけど気が付かなかったものに気が付けて、それが実はチャンスの芽だということに気が付く。いかに、自分のコアをきちんと明確にするかが大切。


身体の反応が先で意識は思考は後から理由付けをしているにすぎないという記事を読んだが、今、こういうことを考えるのは、身体が、求めているんだろう。もう一つの仕事を立てるということ、もう自分ですべてを決めてやっていくという、仕事のスタイルを求めているんだろう。守られた駕籠のなかで、肩を寄せ合いながら同じ境遇の人とぬくぬくとやるということに飽きているんだろう。


思えば、学校に通いだしてからずっともっていた、満たされなさ、はそれだった。つねに、何かにイラついていた。もっとできるはずだとか、違う道があるはずだってずっと思ってたけど、それが何かわからずにいた。そして、無難な道、とりあえずの選択をし続けていた。環境は人のせいにし続けていた。


会社員という身分は、安心があるし、会社員至上主義は自分の中で大きな勢力を持っている。でも、これをやり続けるということに、1ミリも希望が持てない。30で会社替えたときは、会社員としての未来、職業としての理想を持っていた。でも、それは会社員を極めればできる、達成するものではないということに、6年ほど費やして気が付いた。会社員は一つの働き方のスタイルに過ぎないということ。


思えば、数は少ないけど、自分で人を集めて、何かをやる、自分でやらないといけないという状況にならないと、本気で出来ないタイプ。個性のあるリーダがいて、そのグループの中でやるということがなかなかできないタイプ。自分だったらこうするのにって常に考えて思ってきた。


自分ですべての責任を取れることの清々しさ。爽快感。これがやっとわかってきた。モノやハコではなくて、スタイル。そのスタイルでいくと決めることができた自分の決意に乾杯。まずは、回るようになるまでが勝負。とりあえず、会社を作るか。1円起業だ。


なんというか、やるしかない。自分の内面の意識を追い込むことはいくらでもできる。いや、追い込むというか、変えることは自由。いくらでもできる。そして、そこを変えれば結果や環境がいくらでも帰ることができるし、自分にやってくるものが変わってくる。



僕からは以上。