寄せられるコメントには全て目を通しています。
全てにお答えできないのは心苦しいのですが、中には答えようのないものもあるのも事実です。離党勧告や厳しい同僚議員批判も数多く寄せられていますが、それぞれのご指摘には一理あると認めるものの、にわかに同調することはできません。たしかに、永田議員は懲罰動議が両院で可決される前に自らの進退を決めるべきだと思いますが、私は、現時点で、民主党そのものに絶望しているわけではありません。もちろん、政府与党に対する批判勢力という役割だけなら、共産党のほうが余程「確かな野党」といえるでしょう。私は、単なる批判を超えた政策競争をやり抜くことこそが民主党の使命と心得ておりますので、そこは、今後の私たちの動向を注視していただければ幸いです。

さて、幾多のコメントの中でも、Unknownさんの2006-03-10 20:20:01(「党再生への手がかり」に対するコメント)はとくに労作で、私の関心領域にズバリ切り込んでいただいていますので、以下に少し考察をめぐらせてみたいと思います。

まず、武力行使をめぐり、集団的自衛権を云々するより、実際に我が国が何をすべきか、何ができるかの議論を積み上げてコンセンサスを得るべきだ、とのご意見には基本的に賛成です。前原代表にもその点はアドヴァイスさせてもらったこともあります。すなわち、抽象的な集団的自衛権の議論から入るよりも、我が国の安全保障において最低限なすべき行為(たとえば、周辺事態における米軍との共同作戦)を明らかにして、その必要性について納得してもらう方がはるかにハードルは低いでしょう。

ただし、憲法と基本法の関係については若干の誤解があるようなので、改めて説明させていただきます。私は、基本法の規定が憲法規範をはみ出してしまうなどということは毛頭考えておりません。あくまで、憲法の範囲内で許される具体的な行為内容を基本法で規定すべきです。つまり、「新しい憲法」では、自衛権を明記することになりますが、そこには当然のことながら、国連憲章で行使が認められている個別および集団的自衛権が含まれます。それを、基本法で、自衛権行使の態様を具体的に絞り込むのです。

すなわち、「新しい憲法」で明記される自衛権の行使は、もちろん米国(あるいは他の密接な関係のある国)との集団的自衛権の行使をも含む概念ですが、それは、(我が国の国益との関係が薄いような)地球の裏側まで行って肩を並べて武力を行使することを直ちに容認するものではありません。したがって、基本法で、集団的自衛権の行使については、周辺事態における米国(あるいは米軍と共同作戦に従事する他の友好国)との共同行動に限定して認める、とすべきだと考えています。この程度のことであれば、党内論議にも十分耐え得るものと確信しております。

さて、検討すべき10の事例はいずれも示唆に富むものです。基本的に、私は、周辺事態を超えた、海外における武力行使は、明確な国連決議の授権なしには認めるべきでない、と考えております。したがって、(1)(2)(3)への自衛隊の参加には否定的です。(4)は当然可能、(5)は法理的には可能(ですが、事態の推移や国益との密接性を慎重に見極め政治判断すべきことは言うまでもありません)、(7)は周辺事態ですから法理的には可能(ですが、政治的には慎重を要することは当然です)、(8)(9)は周辺事態の範囲内なら可能(ですから、将来的にはグアムまではカヴァーされるかもしれません)、(10)は過去の政府解釈(鳩山内閣時)の通り、法理的には個別的自衛権の行使であり可能、(6)は微妙ですね。

最後の(6)は、集団的自衛権とは直接関係のない海外での武力行使ですが、今後ますます必要性が高まるものと考えます。できれば、地域的な海洋の安全保障の枠組み(対処のルール)をつくり、国連に代わる集団安全保障措置のローカル版(アジア太平洋版)と位置づけ、日本も他の域内諸国と共に参加する方法を模索したいものです。

いずれにしても、安全保障法制を考える上で、これまでのような抽象論から、具体的な事例に即した議論を深めていく重要性を改めて示唆していただき感謝しております。また、ご批判ご意見賜れば幸いです。