今日は、前原訪米、訪中の意味について立て続けにマスコミ取材を受ける。

「一体、何であんなに相手を刺激するのか?」
言い換えれば、「小泉のアジア外交が行き詰まっているこの絶好のチャンスを何故みすみす逃すようなことをいうのか」
この一点に記者の皆さんたちの疑問は集約される。
朝日新聞は、「前原発言、外交センスを疑う」と露骨な批判。
対して、産経新聞は、「前原民主党 国益貫く路線支持したい」と賛辞。

記者さんたちの疑問に答えながら、自分なりに今回の前原外交の緒戦を冷静に振り返る機会を得た。以下、その意義と今後の課題を考えてみたい。

まず、米国でも中国でも、前原代表は批判を恐れず筋を通した。
「誰かに会いたいから自説を曲げることはしない。」こう言い切った。
この姿勢は、結果の良し悪しは別にして、政治家として賞賛に値すると思う。

たしかに、国内(正確には党内の一部)で物議をかもした。多少挑発的だったかもしれない。もう少し、言葉を選ぶ余地はあったかもしれない。
アメリカでの発言が党内の一部で物議をかもしていたにもかかわらず、前原代表は、中国でその発言を変化させるどころか、いささかも手を緩めなかった。
その結果、中国では、要人との会談を果たせず、ほろ苦い外交デビューとなった。

正直言うと、私が彼の立場だったら、ここまで言い切れたかどうか疑問だ。
もう少し、ニュアンスの幅を持たせたところだろう。(良くも悪くもだ。)
ここは、彼の性格によるところが大きいと思う。いや、きっとある信念に裏打ちされたものなのであろう。前原誠司は、どこまでいっても前原誠司だ。

政策的には「真空」の小泉首相に比べ、前原代表の場合は安全保障のプロとしての自負もあり、また中身が詰まっているだけに、相手としてはやりづらいであろう。中国政府高官が会見を拒んだ真相は、「こいつはチト組しにくい」と「待った」をかけた格好だろう。(しかし、アメリカ人にしろ、中国人にしろ、中長期的にはこういう率直なタイプのリーダーの方が対話を進めやすいと感じるのではないかと思う。)

短期的には、マスコミが期待していたほど(前原本人はそれほど期待していなかったよに思うが)の外交成果が上がらず、さほど高い評価を与えられないかもしれないが、私は、(負け惜しみでもなんでもなく)今回の結果は、わが国の国益にとっても、民主党にとっても、青年政治家・前原誠司の将来にとっても、延いては日中両国にとっても、じつに意義深いものであったと考えている。

ポイントは大きく二つ。
第一に、胡錦涛主席はじめ中国のトップクラスと会談できなかったことは、むしろ良かったと思っている。それは、これまでの野党外交を思い起こせば理解しやすいであろう。19世紀的な古典外交を旨とする中国政府にとって、野党党首というのは、「一緒に日本の政権を批判できる」という一点で利用価値があったのだ。今回、前原代表にとっても、「小泉首相は何もわかってない、でも我々は理解し合えるね」などと友好ムードで乾杯を繰り返す方がはるかに気が楽であったに違いない。これまでは、程度の差はあれこれが野党外交の基本路線だった。(実際、社民党の福島党首は、このラインで胡主席との会談に「成功」したし、朝日新聞が前原訪中に「期待」したのはこのラインだったに違いない。)

しかし、その場しのぎの友好演出は、必ずしも真の(成熟した)協調関係の構築につながらないのだ。むしろ、中国側の神経を逆なでしないように配慮すればするほど、日本の国益に抵触するような譲歩を強いられることもしばしばだったように思う。しかし、前原代表の「新思考外交」はこれまでの既成概念を覆した。

前原外交の真骨頂は、国益に基づいて、最初にすべての懸案をテーブルの上に乗せるというやり方なのだ。歴史問題、台湾、東シナ海資源開発、環境問題、エネルギー、エネルギー消費効率の向上支援などなど。あくまで、今回は第一歩に過ぎないのだ。そこで妥協したり、あいまいにしたり、変に相手に期待を持たせるのではなく(それが裏切られた場合には、さらに関係がこじれるであろう)、忌憚なく何でも話し合える成熟した二国間関係をつくっていくのである。

確かに、短期的にはつらい作業だ。しかし、偽善的に友好万歳を繰り返すよりはるかに生産的ではないか。このように、ブロックを一つ一つ積み上げて行くアプローチを取れば、誤解は生じにくいものだ。「外交は両国の国益を調整する技術」にほかならないから、友好と叫んで相手のご機嫌を取るのは、外交でもなんでもない。それは、「社交」である。(その意味から言えば、朝日新聞が指弾したのは、前原代表の外交センスではなく、「社交センス」だったのだ。)

つまり、これからが肝心なのだ。ここから、私たちは、骨太の戦略的な対中、アジア外交を構想して行かねばならない。今回は、あくまでその第一歩。焦ることはない。過去4回の民主党代表訪中が中華人民共和国主席に迎えられたのと短絡的に比較するのは的外れだ。

第二のポイントは、「靖国問題」が日中間の唯一最大の懸案、とする中国側の論理が崩れたことだ。中国政府は、繰り返し、(小泉)首相による靖国参拝こそが、日中関係の発展妨げる最大の元凶と位置づけてきた。この論理は、最近の小泉首相による「靖国問題はもはや外交カードになりえない」といった挑発的なコメントに応える形で、東アジア・サミットの場でも中国首脳によって繰り返し表明された。

この点で、前原代表は、ワシントンでも、ニューヨークでも、北京でも、きわめて明確なメッセージで応えたのである。いわく「A級戦犯が合祀されている靖国神社へはわが国の総理大臣、外務大臣、官房長官は参拝すべきでない」と。しかし、である。中国側は、この自らが「唯一最大の争点」と規定した問題に対し現実的で具体的な解決策を提示した前原代表を、事実上「拒否」したのである。

(私は訪中に同行したわけではないので)拒否の理由は定かではないが、さしあたり、①中国の軍拡を「現実的脅威」と指摘したこと、②東シナ海における日中中間線をまたぐ海域での海洋資源の共同開発を中国側が拒み続け、一方的に資源開発を進めるならば日本側も試掘に踏み切らざるを得ない、と言明したこと、あるいは、③ミサイル防衛システムの日米共同配備をめぐり集団的自衛権の行使に言及したこと、などが考えられよう。つまり、親中派の人士が盛んに言ってきた「靖国問題さえ解決すれば、日中関係は正常化する」という仮説はもろくも崩れたのである。このことは、与野党を問わず、日本外交にとってきわめて重要な転機を意味しよう。

すなわち、今回の前原訪中は、「かりに靖国問題を脇に置いたとしても、なお日中間には懸案が山積している」という冷厳なる事実を浮き彫りにした。しかも、前原代表は、靖国問題の解決策を提示しただけでなく、さらに進めて、日中間の諸懸案を解決するための「包括的な対話」の枠組みを構築しよう、と呼びかけたのである。これに対して、中国首脳は、その提案を検討するどころか、会談すら拒否したのである。

このことは、私たちに、少なくとも次のような課題を突きつけている。それは、現在の中国政府は、日本との忌憚のない戦略対話(包括対話)に臨む意思を持っていないか、何らかの理由で政権の内部がそういうことを許す環境にない(あるいは、そういった大胆な妥協を行う内政上の準備が整っていない)か、いずれかであろう。そうであるとすれば、これ以上、日中関係改善に腐心しても無駄とは言わないまでも、ほかに突破口を探った方がよほど効率的ということになるのではないか。

そこで、私がかねがね提唱してきたように、いったん中国との関係をクーリング・オフ(もちろん、それでも「経熱」は続くであろう)して、「遠交近攻」策でもって、中国を取り巻く他のアジア諸国、具他的には、ASEANや豪州やインドやロシアや中央アジアや韓国などとの関係強化に外交資源を投入すべきではないか。そうすることによって、中国が日本との関係を真剣に考えざるを得ないような戦略的環境をアジアに形成して行くのである。もちろん、アメリカとのさらなる関係強化もこの流れを加速しよう。

(Still to be continued)