すっかり忙しい身になってしまい、更新をサボりまくっています。まぁ、もう更新するようなと別段特別なものがあるわけでもないのだけれど、気になってしまって…  あと少しの間、ちょろちょろと続けようかなと思っています。


 さて、今回は各国で食べた、その土地の食べ物を紹介していきます。まずはアジア編から。国別に紹介していきませう。


タイ】 旅の始まりのタイ。やっぱりアジアの食べ物はなじみ易い。


   定番中の定番パッタイ&シンハビア
パッタイ&シンハビア

 これは定番中の定番「パッタイ」です。米粉の細い麺を野菜と一緒に炒めて、ナンプラーとかそんな味付け。付け合せのピーナッツを入れて食べたり、さっぱりとライムを絞って食べるとまたイケる。そして忘れてはならないのが「シンハビア」。タイビールの中では割高な部類だが、やっぱり味は一番だと思います。安めの「チャンビア」や「レオビア」ではやっぱりどうも…男は黙ってシンハビア。


 何の魚か知らんけど、魚の香草煮込み
魚の香草煮込み


 9月に出会ったKさんのおごりでちょっと豪華なお食事。白身魚にたくさんニンニクやライム、香草の香が移り、ホロホロとした少し油の乗った魚がちょうどよくさっぱりして美味しゅうございました。このほか、手長海老の焼いたものや、カニチャーハン、もちろんシンハでやっつけました。束の間のぜいたく…食い溜めせねばと遠慮なく行かせていただきました。


 プーパッポンカリー(カニのカレー炒め)
問題の合コンにて…

 タイへ来たらコレを食べろと言われている?(知らなかったけどね)プーパッポンカリー。ま~高いですよ。普段の一日分の食費くらいのお値段ですが、やっぱり美味しい。数回食べましたが、路上で蒸し暑い中でシンハでやっつけるのが何よりも楽しみでした。オバちゃんたちとの合コンでもしっかりメインディッシュとして登場(タイ編参照)…ま、美味しかったから良いか。



【ラオス】初めての国境越えでドキドキしたラオス。人々が穏やかで、食べ物も美味しい。


   お粥 朝食にいただきました。
ラオスのお粥


 東南アジア一帯の定番のお粥。ちょっと高めだったけど、海老や何やらのダシがすごく濃くて、トロトロのスープのような感じ。ビアラオで荒れたお腹にはすこぶる優しい飲兵衛の味方。ライムを垂らすとまた味が変わってさっぱりします。


   カオピャック(おこげ入り米粉麺)
カオピャック ラオス

 こちらはラオスならではの麺料理カオピャック。さっぱりしたスープに米粉麺、そしておこげが入っています。おこげを崩しながらスープにつけて食べるとカリカリとして美味しい。スープを吸ってフニャフニャになったのもまた美味しい。天ぷらみたいなものでしょうか?ラオスの料理はなんとなく辛いものが多かったような…そのほかドブロク「ラオラオ」や焼き鳥、ビアラオも美味しかった。



【ベトナム】日本でもおなじみベトナム料理。食べ物のことで頭がいっぱいでした。


  ベトナム鍋。色々な香草や肉などを入れて。
ベトナム鍋

 フエにて、S嬢お別れ会にベトナム鍋屋さんに行きました。色々な具を入れて、香草などもいっぱいで、ちょっと変わった香で美味しかった。やっぱりたくさんの人と一緒に食べる食事は、一人の食事よりも美味しい。宿のネエさんが鍋奉行になってくれて、いろいろ教えてくれました。牛肉はあまり火を通さず!

その他、カエルの揚げ物や、海老やら何やら、たくさんのごちそう。美味しゅうございました。


  ちょっと暗いけど、ホワイトローズ
ホワイトローズ

 こちらもベトナム料理で有名なホワイトローズ。小さな港町、ホイアンにて。タイで出会った人に「美味しいから絶対に食べてね」と言われ、ものすごく楽しみにしてたのですが、それほどでもなかった。なんでだろうか?やっぱりケチったらいかんということでしょうね…ベトナムの旅程は本当に食べ物との戦いだったような気がする・・・(ベトナム編参照)


  ホビロン ふ化しかけのアヒルのたまご
ホビロン

 ゲテモノ系です。よくテレビとかで見ていたふ化しかけのアヒルのたまご、ホビロン。食べるかどうかかなり迷った挙句、「やっぱ食べなきゃダメですよ」の一言に「じゃあホビロン一丁!」と威勢よく頼みました。当たり外れがあるらしく、私が食べたのは何と当たり。当たりには漏れなく形成されてきた「骨」が入っとります…いらんわ!味は白身と黄身を混ぜて茹でたという感じでしょうか?少し匂いがあるが、こんなもんかなという味でした。すぐにビアホイで胃に流し込んでいたのであんまり味わっていません。この他、アサリの蒸し物や何やらいっぱい酒の肴が。ベトナムで特に美味しかったのはコーヒーです。かなり濃い目のコーヒーにコンデンスミルクの甘さがまた合います。香もすごく良かったです。


 さて一回目はこれにて終了です。【カンボジア】編も作りたかったのですが、写真撮ってませんでした。バカだなぁ。結構ネタがあったのに…カンボジアでは宿代よりも高かったカニや海老の卵と言って食べさせられたヘビの卵、カンボジア女学生御用達の鉄板焼きうどん&タピオカジュースなど、美味しいものがたくさんありました。(カンボジア編参照)


 次回はまた異国のお宅へ参ります。というわけで、ヨ○スケでした。(ウソウソ)

 楽しかったタオ島から喧騒の町バンコクはカオサンに帰って来ました。やっぱりダラダラの雰囲気がちょっと違うなぁ。それはそれで良いんだけど…


 カオサンに帰ってきて一日目は疲れもあり、やっぱりダラダラ。翌日に昨年9月にカオサンの宿で知り合ったKさんと会うことになっていたので連絡を取ってみることに。Kさんは私と違ってりっぱにお勤めされているお方。忙しい日程を調整して年に1,2回ほど東南アジアに旅行に来るとのこと。そんなKさんの携帯電話に連絡するも中々つかまらない…う~ん、おかしいなぁ…ま、こんなこともあろうかと夜まで待って、連絡して、やっとこさ繋がって、翌日の夜に会うことになりました。

 翌日Kさんの弟子のWさんと一緒に晩御飯を食べながら、これまでの旅のことなどを話しました。早いもんだな…数ヶ月前に会い、結構経ったように思うのですが、なんのなんの、思い返してみると、なんて短いものだったのだろう…本当に時が経つのは早いものです。一通り話をを終え、明日の便で帰ってしまうKさんWさんを見送り、宿に帰るのでした。結構前から会う約束をしていましたが、あっさりしたものです…まぁ、しゃーないか…


だらけパグ
毎日がこんな感じ。ダラけきっている…

 翌日からはダラダラ生活を再開。朝は比較的早く起きるのですが、それから朝ごはんに10バーツラーメンを食べに行き、お昼まで適当にぼっーとして、昼になると散歩に出掛けたり、バスに乗って都会に出掛けたり、それくらいでしょうか?夜になるとまた晩御飯を物色して、宿の人たちと話したり、クラブに行くという人たちについていったり、ダラダラを絵に描いたような生活をしていました。やっぱりカオサンはダラダラの魔力を秘めた通りなのです…。

 そして「やっぱりカオサンだ」ということもありました。トルコのツリーで会った夫婦旅をしている人たちに偶然ばったり路地で会いました。だって屋台で汁を啜っているんですもの…向こうも気づいて、「おぉー」となって、一緒にご飯を食べさせてもらいました。往々にしてこういうことがあるもんなんですね。これもカオサンの魔力の一つ。


 また変化の無い日々が続いてきたので宿で知り合ったMくんと一緒にスネークファームに行ってみることにしました。以前もバンコクに来たのに結構行っていないことや、やっていないことが多いのです。なんとかスネークショーに間に合って、色々な蛇を見ることが出来ました。おじさんが蛇を色々持って見せてくれるのですが、蛇が威嚇して何度も噛まれそうになって危なっかしい…大丈夫なのか?そしてお待ちかねのニシキヘビの首巻き…観客のほとんどがニシキヘビを首に巻いてもらって記念撮影していたので私とMくんもしっかりとやってもらうことに。ヘビ…すごく重たいんですね。体重20kg以上あるんではないでしょうか?首に巻いている間もウネウネ動くし、絞め殺されるんじゃないかとちょっとビビッたりもしました。バッチィので、手は洗っておくよーに。


ヘビと格闘
スネークファームの兄さん。毎日こんなんやってます。

 翌日もMくんと一緒に近くの仏閣を見に行きました。暁の寺、ワット・アルンもしっかり見てきました。夕暮れ時になると夕焼けに照らされて、チャオプラヤー川の向こう側が赤く染まっていく…綺麗でした。夜は夜で、またクラブに酒&ダンス(跳ねてるだけ)に行って、「ふ~ん、こんなものなのかなぁ?」と思いながら跳ねていました。やっぱり、どうも自分は「クラブ」というもの、夜のお遊びは向いていないんだなと実感しました。騒がしい中で踊ったりして、何が楽しいんだろうか全然分からん。それよりはボッーとお酒でも飲んでいるほうが楽しいと感じる私はやっぱり日陰の人間なんでしょうか?そんなことを以前も思ったりしたのですが、結局はそんなこと思っても思わなくてもどっちでもいいんだろうな…自分が良ければそれで良いんだと思うようになりました。


 そしてさらに翌日、いつものように午前中を過ごし、またMくんと一緒に今度はチャイナタウンに行くことにしました。それはそうと、なんとバンコクに地下鉄が出来ていたんですね…さっそく乗ってみると、これがめちゃ寒で凍えそうでした。冷房効かせすぎだ。

 毎度、方向音痴な私はまたまた迷って、Mくんと共に歩き回りました。途中の屋台で「まぁ座っていけ、まぁちょっといいから」とオバちゃんたちに捕まってしまい、なぜかビールを開けてくれて、なぜかイスが出てきて、車座になってビールを飲むことになりました。「おいおい、やばいんじゃねーのか?」とMくんと私はオバちゃんを警戒しながらビールを飲み(これが結構開けたんですよね…)、オバちゃんたちはなぜか”上を向いて歩こう”を歌いだし、訳分からんけど、まぁ良いかと一緒に飲んでいました(いつのまにかちょっと人数も増えてたけど…)。


 しばらくして、「そろそろ行くわ」とオバちゃんたちにお礼を言って(ビールはタダでした。やったね)、「チャイナタウンはどっち?これからプーパッポンカリー(カニのカレー炒め)を食べに行くんだ」と尋ねてみると、「いい店連れて行ってあげるわ」と先導してくれました。私たちは「結構いい人たちだ」なんて思って、着いていき、そのお店まで到着。「チャイナタウンは夜の方が良いから、先に食べていきなさい」とその店にオバちゃんたちも一緒に入っていきました…あれ?オバちゃんたちも食べるの?


 というわけで、私とMくんとオバちゃん2名の合コンになりました…(なんだこれは?) とりあえず、目的のプーパッポンカリーを注文し、いくつか適当に注文。しっかりオバちゃんはビールを何本か注文しているし…いくつか料理が運ばれて来て、途中でなんか下から炭火で温めている魚まるごと一匹のスープみたいな、いかにも高そうなやつも運ばれてきてるんですけど!? ちょっとオバちゃん!? ここで日本語は分からないだろうからと、オバちゃんたちを前にMくんと作戦会議。「これ、高く付きそうだよね…やばいよね…」と… まーね、この前にビールをたくさん奢ってもらっているということもあり、ここは私とMくんと二人の奢りということで…。まぁ、少し値段が張りましたが…まー良いですよ…我々の奢りだ…食べてくださいよ…我ながらやっぱりあほだ…


問題の合コンにて…
プーパッポンカリーです。オバちゃんたちは遠慮がちに食べてました…

 まー、良いですよ!こんなんもありですよ!別にボッている様子も無く、晩御飯を奢らされたかなという感じですかね…オバちゃんたちもちょっと遠慮がちに食べていたし(カニなんて全然手をつけてなかったし)、まー、良いですよ!帰りに花売りから花の首飾りならぬ腕飾りを勝手に買わされたりもしましたが(なにしてんねん!オバちゃん)…まー良いですよ…… 途中までオバちゃんたちに送られて、宿路につくのでした…宿に帰って、しっかり皆さんに報告。「花の腕飾りなんかして帰ってきてやんの」とバカにされました(涙)。馬鹿が… まー良いですよ…ビールたくさん開けてくれたし、ネタもできたし…まー良いですよ…


 そんなこともあったカオサンライフ…日々をダラダラと過ごしていたら、あっという間に日々が過ぎていきました。いつものように朝の日課である朝食後のマッサージをしてもらい、シェイクを啜りながらボッーとしていたら、またまたヨーロッパで幾度と会ったCさんに会うことになるとは…と言っても、彼女はこの時期に東南アジアを旅行すると言っていたのですけどね…まぁ、それにしたって同じ宿で会うこたないでしょうね。まぁ、集まるところが皆一緒だということでしょう。なんて狭い世界なのでしょうか?お互いにこれまでの旅行の話をして、それぞれの日課をこなし、中略しますが…夜になり、女性であるCさんの「社会経験のため行きたい」という、夜のお遊びに行くことになりました。いや~、色々と話は聞いていましたが、すんごいですわ。絶句です。一緒に行ったCさんとはほとんど話さなかったのですが…まぁ、凄かったとしか言えません。熱そうだったなぁ…痛そうだったなぁ…すんごいなぁ…


 実はCさんを連れて行ったのは2回目で、この前日(ということは2日連ちゃんです。アホなのか?)にも行きたい行きたいと言っていたら、ちょうど姉さん2人が行くというのでしっかりとついていったのです。色々とショーを見て、次の店に入ってすぐにポリスのガサ入れがあり、メインのショーが始まる前に追い出されることになったのですが、これがまたまた事件勃発でした。


 客引きに連れられて入ったその店で、ショーを見せるからとお金のことも交渉済みだったのですが、急な展開(ポリスのガサ入れ)で、店から追い出され、しかしお金は要求され…まぁ、メインは見れなかったけど、1時間近く居たからいいんじゃねーかと思ったのですが、姉さん2人が大激怒…金を払うだ、払わないだで、もめるわもめるわ…向こうの言い分は「これはイレギュラーだから仕方が無い」。方や姉さん方は「ショーを見せるからと言ったから入ったんだ。見れなかったら金は払わない。」とどちらも引かず、この後一時間くらい店の前でバトルが展開されました…最後には帰れ帰れ(向こうが諦めた)となりましたが、私はなんだか申し訳なくて、少しだけ店の人にお金を握らせました…まぁ、1時間分くらいは払っとかなきゃいけないかなと思ったし、ビール代もあるし…そんなに怒るほどの額でもないんだけどなぁ…甘いのかな?

 帰りのタクシーも捕まえるのも、深夜料金で高いとか何とか…ここからならいくらで帰れるはずだと、姉さん方はかなり頑張ってくれて、帰るのにもやはり1時間近くかかりました。この日は精神的にも肉体的にもちょっと疲れました。やはり、これくらい強くなくてはやっていけないのだろうか・・・強い、強すぎるよ姉さん…


 ふ~、そういえば、こんな事件もあったけな…結局、バンコクには計2週間近く居たことになります。その間、ダラダラしてばかりで、特に何かを見たとか、何かしたという訳でもなく、ただただボッーとしていました。他にも少し事件もあるのですが…この頃には自分の旅行にも少し疲れていた頃でもありましたし、もう大体のことは決まっていたのでした。


暁の寺・ワットアルン
まるで出家したかのような心境でした。ウソウソ…


 宿のメンバーとも夕飯を共にしたり、色々な話をしたり、楽しいときを過ごしてきたのですが、そのメンバーも時期を同じくして、一人、また一人と新たな地へ旅立っていきます。そして私もそろそろと旅経つ準備を始めました。思い返せば色々あったようで、そして、やっぱり思い返せば、それはすごくあっという間の出来事だったような気がします。

 そう、私の旅もここまで。そろそろお家に帰る時期だとこのときは思っていました。今から思い返してみても、そういえば、いろんなことがあったんだと懐かしい気持ちでいっぱいになります。初めての海外もバンコクだったし、そして今回の始まりの地もバンコクだった。何にも知らない、何をしようと思っているのかも分からなかった私が、今はまた、この地にいるんだなと不思議な気持ちでした。そして、終わっていく私の旅行も、この時は、感慨などはまったく無く、むしろ、帰ってから何をするのだろうか、どうなっているのだろうかと、先を向いているのでした。


 私の旅はここで一旦終わりです。思えばいろんなことがありました。いつ、何をしたか、どんな気持ちでいたか今でも鮮明に思い出せます。でも、懐かしんでばかりではありません。帰ってくれば、こちらの生活があります。そしてこれから先だっていろんなことがあるはずなのです。この旅行で何か変わったかと言われれば、何も変わってはいません。ただ、少し余裕ができたのでしょうか?いろんなものにも興味を持つようになったことでしょうか?さほど何も変わってはいません。ただ、自分の好きなことが出来た。それだけで満足です。

 私の旅は一旦ここで終わりです。でもまだまだこれから先、何があるのかは誰もわかりません。これから先もまだ私の人生の旅は続くのです。まだ始まったばかりなのだから、楽しくいこうと思っています。また、こんなことが出来たらいいなと思う今日この頃です。ではではここらで終わっておきましょう。再見

 最近は純粋に忙しく、更新する時間がなかなか…いい傾向なんだろうなと思います。早く溜まった分をやっつけないと時間と共に熱も記憶も薄れてしまう…。


 イスタンの町を去り、アタティユルク空港… もうトルコともお別れなんだ…もうそろそろ私の旅行も終わりなんだなと、感慨に耽りながら飛行機に乗り込みました。カタールで2時間待ちのはずが乗り継ぎ便の遅れで、結局6時間くらい待たされ、翌日、ようやくタイの空港に着きました。

 って、ここはどこじゃ!本当にタイの空港なのか?ここは?すごくキレイな空港で、本当にここがタイの空港か?と思うほどキレイ過ぎて…どうやら新空港が出来たみたいね。全っ然前と違っているんですが…。初めての海外旅行もタイだったのですが、薄暗いドン・ムアン空港に着いた時の衝撃はけっこうなものがあったのだけどな…。今はすっかりキレイになってしまって…なんだかちょっぴり味気ないような気がします。やっぱり東南アジアといえば、あの肌にへばり付くような蒸し暑さと、裸蛍光灯の怪しい薄暗さじゃないかと思うんですが…


 そんな風に驚きながらも、カタールの空港でツリーで同じだったという(覚えてなくてごめんね)男の子と会い、一緒にカオサンのゲストハウスまで行くことになりました。しかし…やっぱりタイはすごいわ。なんてったってコンビニがあるもんね。ファミマだもんね。品数がものすごい豊富だし、こんなんいらねーと思うものも売ってるもんね。すげー国だな。

 一時間半くらいでカオサンロードに着いて、宿も確保し、一緒にちょっと遅いお昼を食べることに。私はやっぱりタイ料理と思っていたのですが、彼のリクエストで日本食を食べることになりました。日本食を別段探さなくても食べられる…こんな国、他にあるのか?しかも、ご無沙汰の豚が食べられるよ!あぁ、何日ぶりの豚肉だろうか?イスラム圏では豚肉はご法度ですからね(エジプトで話した日本で働いてたオヤジの好物はトンカツって言っていたけど…)。メニューも日本語で書いてあるし、とても海外にいるとは思えません…こんなんで良いのか?

 

 まぁ、旅の疲れもあろうかと、少し休憩がてらダラダラダラダラダラダラダラダラダラ…終始ダラダラでした…本っ当に何にもしてません(汗)。マンガ本を読み漁ったり、お腹が空いたら近くまでお散歩がてら出掛ける程度…その他はずっと宿周辺で何にもしない状態でした。何してんだか…。カオサン周辺でもう用は足りてしまう…そんな便利さがダラダラに拍車をかけます…。

 ちょうどエジプトのサファリで会ったKさんと同じ宿でまたしても会い、本当に世界は狭いなと感じながらKさんと共にダラダラでした。本当にこれではイカンなぁ…と思い、またここで会う約束になっているKさん(また別の人)との日まで余裕が少しあるうちにどこかに行っておこうと考え、動き始めたのがタイに着いてから4日目くらい…その間はなーんもしてません。ウィークエンドマーケットに行ったくらいかな?そんなんでした。


タオ島昼寝犬
これくらいダラダラでした…


 これではイカンと一念発起した私はせっかく暖かい国に来たんだからと、早速タオ島行きのチケットを値段の比較検討することもせずに買って(もっと安く買えていたのに…)、早くこの状況を脱しないと!と宿を後にしました。


 バスに乗り、数分でファランポーン駅に着いて他のお客さん待ち。そういえばこの駅…初めて海外旅行したときに、訳も分からず迷いまくっていたのだった。懐かしいなぁと思い返していたら、いつの間にか寝てしまって、気が付くとタオ島行きの船の乗り換え地点に来ていました。夜も明けきらない早朝、船に乗り込みタオ島へ。船が揺れまくっていたが、それも楽しい。

 船はまもなくタオ島に着き、ここからまた宿探し。久しぶりに宿を探すというのもまた新鮮でした。客引きが「家に来い来い」といろいろパンフレットを見せてくれるのですが、一応行き先は決まってるんだな、これが。地図を片手に宿探し。目的のところはちょうど島の反対側。船着場からソンテウに乗っても良かったんですが、けっこう散財したし、歩いていこう。

 重いバックパックを持って炎天下の中、歩くこと小一時間…宿に着いて、さっそくダイビングの申し込み。話を聞いてみると「船着場から客引きのソンテウに乗ってタダで来れたのに…」。 …。そうですか…。無駄に汗をかいた訳だ…。ぐすん、ばかみたい。


 翌日からはダイビング講習を受けることになりました。ここではしっかり「健康上問題ありません」とウソを言って…。紅海では気を使って本当のことを言ってしまって後悔したのですが、今回はどうしてもやりたかったし…。後で本当のことを話したのですが、まぁ大丈夫でしょ?ということで問題なく講習を受けることが出来ました。(フルマラソン走れるくらいだから大丈夫なんだよ!)

 ま、明日の朝は早いし、とりあえず初日はゆっくりとビーチにでも行ってダラダラするか。道路があんまり無いから静かで、カオサンの喧騒から離れてみるのも良いかななんて思うのです。物価がちょこっと高いのが玉に瑕なのですが。孤島だし、しゃーないか。


ロティにーやん
ロティ(クレープみたいなの)をオリジナルダンス?しながら作ってくれる兄やん。
そのエンターテナー精神にやられた…


 そして翌日は待ちに待ったダイビング。ちょうど同じ時期に来ていたTさんとインストラクターのHさんと私の3人で潜ることになりました。船に乗ってポイントを目指します。小一時間ほどでチュンポーンというポイントに着きました。ここでまずは2人ともブランクが空いているのでチェックダイブをすることに。いや~、久しぶりのダイビングなので準備の仕方などすっかり忘れていましたが、まぁどうにでもなるものです。すぐに準備を終え、いざ海の中へ。


 ボートからのダイブは初めてだったのですごくドキドキしました。水温はちょうどよく、ゆっくりと海底まで下りて行き、まずは基本を確かめます。中世浮力やら何やら、いろいろやらされて、あっという間に小一時間ほど経ってしまったようです。午前のダイブは終わり、午後からももう一本、今度はトゥクトゥクというポイントまでまた船で向かいます。このポイントはその名の通り、トゥクトゥク(三輪タクシー)が沈んでいるポイントだそうで、誰がこんなもん沈めたんだかと言いながら、3人で潜りました。水中でトゥクトゥクを運転するフリをしてみたり、いろいろと楽しめました。やっぱり水の中は最高です。まぁ、透明度はまだまだシーズンが始まったばかりで低かったのですが、それでもやっぱり良いものでした。


 さらに翌日からは私は次のレベルの講習を受けることになりました。本日は海に潜らず、陸でお勉強です。一人、ピーナッツ入りのシェイク(美味いんだな、これが)を食べながらお勉強…本当に集中力がなく、飽きたらすぐに散歩したり、海に入って遊んだり、夏休み中の子供か?と思わず言いたくなるほどお勉強しない私。三つ子の魂、百までってか?


こんなにのんびりしてます
こんなにのどかなんですから…

 次の日からはしっかりと海の中で講習。選択科目がいくつかあり、水中写真なんてものもありましたが、透明度もそんなに良くないし、追加料金高ぇーし、というこことで、タダでまだ面白そうな”魚の見分け方”を選びました。スケッチセットを持って、いざ海の中へ。3種類の魚の特徴を絵にするという課題もしっかりとこなし、事前に図鑑でお勉強したギンガメアジの群れやきれいな魚たち(名前忘れた)の大きな群れを見ることが出来て、大興奮でした。

 船に上がってT先生に課題である絵を見せると、「すごい絵ですね…」とびっくりされました。ンマー、下手クソですよ。まるで幼稚園の子が書いたような絵で、とても人様に見せられるようなものではないのですが、課題ですからしょうがないです。一応特徴はちゃんと見て書いたつもりなのですが、1匹だけ分からない魚がありました。絵が下手過ぎなんでしょうか…?

 二本目はコンパス移動ということで、普段から方向音痴の私にはかなりの難題ですが、”一応”クリアして、残り時間はまた遊ぶことが出来ました。いやいや、やっぱり楽しいですよ。見たことのない魚がたくさん居て、小さな水玉のエイやゴマモンガラ(英名トリガーフィッシュ。ちょっと危険)を見たり、やたらといたずらをして指を噛まれそうになったりと、水の中でも子供に返ってしまいます。


 さらに翌日は水深30mまで潜り、訓練用の柵の中を泳がされたり、ナイトダイブもしちゃいました。先生が話していたように、夜の海はまた別物で楽しいということだったのですが、これが本当に楽しかった。バラクーダ(オニカマス)の捕食シーンを見ようと二人でバラクーダを追いかけ回し、バラクーダの近くに居る小さな魚をライトで照らしてやると、それに気づいたバラクーダが襲いかかっていくというシーンを見ることが出来ました。何度も捕食に失敗してションボリしている魚を見ると、妙に可愛くて、でもしっかりと捕食すると、どうだという顔をしているのが面白い。他にも寝ている魚を突いたり、サメも見たり、あぁ、なんて楽しい竜宮城でしょう。水面に上がるとちょうど半月がキレイに空にぽっかりと浮かんでいるし、やっぱ良いわ~。ダイビング始めてよかった~。


 そもそもダイブを始めるきっかけは学生のときに映画を見て、こりゃ沖縄に行くしかないとか言って(当時もオカシカッタ)、ブラブラして、離島の海でパンツで潜ったのが始まりでした。今でもあの時のことは忘れないのですが、透明度が断然違っていました。水中なのに、こんなにはっきりと景色が見えるものなのかと、声を失うほどの衝撃で、今でもあの海を越えるほどきれいなところには行ってません。また行きたいなぁ。


 そんなこんなで無事に講習も終わり、残りのタオ島ライフを楽しむことに。T先生ありがとうございました。

少し離れたビーチをブラブラと散歩しながら写真を撮ったり、貝殻を拾ったりと、ここに誰かと来ていたらなぁなんて考えたり…。静かなところはやっぱり考えることが多くなってしまいます。一人だから余計にかもしれません。旅の間中、考えることなんて同じようなことばかり。あ~あ、成長しないでやんの。


タオ島ハイビスカス
う~んトロピカ~ル。

 Kさんと会う日も近くなったし、タオ島はここら辺で去ることになりました。帰りの船は大しけで揺れに揺れて、波がもろにかかるわ、浸水するわ、周りではゲーゲー履いているわ、もう大変なことになってました。2時間の地獄を見た…。それからバスに乗り込み、パイレーツ・オブ・カリビアンのビデオを見ながらひた走り、無事カオサンに到着。「ちょっと出掛けてきました」という感じのショートトリップはアクティブに動いた分楽しいものになりました。


タオ島ココナツ
どこから流れ着いたのでしょうか?(すぐそこにヤシの木が…)

ああ、更新を大分とサボっている。。いつも言い訳にしていることなんですが、いろいろと忙しいのよ…余計なことばかり考えたりして全然書く気にならない。ほとんどは怠惰が原因なんですが、なーんか今はそんな気分ではないのです。

 しかし、友人からの知らせを聞いたりすると、頑張っているんだなぁ、どうしているんだろうなぁといろんな意味で励まされます。旅で出会った人々、こちらでの友人、みんな同じく今日の日を生きているんだろうな……さぁ、少しは冒頭の前フリも稼げたし、そろそろ本題に入りませう。


 前回から、馬鹿の一つ覚えのようにお腹が痛いお腹が痛いと言い続けてきたのですが、病院で薬をもらうとすっかりよくなり、やっとこさイスタンライフを満喫できることになりました(やったね!)。今回もまた食べ物ネタです。

 今まで食べるとお腹が痛くなるという症状で、満足に食べることが出来なかったツリーのシェア飯が美味いの美味いの。イスラム圏で豚肉が食べられないこともそうなんですが、これまでずっと同じような物ばかり食べてきた私にとって、ここのシェア飯(ほぼ日本食)は本当に癒されました。何しろ寿司(ありえないでしょ)、カツオのたたき(手作りすんの)、ギョーザ(皮から手作り)、チキンカツ丼&豚汁風みそ汁定食(スーパー美味しい。Yさんありがとう!)、ちらし寿司(可愛いらしいな)、うどん(スパゲッティで代用です)などなど、こんなにはっきりと覚えているほど衝撃的な献立で、しかも美味いの。安いの。早くはないんだけどね。

 


そんな天国のようなツリー生活もやっぱり寒さ(考えてみりゃ北海道と同じくらいの緯度)と生活の単調さから、だんだんと何かしなくてはな…と思い始めてきました。と同時に、今月末(1月末)に会う約束をした人がおり、その人と会うため、また移動しなくてはならない期日も迫っていました。腹痛も治ったし、チケットゲットとイスタンでやり残したをしようとダラダラ生活からの脱却を図ることにしました。

 そんなことを思っている中で、これまたものすごい異彩を放つ、○ンラディンことNさんのお誕生日がやってきました。無銭旅行のKさんらの計らいでビン○ディン、もといNさんに「お誕生日おめでとうムービー」を作ろうという話が持ち上がりました。そして端を発すると即実行の人々はデジカメ&PCを用いて一人ひとり、Nさんにメッセージを送ることに。もちろんNさんには内緒で作っているんですが、薄々は感ずいていたんではないかとも思うんだけども…やっぱり内緒なのです。でもやっぱり分からなかったろうな…

 その日の夕飯にはカツオのたたきとバースデーケーキ&みたらし団子でNさんの38歳の誕生日をお祝いすることになりました。ケーキを食べながらおめでとうムービーを皆で見て、Nさんは今まで一番楽しい、嬉しい誕生日だと言っていました。私なんて特に何もしていなかったんですが、Nさんが本当に嬉しそうで、本当に良かったなと思いました。たまたま時期が重なり、いろんな人に出会い、こういうことに遭遇するというのがやっぱり良いです。そんなことを思いながら、Nさんの誕生日会も終わり、寝るまでの間は皆はまたマンガを読んだり、話をしたり、私もタッチを読破しようとまた頑張るのでした。


お誕生日おめでとう
本当に嬉しそうなNさん

 翌日はチケットを買いに代理店を物色しました。どこも高ーなと思いながらも、仕方がないので買ってしまうことにしました。始めないと終わらないのですよ、こういうのは。これでイスタンを出る日は決まってしまったな…そういえば、結構長居しているんだよな…中には年末から一月近く居る人もいるようですが(N教授)、私もだんだんと長居組になってきているような…まぁ、まだ一週間ちょいなので、まだまだ甘ちゃんですがね。

 それに長居組の皆さんもそろそろ動き出そうかというところ。日本人特有の年明けのお祝い&ダラダラムードもそろそろ終わりというところでしょうか?少し宿の空気が動いている感がありました。

 この日はT/Cを現金化してチケットを買い、残りはイスタンライフを楽しもうとグランバザールやその周辺の鯖サンド、ムール貝や小鰯のフライで一杯やっつけたり、いつもとは反対方向に行ってみたりと一人でブラブラと町を歩きました。たまに一人になってみるとまたそれはそれで良い。でもやっぱり人と一緒にいるときも一人では味わえない楽しみがある。一人になりたかったり、一緒にいたかったり、わがままな性格だ…寂しがりの嬉しがりほど手に負えないのは分かってはいるんだけどもね…


 そしてさらに翌日、いつも暇だ暇だとボヤいていたのですが、昨日の夜にYくんと約束していた「イスタン乗り物ツアー」を催行しました。参加者2名(私とYくん)で一日仕事のこのツアー(勝手にツアーと言っているだけ)。実はイスタンは魅力的な乗り物がたくさんあるじゃないかとの話になって、じゃあ乗りまくってみようぜということで、やっちゃいました。○るぶトルコなどベタに読んで情報収集する念の入りよう…女子か?…食べたいものや行きたい所とかチェックを入れていざ出発です。


 アクビルというトルコ版icocaやsuicaのような、まぁデポジット制のアレですよ…なんていうんだろ?便利な切符のようなやつを買って、まずはボスボラス海峡に架かるガラタ橋を歩いて渡り(トラムに乗れ)、世界一短い距離を走る地下鉄テュネルに乗りました。テュネルは最初の加速はすごいものがありましたが(でもまぁ、大したこたない)、最高速度まで一気に上がるとそこからは30秒ほどで終着駅(一区間しかない)に着きました。そもそもこのテュネルが出来た理由は新市街の中心地までは坂がキツイからとのこと。その坂をテュネルで一気に丘の上まで上ってしまって、出口からはすぐにレトロな路面電車(トラム)の駅に。

 レトロなトラムを待っている間、近くの楽器店を物色したり、お土産を見たりと…。トラムに乗って新市街の真ん中をゆっくりと行きます。大通りの両端にはいろんなお店が軒を連ね、若者の町ですね。終着駅の何とか広場に着いてから、次の乗り物に乗り換えます。


 次の乗り物のバスに乗り換えて、目指すはオルタキョイ。○るぶによれば、’オルタキョイはトルコの原宿’らしい…まぁ、若者の町ということですかね…とにかくバス停でオルタキョイ行きのバスを捕まえなくてはなりません。おじさんにあのバスだと教わり、二人してバスに乗り込み、渋滞に捕まりながらも一時間弱くらいでオルタキョイに着きました。本屋に入って寄り道したり、間違った道を教えられて高速道に出たりしながらも、無事オルタキョイに着きました。

 のびーるトルコアイスのドンドルマを食べながら、ウィークエンドマーケットをぶらぶら。○るぶを見て食べたいと思っていたホクホクじゃがいもの上に色々と具をトッピング夕したクンピールを食べて、色々と物色して周り、夕方近くになって、いろんな写真を撮ろうと少し別行動して写真を撮りまくりました。しかし、ここはカップル率が高いですな…さすがはトルコの原宿…あっちこっちで見かけます。ボスボラス海峡にかかる橋に明かりが点り、デートスポットにぴったりの町ですね。あー羨ましい…


オルタキョイの夕暮れ
夕暮れの中のカップル in オルタキョイ


 そんなオルタキョイを歩いていると後ろ足の片方が無い犬を見つけました。そして、その犬に挨拶してみると、「うぅ~」と唸って、全力でこちらにダッシュしてきました!すごい剣幕で怒っているので、こちらも逃げるじゃないですか…怖かった。犬に追いかけられるのも久しぶりだ。そういえば、前も追いかけられたことがあったっけ…と、小さな事件もありました。

 それからYくんと合流して、お土産を買い、そろそろ晩御飯だし帰ろうかと(子供か?)、オルタキョイを後にしました。少し歩いて今度は船に乗って帰路へ。2回ほど乗り換えてガラタ橋のほとりのカドキョイに着きました。


 「あぁ、帰ってきたね~」と遠出から帰ってくるとやっぱり見慣れた風景に安心してしまいます。そして乗り物ツアーは締めもやはり乗り物でということで、トラム(レトロではない)でツリー(宿)の近くまで乗って帰ることに。結局、この乗り物ツアーでは全部で5つの乗り物に乗ることになりました。久しぶりの遠出で、見慣れた風景から抜け出してみるのもいいものです。


 そしてさらに翌日は乗り物ツアーズのYくんはボスボラス海峡クルーズに出かけ、私も行きたかったのですが、ビザ取りのために断念。朝から新市街に行って、鬼のように迷いまくって閉館時間ギリギリでゲットしました。別にビザを取る必要はないのですが、宿の管理人Hさんいわく、空港で追い返されることもあるかもよとのことで、ビビリでヘタレな私はチケット代を無駄にするわけにはイカンと、一応はビザを取ることにしたのでした。雑居ビルの3階か4階にあり、そりゃ迷うわ。他の国の領事館は大きくて国旗も立ってるから分かるんだけど、地味すぎるわ。別に知らない国でもないのに…探しまくって汗かいたわ。

 と、まぁ用事を済ませて、久しぶりの一人の時間。久しぶりでもないか…新市街をウロウロしたり、海を眺めたり、お昼ごはんもトルコっぽいもので美味しかったし、イスタンライフは本当に楽しいものです。あの町怪しい雰囲気が何だかいいんですよね。


 Yくんに遅れること一日、私もボスボラス海峡クルーズ船に乗ってみることにしました。船着場のカドキョイからクルーズ船が出ており、2時間くらい船に揺られて黒海の沿岸まで行きます。ちょうど天気が良くて、気持ちの良い風が吹いて、沿岸の街並みもきれいでクルーズは最高でした。2時間ほどで黒海沿岸の小さな町のようなところに降ろされて、帰りの船はまた3時間後に来るらしく、それまでの間はこの小さな町で過ごすことに。

 船着場にはたくさんのシーフードレストランがあり、お値段もそこそこで、まぁ、昼飯時だし…こういうことか…と思いながらも、物色。まだ時間もたっぷりとあるし、先に山の麓の城壁を見に行くことにしました。特になんにもないただの山に城壁があるだけなのですが、ここから黒海の景色が広がり、海を渡る貨物船が行き来しているのが見えて、ゆったりとした時間を過ごせました。途中犬たちと遊んだりもしたのですが、お腹も空いたので山を下り、港の食堂へ。

 港町ということもあり、ネコちゃんがいっぱい居て、ご飯をくれくれと集まってきます。ここでも鯖サンドとビールをやっつけながら、外で帰りの船が来るのを待っていました。いやはや、なんてゆったりとした時間でしょうか…やっぱり一人で来るべきところではないような気がします…ネコにずっと遊んでもらってましたもんね。

 帰りの船が来て、居眠りをしながらまたゆったりと船の旅。中で出されるチャイも甘いし、夕日が沈むイスタンの町を名残惜しくながめて見ていました。もうそろそろお別れなんだね…あの新鮮だった晩夏の日のことを思い出します…いろんなことがあったなぁ。イスタンはやっぱり私にとってはちょっと特別な町なのです。と、少しセンチメンタルな気分で窓の外を眺めていました。


哀愁
哀愁のボスボラス海峡クルーズ チャイの琥珀色が素敵でしょう



 そして遂にイスタンを去る日がやってきました。今日でツリーの皆さんともお別れ。いつものように朝ごはんを食べ、パッキングをして、シーツを片付け、もう行く準備は万端…いつも見送る側だったのが見送られる側になると、何だか言葉がありません…悲しいような、なんというか、慣れた所を離れるのはやっぱり寂しいです。いつも別れと出会いの繰り返しということは分かっているのです。でもやっぱり別れは辛いものなのです。最後に皆に握手してもらい、「いってらっしゃい」と声をかけられ、階段を降りると、いろんなことを思い出します。やっぱりイスタンは特別な場所なんだ。でも、いつまでも感傷に浸っているわけにもいかない。また新たなことが待っているはずなのです。複雑な気持ちのままトラムに乗り込み、見慣れたイスタンの町を後にするのでした…。


コスモ握手
別れのコスモ握手 たくさんの人と握手できるのです。ちょっとぶれてる感じがいい感じ

 帰って来ました、懐かしの町イスタンブール!新年をゆったり(だらだら?)と過ごしたカッパドギアからバスで一晩、バスの窓からの景色を見て懐かしさとさまざまな思いがこみ上げて来ました。あの時歩いた道、あの時見た景色は「こんなんだったっけー!?懐かしー!」と一人興奮状態になり、窓の外を見れば朝日に海がキラキラと光っていて、どんどんドキドキしてきました。


 「一度訪れた町にもう一度来てみる」ということはこれまでも何度かあるのですが、ここイスタンは何だか特別なような気がします。確かに懐かしさはあるのですが、ただ懐かしいというだけでなく、これからまた何があるのだろう?という期待感のようなものも、また強く感じるのです。アジアの終わりとヨーロッパの始まり、中東への道だってある。そんな特別な立地がそう思い起こさせるのでしょうか?イスタンブールという響きには何か特別な印象を受けますね。


 そんな私の初めてのイスタンは旅が少し慣れてきた頃に来た町であり、東南アジアからポーンと飛んでくると、会う人々の顔は全然違うし、宿で出会う人の「濃さ」と言ったらもう…これから何が始まるんだろう?アジアみたいに人々にそれほど親近感は湧かないし、かと言って冷たいわけでもない。建物だっていかにもヨーロッパという感じはなく、どことなくアジアを感じさせるんのだけどどこか違う… おっかなびっくり(挙動不審と読む)歩き出した私の旅は、ある意味ここが始まりだったのかもしれません。そんな旅の初心者だった私(今も?)はイスタンで色々とカルチャーショックを受けたのでした。


ブルーモスク
                                 ブルーモスク

 そして今回、多少なりとも揉まれて帰ってきましたイスタンブール。全てが懐かしい!!

 バスはブルーモスク前に停まって、さっそくお宿「ツリー」(トルコ編参照)を目指します。ここからスルタンアフメット駅を上って行って、旅行会社があって、銀行があって…と全部覚えている!この懐かしさ!何だか嬉しくて楽しくてたまらなく、ちょっと感動してしまいました。

 ツリーに着くと管理人のHさんがまだ居て、顔を覚えていてくれて、懐かしの再会でした。しかーし、ベッドが空いておらず、明日の予約をして近くの宿を紹介してもらいました。管理人Hさん以外の住人は変わってはいましたが(そらそーか)、宿自体は何にも変わらず、マンガはいっぱいあるし、階段キツイし、あのまんま。何もかもここから始まったのだった(そうなのか?いいえ違います!)と思い出しました。

 そんな興奮状態から始まった朝ですが、実はお腹がモーレツに痛かったのでした(これも初めてツリーに来た時と同じだった)。仮の宿(?)に着き、荷を降ろして横になった途端、キリキリチクチクお腹が痛いのを我慢できなくなり、本当に動けなくなってしまいました。ベッドが隣になった人がずっと話してくれたので退屈はしませんでしたが、食事を採る以外はずっと部屋にこもりっきりでした。そして気が付いたら夜も更けていて、やっぱり夜勤明け(移動日)はしんどいなとつくづ感じました。


 翌日はやっとこさ懐かしのわが家(?)ツリーに帰って来ました。いつもどおりのちょっとした気だるさのある4Fのキッチン&フロント&ソファスペースはマンガを読む人々が昼間からズーンと構えており、あの時と人こそ違えど‘まんま’だなと安堵感を覚えます。そして私もソファの空いているところにマンガを持ってきて何事も無かったように座って読み始める…この雰囲気がツリーなんだよなぁ。観光に行く人は外へ出て行き、中にこもってマンガを読む人もいたり、昼まで寝てる人もいたりetcと基本みんな自由にしているのですが、どこかで繋がっているような、そんな雰囲気なのです(知ってるつもり)。


 この日は特にどこへ行くでもなく、お腹が空いているのだけれどやっぱりお腹が痛くて食べることができなくて、少しでもお腹に入れておこうとちょっと通りを歩いていみると、数件のスイーツショップがあるではないか!品定めに覗いてみると美味しそうなケーキがたくさん並んでおり、たまにはこんな時間もあってもいいよねと久々のケーキタイムにしました。アヤソフィアとブルーモスクが窓から見える席で一服(タバコ吸わないけど)、夕暮れの空に映えるモスクを見て、お腹が痛いのも忘れてしまいそうでした。引き続き痛かったんですけどね…どうしたもんでしょうか?


 宿に帰るともう晩御飯の時間。久しぶりのシェア飯を楽しみにしていたのに、お腹がどんどんキリキリキリキリ痛くなって全然食べることができませんでした。でも宿の皆で食べるシェア飯はやっぱり美味しいのです。さすがにちょっとしか食べられなかったのですが、それからはまたユル~い時間が流れるのでした。マンガを読んだり、UNOをしたり、話に参加していないようで耳をたてていたり(笑)と、中にはこういう雰囲気は苦手で特有の輪の中に入ることを拒む人もいるかもしれませんが(最初は私もそうでしたが…)、特に気にすることも無く、いつのまにか…という感じが私は好きです。ずいぶんと進歩したもんだ。かと言って、12時前にはおねむになってしまう私は夜の会には参加は基本的にできません。毎日12時前に寝て、早朝組と一緒に朝ごはんを食べるのが日課なのです。


スーパーDia

                            お世話になったスーパーDia


 そんな私のイスタン生活…お腹が痛くて痛くてほとんど外に出ることがない引きこもり生活でした。日記を見てみると、あんまり書いていない……暇なんだから書けよなーと思うのですが、人間何かあって忙しいほうが生き生きとするものです。書くネタなかったもんね。「そんなのがいい傾向だ」なんて書いてましたからね(汗)。

 一日の行動パターンを整理してみると、8時起床、モンスター(2回目)を読みながら朝ごはんをたっぷり2時間は使って食べる。10時~引き続きモンスター読破に向けて頑張る(頑張るな)。3時頃にお昼を食べに外に出るor近くのスーパーDia(徒歩1分)に買出しに行く。4時~再び頑張り、今度はシガテラに手を延ばす、ダラダラして晩御飯の時間来て、腹痛に悩まされながら、意地でも食べてやると無理する。11時くらいまで何をするでもなく、お腹がイタイイタイと訴えながらお座りしている…という怠惰な生活を続けること数日、ついにキレてしまいました。


 何度もお腹がイタイイタイと書いてきましたが(頭もでしょうか?)、これが尋常じゃないほど痛かったのです。せっかくシェア飯でありえないメニュー(ギョーザ、チラシ寿司、カツオのたたきなど)を作ってくれるのに、ご飯時になると腹痛がひどくなるという最悪な症状…なんか病気になっているんではないだろうか?と本気で思いました。引きこもり生活だって好きでやっている訳ではなく、この腹痛が原因なのです。何か食べるとものすごい痛みに襲われるので、一時は絶食療法を試みたり、薬にも頼りましたが(薬をくれた管理人Hさん他皆さんありがとう)、一向に治る気配はなく、とうとうキレて病院行きを決意しました。

 とりあえず保険会社に連絡、キャッシュレスサービスを受けられる病院を紹介してもらい(出費はなるべく避けたいからね)、さっそく行ってまいりました。病院までの道のりはそれはそれは苦しいもので、絶食3日目で途中息切れして眩暈も起きるほどでした。受付ではとにかく診察してくれと頼み、待つことしばし、診察の結果はたぶん胃潰瘍(胃酸過多と言ってた)で、お薬をもらいました。この薬が劇的に効くんだわ。飲んで一日でかなり回復。ごはんもお腹いっぱい食べられるようになってきました。早く病院に行っておけばよかった…


 そんな怠惰な日々を送っていた中で印象に残っているもの(小さなものだけどね)は、この病院の受付のネエやんの言葉でした。腹痛でとにかく診察を早くしてくれと頼んでいたとき、「どこから来たの?」と尋ねられ、普段の通りの受け答えをしていたのですが、「私はユーゴスラビアからよ」とそのネエやんは言いました。そのとき私は「ユーゴスラビアはもう無くなったよね」と言ってしまったのですが、すぐにはっとしてしまいました。確かにユーゴスラビアという国がなくなったのはごく最近の話ですが、彼女たちにとっては生まれ故郷であり、今でも「私はユーゴスラビアンなのよ」と言った彼女にとってはずっとユーゴスラビアは存在するのでしょう。

 自分の力ではどうしようもない力が働いて国がなくなるということが歴史の中には数々とあり、それが戦争なのだ(それ以外の要素もあるとけど)と改めて思いました。戦争が終わっても、終わらないことがある。いろいろと考えさせられます。


 さて、このまま読んでいるとずっと引きこもりをしていたように思えますが、お腹が痛い中でも少しは外に出ていたんですよ。久しぶりのブルーモスクはやっぱり中は静かな雰囲気であのまんまだったし、ガラタ橋ではたくさんの釣り人が竿をたれているし、忘れてはならない鯖サンドはやっぱり美味しいし、しっかり観光らしいこともやっています(一日の仕事がスーパーDiaに行くことだけの時もあったけどね…)。

 それにまたたくさんの人々とも宿で会うことができました。ヨルダンで一緒だったオレンジMくんやたまたま親父バブルで宿に泊まっていた有名人の無銭旅行KさんやN教授などなど本当に濃いメンバーでした(笑)。皆それぞれ楽しい人たちばっかりですね。


 いつも思うことですが、皆それぞれに自分の領域をもっていて、本当に羨ましいです。私なんて何にもないからいつも人を見てはいいなーと憧れてばかり。いつになったらいろんな思いから解き放たれるときがくるのかなぁ…と訳の分からんことを言ってみたりするのです。時が解決してくれる、その時はいつ来るのでしょうか(笑)。待っていても始まらないのよ、こういうのは…と郷愁の町イスタンブールを一人お腹をかばいながら歩くのでした。


ケーキ&チャイ
ケーキ&ミルクチャイ

 更新する時間は腐るほどある。なのに全然更新しない…どういうことでしょうか?この体たらく…時間はたっぷりとあるはずなのに何故だか余計なことばかりしてしまう…つくづく自分という人間が愚かに思います。ある種、病気ですね、これは…


 さて、シリアのアレッポからタクシーに乗って、問題もありつつもトルコ国境に到着、そこからセルビスに乗って国境の町アンタクヤに到着したところまでが前回までのお話。年末をカッパドギアで過ごすことに決めた私はそうとう焦っていました。大晦日まであと2日!!(このとき12/30)


 シリアから国境を越えて見えてきたアルファベット表記の看板、やっぱり国が違うんだなぁ、そしてすごく嬉しく、懐かしくなってしまいました。これでやっと食べ物にもバリエーションが増える!もうシャワルマやチキンだけの生活から開放されるんだと思うと、自然とテンションも上がります。アンタクヤからはバスに乗り換えて、今度はアクサライを目指します。一緒に国境を越えた姉さん、カナダ人のダニエル(日記で名前確認)とは途中でお別れになってしまったのですが、バスに乗っている間はずっとしゃべり通していました。

 しかし、トルコはすごく発展している国だなと思わされたのは、そのバスのキレイさ。内装はまるで新品の車のように清潔で、窓なんてあるのか無いのか分からないくらい透き通っていて、そうじの行き届いた空間は素晴らしすぎて感動でした。暖房もしっかりと付いているし、お菓子は出るし、バラ水のサービスはあるし、サービスエリアのパンは食べ放題だし、トルコのバスは世界一じゃないでしょうか?(知らんけど) と、バスのことばかり書いてしまいましたね… そんなこんなでバスでの移動はすこぶる快適に過ごせました。同乗の二人は途中で行き先が異なるためお別れとなってしまいましたが、飛行機大丈夫だったのかな?(搭乗時間ギリギリでかなり焦っていた二人)と心配しながらも目的地、アクサライに着いたのは夜の10時近く…しかもここからはカッパドギア行きのバスは当然のごとくありませんでした。アクサライのサービスエリア(みたいな)のすぐ近くにちょっと高級そうなホテルがあり、値段を聞いてみると「うっ…」と唸ってしまうような額で…しかし他に泊まるところもないし…少しの間考えて、タクシーに乗って町まで行き、安宿を案内してもらうことにしました。久々にシングルに泊まり、シャワーもお湯が温かくて気持ち良い。暖房もしっかりと効いているし、トルコ様様であった。


 翌日は早朝からオトガル(バスターミナル)目指して歩き出しました。近くって言っていたのに結構歩いたな…(1時間以上) この日はちょうどイスラム教の犠牲祭「バイラム」の日で、民家の前を歩いていると、ちょうど羊の首を切り落としている光景に出会いました。家族総出で羊の首を落とし、皮を剥ぎ、肉を切り出していました。イスラム圏ではこの日に何頭くらいの羊が首を刈られるのだろうか?家族総出の大イベントのはずだけど、あんまり町は盛り上がってなかったな…

 オトガルからカッパドギア行きのバスがすぐに出て、お昼過ぎには懐かしのカッパドギアに到着。窓から見えるトンガリ岩には「おぉー、帰ってきたー」と実感させられました。宿を探して歩いていると、今度は牛の頭を落とす光景にまたもや遭遇。手足を縛られて身動きの取れなくなった牛の首に包丁(ナイフ?)が当てられ、ザクッザクッと切ると、勢いよく真っ赤な鮮血が流れてきました。完全に首が切り落とされても体が暴れており、切れた首の辺りから、まだ呼吸しているのか、白い息が食道から出ていました。苦しがる牛を直視することが出来ず、何度も目を背けてしまいましたが、普段私たちだって肉を食べているしなぁと思ったり、イラクの人質事件のことを思い出したりしました。こういうことを生活で見れる世界は良いなと今となっては思います。日本で食肉にするときはどうしているんでしょうかね?




羊のカワハギ2

                                    羊のカワハギ


 宿も決まり、遅い昼食を食べようと歩いていると、アレッポの宿で会ったフランス人のフローレントとばったり会うことが出来ました。色々と話し、夕食を共にして、今夜は大晦日だしということで、クラブ(と言ってもショボイ)に行くことにしました。最初は客入りが悪かったのですが、12時が近づいてくるとだんだんと入り乱れてきて、パーティータイム(古)となりました。二人ともあんまりダンス(ダンスって…)が出来ないのですが、無理に踊っていました、というより跳ねてました(苦笑)。つくづく楽しみかたのヘタクソな人間だと我ながら思う次第です…ダンスが苦手というより、そういう空間が苦手なんですよねぇ…楽しむために楽しむということが出来ないというか、そこでなんでダンスなんだとか、なんだか色々考えてしまう辺り、まだまだ成長しきれておりません。とりあえずはカウントダウンまでこんな気持ちを抱えて跳ね散らかして、さっさと宿に帰って寝てしまいました。早くに大人になりたい!

私が宿に帰ったすぐあとにケンカ事件があったそうな…ポリスも初出勤だったようで…ハッピーニューイヤー…


 日も変わって元旦、初日の出は当然のごとく寝過ごして、10時近くの起床…「別に年が変わるとか関係ねーんだよ、何がめでたいんだか?」と悪態をつきつつのお目覚め。朝ごはんを食べて、フローレントと一緒にカッパドギア巡りをすることにしました。以前にある程度は回ったので、近くのトンガリ岩山を散策。トンネルあり、断崖絶壁(大げさ)ありと、なぞの生物までは発見できなかったが、夕方までたっぷりと子供に返って遊び倒しました。楽しい時間だったなぁ。

 翌日も二人でタダ券で洞窟修道院を見たり、チャイを飲み倒したり、ダラダラと過ごしました。時間がゆっくりと流れている、このユルい感じがたまらん。でも、すぐに飽きてしまって、また何かしたい病になっていくのですが…


 ここで少し話を宿の方に持っていきます。カッパドギアに着いてから客引きに捕まり、着いて行ったその宿で出会ったアウニィという青年。宿にいるときはいつもアウニィと何をするわけでもなく、話したり、暖炉に薪をくべたり、ボーっとしたりと、大概の時間を一緒に過ごしていました。そのほか、宿の主人の親子にトルコ語を教わったり、晩御飯を食べさせてもらったり(これはネット屋で)、チャイを何杯でもご馳走してくれたりといろいろとよくしてくれました。

 新年をカッパドギアでゆったりと過ごして、そういえば、いろいろな人たちにお世話になって、皆の好意に支えられてきた旅だなぁとつくづく思っていました。本当にありがたいことです。アウニィは将来学校の先生になりたいという夢があり、いろいろと話してくれました。若いってすばらしいね。(自分もか?)そんな風にいろんなお話をして、私の心も溶けていくのでした…


 そんな3日間ほどお世話になった宿を出て、9月に行った宿に移ってみることにしました。初めてカッパドギアに来たときに、高台にあるその宿が気に入って、今回も一泊はしようと思っていたのです。ちょうど同じ部屋が空いていて、前とまったく変わらない。(たかだか3~4ヶ月)あの犬も変わらずに愛想がいい。ただ季節が違っているだけだった。あの時は秋で、まだまだ暑い日中は半袖で過ごしていて、洞窟部屋のひんやりとした涼しさに驚いていたっけ…なんて思うと、やはり時間は確実に経っていたんだなぁとカッパドギアの町を見下ろしていろいろなことを思い起こしていた。今日もゆったりと何もせずに過ごそう…


 と、こんな感じで新年の4日間をだらだら(ゆったりです!)と過ごしました。そうそう、ここでまたまたサプライズが!ふと入ってみたピデ(ピザ)屋さんで会った人がすごーくびっくり!タイ~ラオス国境の船で会い、しばらく一緒に旅したAくん(名前出しているけど…)とばったり!別に打ち合わせをしたわけでもないのに、こんなところで会うことがあるなんて…!二人ともびっくりしてちょっとの間信じられませんでした。一緒にご飯を食べて、いろいろと話をしました。前に会ったときはAくんはいろんな国を旅行してすげーと思っていたのですが、今回はもう同じように長いこと旅行しているなと、そんなに気負うこともありませんでした。1月以上旅行していたら皆同じです。(と言っていいのかな?)こんなこともあるもんなんですね。全然違うルートだったのにばったりなんて…


 ゆったりとした時間を過ごしていたのですが、いかんせん寒いし、何もすることがないし、だんだんと何かしたい病になってきました。ここはもう移動しかないと思い、カッパドギアを後にすることにしました。

 しかし、ずーっとお腹がキリキリと痛くて、なんだか困ってしまいます。なんか病気でもしてんのかな?と思うほど痛くて痛くて困りました。あの「事件」以来ずっとキリキリ…う~ん、まいっちんぐだ。


 と、久しぶりの更新でしたね。本当にやる時間はあるのに何故かできないんだよなぁ…とにかく頑張って更新します…

 レバノンはトリポリから乗り合いタクシーを捕まえて地元民(シリア人)たちと一緒に国境越えをすることにしました。行き先はシリアはホムス。またこのタクシーの運転手がしゃべるわしゃべるわ・・・運転中こちらを見ながらしゃべりまくり、危なっかしい道中でした。昼前には着いて、そこからバスにもすんなりと乗れて、シリアはアレッポに到着しました。宿を探していると親切なオジさんが道案内してくれてここもすんなりと到着。中東の人々は本当に親切だなぁ。ありがとうね。

 シリアへはトランジットビザのため、3日間しかいられないので、これから年末にかけて移動だったのですが、これがまた事件を呼ぶことに…年末はどこの国でも忙しいようです…


 この時期になると冷え込んでいて、寒くて寒くて大変でした。今回のお宿にもしっかりセントラルヒーターが付いていたものの、すきま風が寒い!部屋は一向に暖まる気配はなく、それでもマシな方なのかなと思いながら荷解きをしました。情報ノートを見ようと上階へ行くと一人の日本人がいました。いや~、どこにでもいるものですね。今から出発ということで、すれ違いになるのですが、最後にここら辺で美味しいお店を紹介してくれました。ちょうど夕飯時だったので、その人を見送ってから行ってみるとシャワルマじゃない!いろんな煮込み料理やチキンの丸焼き(これは定番で飽きてた)などバラエティに富んでいるではないか。久々にシャワルマ以外のものが食べれると意気揚々となりました。この頃はもう食べ物のことで大騒ぎしたりすることもなくなっていたなぁ…年末になるとどうも“終末感”を感じてしまい、なんだか暗い気持ちになっていて、中東に入ってからというものなんだか気分がすっきりとしませんでした…


 そんなシリアはアレッポの町、見所はこれと言ってありません(ちゃんとあります!)。着いたその日はATM探しに時間をとられ、寒いし…寂しいし…早めに宿に帰って寝ることにしました。これだから年末は嫌です。

 主な観光は翌日から。まずは古代都市アレッポというくらい、古い町並みが残るその町を見ようと歩き出しました。スーク街(商店街)にはいろんなお店が軒を連ねており、一つ一つ見て回っていると時間はあっという間に過ぎていってしまいます。食品のスークでは羊の頭や骨だけになった羊やその内臓、そしてスーク内を何故か羊飼いが羊を追い回しているという、ありえない光景が…そんなの見ているだけで楽しくなってしまいます。スークを迷いながら抜けると巨大なアレッポ城が現れました。お堀から城へと続く道を見ているとなんだか馬に乗ったイスラム兵を連想してしまいました。 お城の中へ入っていくと、中には数々の部屋跡の瓦礫がたくさん。ちょうど高台になっているお城からアレッポの町が一望できるようになっており、ぐるっと一周見て回ることが出来ます。上から見ると、スークは巨大な迷路のようになっており、アレッポの人々は道に迷わないのかなぁなどと余計な心配をしてしまいます。まぁ、私はしっかりと30分は迷いましたけどね。


 一通り見終わって帰ろうとしたところ、初めて「チン・チョン・チャン」攻撃に遭いました。中東を歩いている旅行者がよく言っていたのですが、「チン・チョン・チャン」とチャイナ差別(東洋人)が激しいらしいです。私は今までそんなこと言われたことがないから(なんせエクアドル人顔ですからね…スペイン編参照)、そんなに酷くないだろうと思っていたのですが、皆さんが口を揃えて言うように、しつこく、しかも明らかに馬鹿にして言ってくるのです。無視していてもよかったのですが、どうしてチャイナ(東洋人)を馬鹿にするのだろうか、「ジャッキー・チェ~ン」や「ブルース・リ~」などと言ってくるのは一向に構いません。向こうにも好意があるのが分かります。しかし、「チン・チョン・チャン」は明らかに馬鹿にしていることが分かるのでムカつきました。二人組みの女性だったのですが、「ゴルァ!今なんて言った?」と突っかかっていきました(女性ならまだ勝てるかなというセコい考え)。「俺は日本人だけど、どうしてチャイナ差別をするんだ?何が面白いんだ?」と聞いてみても、英語は話せないようで、「フレンド、フレンド(笑)」と言って、その場をごまかしていました。そんなに突っかかってもしょうがないので、適当にしましたが、どうしてチャイナ差別をするんでしょうか…そしてふとこんなことを思いました。それは日本人である私たちが「チン・チョン・チャン」と言われるとムカつくのはどうしてなんだろうか?それは東洋人全体を馬鹿にした言葉だからか、それとも中国人と間違われて悪口を言われているからなのか、そうなると、私たち自身が無意識にチャイナ差別をしているのか?以前にこんなことを同じ旅行者と話したことがあるのですが、結局はどうなんでしょうか?


 とりあえずはガツンと言ってやったし、少しはムカつきも晴れて、アレッポ城を後にした私は午後の一服をすることにしました。今まで忙しかったから(何が?)、お茶を飲む時間もなかったけれど、久しぶり(?)に喫茶店に入ってみました。チャイを飲みながらボーっとすると天気も良いし、アレッポ城を眺めることの充実感、久々の休憩(?)が重なって気持ちがすごくよかったことを覚えています。

 しばらくすると二人組みの若い兄ちゃんたちがやってきて、シーシャー(水タバコ)をプカプカと吸い始めました。そういえば、アラブ圏にいるのにシーシャーをまだ吸っていないかったと思い、さっそく注文してみることにしました。フレーバーは定番のイチゴ味(まぁ、可愛い)。プカプカとやって肺まで入れると「ゴホッゴホッ・・・」 二人組みの兄ちゃんたちはプカプカと美味しそうに吸っているのに私だけがゴホゴホしていると、兄ちゃんたちは笑って、「こうやって吸うんだよ」とお手本を見せてくれました。スパスパスパスパ、どうやら肺には入れずに煙の味だけ楽しむようです。兄ちゃんたちと同じようにスパスパとやっていると、だんだん頭がクラクラしてきて気持ちよくなってきました。「これがシーシャーか~・・・」とちょっと浮かれ気分になり、全部で2時間ほど喫茶店に入り浸り、喫茶店の親父にも吸い方や炭の具合を聞いてみたりと、一人満足していました。酔っているわけでもないのに頭がボーっとして、妙にテンションが高くて、帰り道はずっと「シーシャーか~・・・いいね!」とニヤニヤしていました。我ながらアホだ。


 アレッポの主要観光も一通り終わり、フレッシュジュースなんかを飲みながらブラブラしていました。新年を迎える場所もトルコのカッパドギアに決まった(思いつきで決めた…Yくんも言っていたし)し、あとはこの三日間の間にシリアを脱出するだけとなった私に事件の影が忍び寄ってきていました…

 シーシャーを吸ってご機嫌さんで宿に帰ってくると一人だったドミトリー部屋がいつのまにかいっぱいになっていました。そして日本人の方もいたので、一緒にご飯を食べ、ビールを飲もうということになり、宿に帰ってビールを飲みました。とりとめのない話をしていると、そこへフランス人(後に名前を知るフローレント)の方が「俺もシリアの酒持ってるよ」と言って、一緒に飲むことになりました。先にビール一杯をやっつけていた後に、シリア産のウォッカみたいな酒が入り、少し気持ち悪くなってしまいましたが・・・なおもいろいろと話して、そのフランス人フローレントとはこれから向かう先が一緒だったので、また会おうと言って、彼はその夜の便のバスでトルコに向かいました。


 そして一夜明けて、翌日・・・「お腹痛い・・・」 昨夜の酒が悪かったのか、お腹がきりきりと痛くて、しかもちょっと熱っぽい。すっかり体調を悪くしてしまい、この日はどこにも出かけず、宿のベッドでじっとしていました。しかし、この日の夜の3時(!)にトルコ行きのバスに乗らないといけないため(チケットは前日にゲット)、なんとしても体調を整えて、トルコに行くんだ!と思い、必死で腹痛に耐えていました。朝からフルーツジュース(親父の作るめちゃフレッシュなヤツ)しか飲んでいないのだが、ずーっとお腹が痛くて痛くて…正直参りました・・・お腹に何か入れないと・・・、と思って、ここらではお腹に優しいと思われるハンバーガー(どこが腹に優しいんや!)を買い、店で食べていると、払った額の半額をお手伝いのボーズが私に返してきました。意味が分からなかったので、「何で?」と聞いてみても、「取っておけ」というような顔をして黙々と仕事をするボーズ…たぶんボラれていたんでしょう…しかし子供は正直者。ボッた分をしっかり私に返してくれました。偉い、あんたは偉いよボーズ。でもお腹の痛みは無くならないんだ(関係ないか)…そしてずっとお腹が痛いままベッドを追い出され(チェックアウト)、ロビー(?)で横になってバスまでの時間待たせてもらうことにしました。この間ずっとお腹が痛くて、しかも寒いし、なんだったんだろう・・・宿のスタッフはそんな私に毛布を貸してくれたり、飲み物をくれたりと親切にしてくれました。病気のときはこういう人の温かさが本当に嬉しいです。ありがとう。


 夜の2時半ごろになり、さぁ出ようかと思った矢先、事件が発生しました。屁をしようとケツの力を緩めた瞬間、

 「シャ~~・・・」

 「えっ・・・?やっちゃった・・・?えっ・・・・・・・?」

 暖かい感触が太ももを伝い、ふくらはぎを通り、踵のほうまで流れていきました…やってしまいました・・・うんこ漏らしてしまいました!しかも水みたいにユルユルなの。「う~わ~~・・・」 もうこの時には冷静になっており、「は~、もう出掛けに最悪だ…」とドミトリーで寝ている人を起こすことなく、トイレに駆け込み、後処理をあくまで冷静に行い、奇跡的に被害はパンツとラクダのモモヒキだけと最小限に抑えることができました。もうこのときは本当に自分でもびっくりするくらい冷静でした。ある意味開き直っていましたね!だって、これ初めてじゃないもん!正直に言いますと、これはこの旅に出て、2回目でした。あぁ、そうですとも、2回もうんこ垂れてました!内緒にしていてごめんね!実はイスタンブールにいるときの話、9月のことです。トルコに来て2日目でした…お腹の調子が悪くて、しかも何でか、断水していて、トイレは詰まっていて…詰まっているのは関係ないけど…とにかく、パンツを汚してしまいました!そのときは悲しくて悲しくて、半泣きになりましたが、今となっては平気です(笑うなら笑え)!これで成人してから3回目です…


 「ま、ええわ。しゃーないわ。」と完全に開き直り、そう自分に言い聞かせ、汚れたパンツとモモヒキの入ったビニール袋を片手に、いざ出発しました。バスターミナルまで行ってみると、ここでもまた災難が…

 バスターミナルにはバスはないし、辺りは真っ暗でチケットの営業所も閉まっているし、なんかおかしいな・・・3時になってもバスは一向に来る気配はないし、近くで開いている営業所に行って暖を取らしてもらいながら、「バスが来ないんだよ、おかしいよね?」と聞いてみると、「今日はバスはないぜ。明日もないよ。年末のバイラム(犠牲祭)だからな、はっはー(笑)」とのこと・・・いやいや、今日の夜3時発というチケットを買ったんだからね?バイラムのことも知っていたので2回も日付確かめて買ったんだからね?どうなっとんねん、これは?おお?

 そんなことを言っても、バスはやってきませんでした。キレまくって営業所のドアを蹴りまくり、わめき散らしても誰も出てくることはありませんでした・・・「騙された・・・」パンツを汚してまで来たのに、無理して来たのに…

 仕方がないので宿に帰り、事情を説明して、もう一泊泊まらせてもらうことになりました。朝の4時近くのことでしたが…快く快諾してくれた宿の兄ちゃん、本当にありがとう!ちょっときれいな部屋に案内してもらって、朝になるまで寝ることにしました。体は冷えきって、心は裏切られたことと例のお漏らし事件でボロボロだった。とにかく寝よう・・・朝の7時くらいまで寝させてもらって、朝一で営業所に文句を言いに行ってやる!くそー!シャレじゃねーんだぞ!


 朝8時頃、もう一度営業所に行ってみると、やっぱり開いていませんでした。他のバス会社の営業所は開いていたのですが、やはりバイラムでこれから3日間はバスは走らないとのこと…とんだところで足止めをくらうことになりそうだ…しかも、このチケットの払い戻しは誰がするんだ?金返せ!

 いったん宿に帰り、落ち着かなければ…と階段を上ったところで日本人の女の子(結局名前聞かなかった)と会いました。ちょうどトルコに向かうということで、タクシーの相乗りを持ちかけられました。渡りに船とはこのことですね。実はこの姉さんとは9月にトルコで会っていたそうです。すっかり忘れてましたが、覚えていてくれたようで、一緒にガイドブックのコピーをとりに行ったこともちゃんと覚えていてくれました。あの時は結構楽しかったのになぁ。(本当に覚えてません、ごめんなさい)

 そうと決まればすぐに出発しましょうと、宿の兄ちゃんに別れを告げ、軽くチャイでも飲んでからとチャイハネ(チャイ屋)に入ろうとしたところで、カナダ人(?忘れた)に声をかけられ、彼もトルコへ行くとのこと。結局3人で行くことになりました。こんな偶然もいいものですね。


 年末でバスが動かず、タクシーが大活躍。ちょっと手を上げれば私たち(客)の奪い合いでちょっとした渋滞が出来るほど(5台くらい停まった)でしたが、おっさん達はお互いつぶし合いして交渉は難航(ケンカはやめてby竹内まりや)。中には一人20ドルを要求してくるので、これはちょっと高すぎる、ありえんと言って突っぱねました。荷物を勝手にトランクに詰めて、「早く乗れ乗れ」と急かされ、とりあえず乗ってみると、最初に交渉した値段とはまた違う値段を言ってきて、車内交渉に持ち込まれたり…「これだからアラビックは…」とカナダ人の彼は「ここで降ろせ!」とキレ倒してました。あぁ、心強い。バスターミナル付近で下ろされ、バスがあるかもと尋ねてみるも、やはり無いとのことで、親切な女性がタクシーの交渉をしてくれて、やっとこさ私たちは移動することが出来ました。この時点で一時間は交渉に使っていたな…


 タクシーは40分ほどで国境まで来ました。ここで要求された額は、あの女性が交渉してくれたの額と違っていたため、またケンカになりました。姉さん(名前聞いておけばよかった…)は滞在期間を過ぎていたため手続きに時間がかかっているし、こちらはタクシーのおっさんと話が違うと言ってケンカしているし、結局警察沙汰にまでなったけど、両者引かず、時間がもったいないので、結局はこちらが折れて要求どおりの額を支払いました…なんか負けた気分だ…

 この国境からはセルビス(ミニバス)に乗ってトルコ側国境に行くのですが、これまた人数が集まるまで出発しないという融通のきかなさ!ギチギチに荷物、人を詰め込み、ようやく出発。国境もスムーズに通過して、トルコに入っていきましたとさ。


 今回もアレッポには少しの滞在でしたが、いろいろとネタが出来てよかったです(ちっともよくない)。年末の情勢など前もって調べておかなければなりませんね。いやしかし、年末というのはなんか辛気臭くて好きになれません。あの終末感、年越しはどこで過ごすべきか、何をしようかなどなど、妙に急かされるのはなぜでしょうか?イベントごとが多い冬はやっぱり好きになれませんわ。

 バスで3時間ほど走って向かった先はレバノンはトリポリという町。来るかどうか相当迷っていたのですが、来てしまいました。中東の国々など位置関係、名前もぜんぜん知らなかったのですが、来れちゃうものですね。


 レバノンについては国旗の真ん中にレバノン杉があるというくらいしか知らなかったのですが、ちょうど旅行を始めてからその名前を知ることになりました。というのも、昨年7月下旬、ちょうどラオスにいるころ、イスラエルがレバノンに攻め入り、各国レバノン滞在者に退避勧告が出ていたとCNNのニュースをゲストハウスで見ていました。そのときは自分には全く関係ないし、そんな国ぜったい行かねーと思っていたのですが…気が付いてみると来ていました…渡航情報を調べ、検討もしてのこと、そんなに大げさなものでもないですが、やはり、一応ね。


 イミグレーションではウェルカムと一ヶ月ビザをポンと押してくれる気前のよさ。なんだなんだ、楽勝じゃないか。トリポリまでの道中、海岸沿いを走っていたバスの中から難民キャンプらしきものが見えました。おそらくですが、パレスチナ人難民キャンプでしょう。ちょうど徐行してバスが走り、キャンプの状態を見ることができましたが、今までテレビで見たことのある(?)風景でした。彼ら一人一人は危険な存在ではありませんが、やはり彼らの生活から見えてくるものは、「そこからどうやって生活を向上させるか…」でした。その方法の中には、時には我々が危険に陥る可能性も含んでいるのが分かります。それは仕方がないことなのかも知れません。


 さて、トリポリの町中まで着いて、バスを降りると、下町の雰囲気が漂う町で、そこら中に市場があり、いろいろなものが売られていました。ちょっとアジアっぽい感じでしたが、寒いのがやっぱり風景に似合いません。宿を探して町中を歩き、ようやく発見しました。夕方も近く、荷物を置いて、さっそく外へ。そう、この日はクリスマス…町はクリスマスツリーの電飾、サンタクロースの飾り、クリスマスケーキを売るお店やはしゃいだ子供達の姿…なーんてありません。ここはイスラム教住民地区、申し訳程度にクリスマスの飾りつけがあるのみ。いつもと変わらない生活が営まれているのであります(泣)。そんなレバノンはトリポリの町、実はこの国はモザイク国家と呼ばれるほどたくさんの民族(宗教民族)が住んでいるらしい。地中海に面した港町のトリポリ、港に近いミナ地区はキリスト教徒住民地区になっており、町の様子も10分ほど歩けば、まるで別世界に来たように違って見えます。町を走る高級外車、ヨーロッパを思わせるきれいなビルヂング、ここにはクリスマス色だってありました。ほんの30分も歩くとその町の違い、生活は歴然。歩いている人々も顔つき、スタイルも違いました。すごくびっくり!なんだこれは?町の違いがあからさま過ぎて、なんだか変な気分になりました。イスラム教住民地区はお世辞にもきれいとは言えないが、生活感のある町並み、かたやキリスト教地区は高層ビルとおしゃれなレストランに家具屋(インテリアショップっつうの?)もあり、道路もきれいな町並み…同じ地域なのにこんなに差があっていいものなのか…?そして、来るときに見たパレスチナ難民キャンプ・・・何なんだろう、この構図は?宗教が違う、民族が違う、それだけ(だけじゃないだろけど)で住み分けし、格差ができるのか?これは無宗教国(違うけど)、日本から来た私には驚きでした。そして複雑な感情がこみ上げてきました。そんなことを考えながら、クリスマスだしケーキでも食べよう(この辺はノー天気)とケーキ屋さんに入り、ブッシュ・ド・ノエルと紅茶を一人で…寂しいな…ま、日本にいる頃から一人のクリスマスにはなれているのだ。はっはっはっ(涙)


 宿に帰り、情報ノートを見てみると、この町についての感想がいろいろと書かれてあり、興味深いものでした。それによると、この町(レバノン)はキリスト教徒に優遇措置が取られ、ミナ地区は貿易港として発展したとのこと。車に関しても税率が低いことからけっこう皆さん高級外車に乗っている。などなど、この町のことについて知れば知るほど、宗教が違うだけでこれだけ差が出てくるのだと思いました。なんだか暗い気持ちになってくる。そんな気持ちのまま、またシャワルマ(ケバブ)を食べに行きました。


 翌日は朝からしとしと雨が降っていました。もう最悪…何もやる気がおきないわ。でも、一日宿にこもっていても仕方がないので、一番の目的のレバノン杉を見に行くことにしました。雨の中、バスで一時間半ほど山道を走り、ブシャーレという山間の町に到着。ここから歩いても行けるらしいが、2時間はかかるとのこと…タクシーも待っていたが、ふっかけてくるし、ここはヒッチハイクで。スーパーで買い物を終えた親子に途中まで乗せていってもらったのですが、数十メートル山を登ったところでびっくりです!雨で濡れていた地面に雪が積もり、白くなっているではないか!おまけに今までの雨は雪に変わり、吹雪のため視界は10mほど…「じゃ、ここまでね!」と道の真ん中に放り出されたはいいが、「ここからどうしよう…まずいよな…」と思っていると、すぐに次の車が止まってくれて、無事にレバノン杉がある保護林まで行くことができました。快く乗せてくれたレバノン人よ、ありがとう!


 柵のあたりまで行ってみると親父が「今日は吹雪で閉鎖しているんだ」とのこと…「せっかく雪の中ここまで来たのに保護林が閉まっているなんて!あんまりだ!クリスマスなのに!」ま、写真はたくさん撮りましたが、吹雪の中なので、とにかく寒い。そんな吹雪の中、犬が遊んでくれと後ろからジーパンに噛み付いてくるので、やけくそで犬と戯れていました。

 いい加減クソ寒いので近くのシャワルマ屋へ(また…)。ここで暖炉にあたり、靴下を乾かして、しばらく暖をとっていたら、新婚旅行に来たというドバイ住まいのレバノン人カップルが…この寒いのに新婚旅行とはお熱いですね。羨ましいぞ!いろいろと話して、もう一組の旅行者がやってきて、ご飯を一緒にと誘ってくれました。吹雪の中、暖かい思いをさせてもらいました。そして、帰りもブシャーレの町まで送ってくれることに。レバノンに来てから人々は皆、気さくで親切な人が多く、お菓子をもらったり、ネット屋まで道案内してくれたり、本当によくしてもらいました。町のイメージはちょっと複雑だったけど、人々は心優しい。宗教で縛って見ていたのは自分なのかもしれませんね。でも、住み分けはやっぱり複雑だわ・・・


 宿に帰ったのは真っ暗くなってから。またシャワルマを食べる…ずっと朝昼晩シャワルマだ・・・ほかに食べ物ないんか?ここのところシャワルマばっかりで飽き飽きしてます。そうでなければチキンの丸焼き…豚肉が食べたい!と無理を言ってみる・・・

 そういえば、宿でまた情報ノートを見ていて、はっと気づかされるようなことが書いてありました。日本人の書く”情報”は「~が安い、~にタダで行ける」等等が多いのですが、宿の主人やスタッフに関して感謝の言葉は見られないんじゃないの?と書いてありました。しかし外国人のものを見ると宿にメッセージを残して感謝の気持ちをしっかりと伝えている。こういうことは見習わないといけないなと思いました。”情報”も大切だけど、こちらも大切だね。確かに日本語だから日本人しか見ないけど、そういう気遣いができる人になりたいもんだわ。


 そんなレバノンにいたのはたったの2日間。寒いのと、年越しをどこで過ごすかという大問題(?)でかなりの急ぎの旅路でした。とにかく寒いのと、あんまり見所がないのと、シャワルマ攻めの毎日で早くイスラム圏を出たいと思い始めていました。でも今から思うとベイルートも行っておいたらよかったな~。そんなわけで短い滞在のレバノンを乗り合いタクシーで後にしました。

 同じ日に一緒に行くことになったYくんとバスに乗り込み向かったのは中東シリアはダマスカス。思えば聞いたことも見たこともない土地を目指しているんだなぁと感慨にふけってたのも30分くらい(長い?)、あとはぐーすか眠っていました。

 ダマスカスに着き、降ろされたのはターミナルでもなんでもない道路の端、なんでここで降ろされんだ?とあっけにとられた二人でしたが、すぐにタクシーを捕まえて町の中心部へ。どんな町なんだろうと思っていたら結構な発展ぶりで、人々の多さにはカイロを思い出しました。目的の宿はすぐに見つかり、シャワーを浴び、すぐに観光へ向かいました。


 ダマスカスといえば世界最古のモスク、ウマイヤドモスク(だそうです。知らんかった…)。日本の商店街のようなスークをぬけると目の前に現れたのは立派な門、そして中に入ってみるとずいぶんと大きな中庭(のような…)で、夕日に照らされてきれいな姿でした。しかしすぐに暗くなる冬の空はやっぱり写真を撮ってもダメだと、また明日来ることにして、この日はすぐに宿に帰ってしまいました。いつの間にか寝ていたようで、気がつくと夜の10時近くになっていました。特に活動した覚えはないのだけどなぁ……あっ、ありました…!アンマンでのラストナイト、ギター弾きMさんのPCで夜な夜な加藤○氏によるDVD講義を男5人して見たのだった…講義は夜中3時ごろまで続き、6時に起床、8時に出発…いつの世も男はエロである…この日は大人しく日記を書いてさっさと寝ることにしました。


 翌日、朝食にシャワルマ(ケバブ)を食べ、再度ウマイヤドモスクへ。Yくんとは昼に宿に集合して次の目的地に行くことにして別行動。モスクの写真を一通り撮り終わると迷路のような道が続く旧市街の中心地へ。しばらく迷ったところで地元の子供たちに遭遇、カメラを取られました…私に向かってジャッキーチェンのポーズをしろだとか、そこに座ったところを撮るからジッとしてろとか、やたらと注文が多いこと!いろいろな写真を撮られました。通りかかった女の子とも一緒に写真を撮らされました。すごく可愛らしい子(ロリではありません)で、日本の子供とはまた違うなぁと思いました。

 約束の時間に宿に帰ってみるとYくんはまだ帰っていない様子、少し待って来なければ先に行くという条件だったので、その場は放っておいて行くことにしました。


 次に向かった先はパルミラ遺跡。宿も見つかり本日は休養日にしました。遺跡を見るには時間的に遅く、特に何もせずに過ごすことにしました。宿ではオヤジが衛星チャンネルでエロ番組を見ていたので、イスラムはダメなんじゃないの?と聞いてみると、皆見てるよとのこと。そうだよな…携帯でもダウンロードして見てたもんな…オヤジは切なそうに「俺は結婚はまだなんだ」と言っていたっけ・・・宗教でいろいろなことを縛っても技術がそれを追い越してしまったのかとしみじみと思いました。いつの世も男はエロなのでした~(今日のわんこ風)。


 翌日はパルミラ遺跡を見ることにしました。中東の3P(ペトラ、パルミラ、ペルセポリス(イラン))の一つということで、かなり期待していたのですが、入ってみると「何だこれ…?」、ほとんど崩れかかってただの廃墟みたいになってるではないか!入場料を取らないのはそのためなのか?だだっ広い廃墟のような遺跡の中をぶらぶらと歩き、丘に登って全体を見渡してみると、やはり廃墟…中東の3Pじゃないのか?途中で物売りの子がずっと着いてくるし、なんだかな~…ローマ劇場など一部は拝観料を取っているところは保存状態もよく、なかなかでした。でも、学生証を持っていてよかった。なんてったって料金10分の1ですもんね。じゃなかったら入ってなかった。実はモロッコで盗られた学生証、エジプトで作り直しておきました。もちホンモノ。エジプトの遺跡など見るだけで元は取れてたしお得でした。

 しばらく遺跡を見た後は地元の子供たちと写真を撮ったりしながら遊んでいました。町中にはプレステ屋さんもあり、一緒にサッカーゲームをしました。久しぶりにゲームしたな。夜の便で次の町を目指そうと思ってましたが、この時期は夜が寒くて夜行バスなんかには乗りたくないと思い、もう一泊するように親父にも薦められたし、もう一晩、一緒にエロチャンネルを見ることにしました。いつの世も…

 

 親父が頼んでくれているはずのタクシーが来ないので、朝一人でバスターミナルへ。てか、タクシー使うほどの距離じゃねーじゃねーか。さっそくバスに乗り込み、次の町、ハマを目指しました。バスの中で偶然日本人の男の子に出会い、これからクラックデ・シュバリエという城跡を見に行くけど一緒にどうですか?とのこと、本当は次の日に行くことにしてたのだけど、やはり一人よりも二人ということで、急遽予定を変更。なぜかドライバーの隣の物置のようなところに座らされ2時間…着いたのはホムスの中継バスターミナル。ここからミニバスに乗り換えていくらしい。ちょうどミニバスの出るときだったのでスムーズに乗り換え、さらに1時間くらい。クラックデ・シュバリエに着きました。「天空の城ラピュタ」のシータが幽閉されていた城(細けーな)のモデルになったとろこだそうで、言われてみれば分かるような気がしました。

 お城の中は結構入り組んでおり、暗い通路や階段を歩いていると、ダンジョン探検してるみたいで、まるでドラクエでした。なんだかんだで2時間は見ていたでしょうか?城跡でこんなに楽しめるとは思いませんでした。帰りは同じようなミニバスに乗り(その間タクのオヤジにバスはないと言われる…)、ホムスのバスターミナルまで。ここで彼とは別れ、私は次の町、ハマに向かいました。


 ガイドブックいわく、ハマには大きな水車があり、片田舎の雰囲気で、都会に疲れた人はどーぞなんて書いてありましたが、着いてみるとびっくり、めちゃ都会じゃないか…パルミラの方がよっぽど田舎だったぞ。この日も着いたときには辺りは暗くなっていたのですが、早速水車を見に行きました。水車はもっと郊外で回っているのかなと思っていたら、町の真ん中で汚い川の流れを受け、回ってもいませんでした… …。シリアで一番楽しみにしてたのに… 結局、何もせず、この日は寝ることにしました。

 翌日は早朝から一応写真を撮ろうと水車のある川辺を散歩。久々に早起きをしました。すぐに帰ってきて、ここでシリアとも一旦お別れ、次の町を目指しました。宿を出るときに一緒だったコリアン姉妹と一緒にバスに乗り込みましたとさ。


 う~ん、イスラム圏、なんだかぱっとしないんだよな。なんでだろか?メシもあんまり美味しくないし、バリエーション少ないし、生活が単調になっていたような気がする。ちょっと刺激がほしい今日この頃でしたね。

 エジプトはダハブを後にヨルダンに行くことになりました。ヨルダンに来るつもりはこれっぽちもなかったのですが、トルコで出会った人々の話を聞いていると行ってみたくなってしまったということで行ってまいりました。考えてみれば、トルコで会った人々の影響が強いのかもしれないですね。その頃にはルートはほぼ決まっていたように思います。


 ダハブを出る前日、思わぬお荷物を預かることに・・・見知らぬエジプト人と宿で出会い、自分はガイドをやっていると日本語で話かけてきました。この時点で100%怪しいのですが、彼に、自分が案内をしているオーストラリア人のベスをヨルダンまで送ってくれないかと頼みこまれました。 うーんと、意味がわからないんですけど・・・ 要するにヨルダンに行くなら、このベスと一緒に行ってくれないかということらしいです。 何で? いくら一緒に行く相手がオージーだからと言って、頼んできたのがカタコトの日本語ができるエジプト人だから余計に怪しい(これは人種差別?ではないです…)。あまり気は進まなかったが、悲しいかなNOと言えない日本人、とりあえず一緒に行くことになりました。やはり第一に疑ってかかるのは身の安全から…当然でしょう…


 バスでアカバまで行き、そこから船で紅海を渡ってヨルダンはヌエバアまで、この間、素性の知れないベスとの旅路…モロッコの一件以来、すっかり人間不信になっています…途中でいろいろな国籍の人々がいつのまにか集まり、パーティーは一気に7人になっていました。船がヌエバアに着いたのは夜の9時頃。そこからベスの荷物がないという問題発生で、タクシーを使ってぺトラに着いたのは結局夜12時を回っていました。この日も一日移動で疲れた~。てか、多少ベスを疑っていたが、何も起こらず、むしろいろいろと親切にしてもらい、人を信じられなくなっている自分にまたも自己嫌悪気味です。もう嫌だ。


 翌日は大きくなったパーティーとともにヨルダンのハイライト、ぺトラ遺跡を見に行きました。ヨルダンと言えばぺトラ遺跡です。「インディー・ジョーンズ最後の聖戦」の舞台となったバラ色の遺跡エルハズネ(陽光の加減で色が変わる)。岩壁の間をすり抜けると目の前に遺跡が…というやつです。昨日の疲れもそのままに早朝起床、ぺトラで待ち合わせ。総勢6名(ベスは別のとこに参加)で頼みもしないのにガイド付き(勝手に雇ってた)で、まずはエルハズネを目指します。ペトラ遺跡は広大で、かなりの距離を歩きました。岩壁をずんずんと進み、その間中ずっとミルキーロック(まだら模様の岩)に見とれていました。どう例えたらいいでしょうか…質のよいベーコンみたいにきれいな層になっており、赤い部分と白い部分のコントラストが見事です。そんなこんなでエルハズネに到着。これがインディ・ジョーンズの世界か・・・と感動してしまいました。一通り写真を撮った後、一向はぐんぐんと進み、一番の奥の修道院まで行くことが出来ました。一日仕事で本当に疲れましたが、途中、ベドウィン(遊牧民族)の子供たちと少し遊んだり、従順そうな瞳のロバたち(乗り物)とすれ違ったり、軽い山登りトレッキングで足はパンパン…日頃の運動不足が祟ってるな…とにかく、入場料はけっこうなものだったけど、遺跡としての価値もあるし(何をえらそうに)、運動もできたし、楽しかったです。(しかし、やはりアンコール・ワットには敵わないな。あそこは値段、遺跡、アトラクション的にも満点です。)


 そして宿に帰り、明日からの予定を話し合っていました。これからルート的には皆同じ北上組。それなら一緒に行こうよと言われたのですが、タクシーを使って行くということになっていたので、どうしようか迷いました。というのも、結構な額がかかるんですわ、これが。そりゃ、タクの方が行きたい所に行けるし、わがままがきくのですが、いかんせんお値段が…しかもこの人たち、宿もメシもかなりの額を使っているし、このまま一緒にいるとお金をいっぱい使ってしまうんだろうなという懸念がありました。こう言ってしまうとケチな旅行者と思われるでしょうが(実際そうだけど)、やっぱ、その辺が欧米人とは違うんだろうなと思いました。それにタクで長距離移動するのはなんだか好かないので、皆には悪いけど、一人バスで行くことにしました。そのときは何か違うと思ってしまうとずっと楽しめないような気がしました。



 久しぶりの一人でのバス移動はやっぱりドキドキとするもので、地元の人々とのやりとりが何とも楽しいと改めて発見しました。いろいろと突っ込みどころ満載の道中は旅の醍醐味です。昼過ぎには首都アンマンのバスターミナルに着きました。ここから中心地に行こうとバスの路線を調べていると、周りの人々が集まってきて、いろいろと世話を焼いてくれます。中東の人々は親切だと聞いていたのですが、本当に困っていると(あんま困ってねーけど)、ちょっとした人だかりで皆して「どこに行くんだ?どうするんだ?」と聞いてきました。ありがたやありがたや。そんなこんなで無事に中心部に到着。宿探しの際にも、やはり道を尋ねると親切に教えてくれる爺サマ。昔日本に働いていたことがあり、いろいろとお世話になったから今度はそのお礼にと、いろいろ教えてくれました。そういう心は大切なんだと思いました。ツバ飛ばしすぎだったけど(笑)。


 やっとこさで辿り着いたのは一時有名になったあのクリフホテル。宿の評判はすこぶる良く、ここに泊まった人が必ず言うのは宿のスタッフ、サーメルのこと。とにかくものすごく良い人らしい。実際に会ってみると柔和な感じですぐに打ち解けることができた。そしてダハブで彼に渡すよう頼まれていた写真(&10$これは彼には内緒)を手渡すこともできました。


 そして着いて早速に死海に行くという人がいて、一緒に行くことになりました。車で一時間程で世界七不思議のひとつの死海に到着しました。塩分濃度が海水よりも高く、人は沈むことができず、むしろ浮いてしまうという不思議な海(ほんとは海じゃない)。年の瀬も近く、肌寒い中でしたが、せっかくここまで来たのだから浮いとかなきゃだめでしょうと恐る恐る海の中へ。水際には結晶化した塩の塊がそこここにあり、足を切らないように慎重に水の中へ。そして足が着かないところまで行くと自分の体が水の中で浮いている!これは楽しい!なんと言っていいのか…水の中を歩く感じがなんとも面白い!というより泳げない!完全に肩から上は水面より浮いている状態で本当に不思議。あんまり写真を撮っていないのが心残りか…死海の泥で全身泥パックして、海から上がると体中塩の結晶が。傷口があったらすごい拷問だろうな。国境を越えてイスラエル側に沈んでゆく太陽を見て、宿まで帰ってきました。肌はツルツルで。


 アンマンにはどれくらいいたでしょうか?特に見るものはない割に長居しました。それに宿のスタッフ、サーメルについてももう少し知りたかったというのもありました。会う人皆が彼は良い人だと言うので一体何がそうさせるのだろうと思っていました。日本人宿になったこの宿には彼専用に作られた「サーメルブック」というものがあり、彼に関するいろいろな情報、お礼の気持ちやなんやらが書いてあります。そしてもうひとつ「サーメル募金」というものもあり、これは将来彼が独立するためのカンパを集めるもので、頼まれた10$もしっかりこの中に入れてきましたよ。

 う~ん、しかしすごいね。初めて見たときは「何だこれ?」と正直思いました。確かに良い人なのかもしれませんが、宿の一スタッフとして働いている彼がどうしてここまで皆に慕われ愛されるのかは初めは理解できませんでした。働き者で柔和でいろいろと親切にしてくれる人ではあるが、特別に何かというわけではないように思いました(宿スタッフは基本そういうものです!)。「ブック」には生い立ちから現在の彼の心境なども書いていましたが、人が生きていればそれぞれのドラマがある訳だし、特別何かあるのか……と思っていると、使っていたコップを自分で洗うと言ってサーメルから取り上げようと頑張っている人の姿を見て、ふ~ん(色々な意味あり)と・・・。 彼は彼の仕事をしているだけだし、そして彼に親切にしてもらったことで皆も感謝の気持ちを示したいのは分かる。でもねぇ…じゃあ、その人は他の宿でもコップを使ったら自分で洗うからと言うのだろうか?宿のスタッフに特別に何かしてあげるのだろうか?私の知ったことではないが、たぶんしないだろう。それは私には旅行者によって作られたイメージによってやっているように思えました。サーメルと遊んで(ウノとかした)楽しい一時を過ごしたり、親切にしてもらったり、それはそれで良い思い出になった。それで良かったのです。別に否定するつもりはありません。ただ、感想としては、それはそれで良いのです…それだけです。


 見所の少ないアンマンですが、アンマン城や町歩きなどぶらぶらして昼間を過ごし、夜はMさん、Eくんのギター弾き語りライブ(?)で盛り上がり、楽しいクリフ生活を楽しみました。音楽ってやっぱり良いですね。周りの人を喜ばすことができる。楽しい。自分も何か楽器が弾けたらと思う今日この頃です。またやってみたいことが増えてしまった。やりたければすぐにでもできるとはMさんの言葉。そう、やってみたら良いのですよ。

 そんなこんなのアンマン滞在も3日間くらいだったかな?見所の少ない国かもですが、3つ挙げれば、ぺトラ、死海、そしてクリフ(サーメル)かな。

 そしてまたまたバスに乗り、次の町を目指しました。今回は長いのでこの辺りで。