安倍首相の突然に退陣により、テロ特措法の期限延長は事実上不可能となった。後継首相は、「インド洋での補給活動の継続は国際公約」との前政権の立場を踏襲する姿勢を見せているが、11月1日の特措法期限切れにより海上自衛隊の補給部隊(護衛艦1隻、補給艦1隻)の活動中断は避けられない情勢だ。

そこで、民主党の立場から、この問題を改めて考え直してみたい。まず、2001年9月11日に勃発した米国同時テロ事件は、日本人24名を含む3000人余の命を奪う未曾有の大惨事であり、翌12日に全会一致で採択された国連決議1368で認定されたように「国際の平和と安全に対する脅威」である。したがって、同決議が確認したように、米国が個別的自衛権の発動で、また他の同盟諸国が集団的自衛権の発動で、同時テロの首謀者であるウサマ・ビンラーディンはじめ国際テロ組織アルカーイダを匿うアフガニスタンのタリバン政権(当時)に反撃を加えることは、当時の状況に鑑み十分理解できることであった。さらに、我が国が、国際社会の責任ある一員として、最大のテロ被害国であるアメリカの同盟国として、国内法制の範囲内でできうる限りの協力を行うことは、同決議のいう「脅威に対しあらゆる手段を用いて戦う」との趣旨に沿ったものといえた。

当時の日本政府は、自衛権行使としてアフガニスタン攻撃を行っている米軍等多国籍軍に対し、(非戦闘地域において直接の武力行使にあたらない)洋上の補給活動をもって後方支援するという重大な政治決断を行った。民主党も、この趣旨には概ね賛同し、戦時の自衛隊海外派遣という前例のない事態に鑑み、「国会による事前承認」を最低条件に緊急立法(特別措置法)を容認する姿勢を見せた。その後、与党内の足並みの乱れから、民主党の要求した「国会の事前承認条項」が斥けられ、特措法案の採決には反対に回らざるを得なかったことは不本意であったが、対応措置をめぐる国会の事後承認の際には、党論をまとめ賛成したのである。

ところで、その際の議論の前提は、あくまでも、米軍等多国籍軍が、同時テロの首謀者であるアルカーイダを根絶するための軍事作戦を一定の国際法上の枠内で遂行し、彼らを「法に照らして裁き」(国連決議1368)、テロの根元を確実に断つ、ということであったはずだ。実際、米軍の軍事作戦は迅速に成果を挙げ、攻撃開始から数週間後にはタリバン政権を崩壊させ、パキスタン国境の山中にテロリストたちを追い詰めた。したがって、我が国が「当面の措置」として2年間の時限立法を成立させたのは妥当であったといえよう。しかし、その後の米国の行動は明らかに常軌を逸したものだった。アフガニスタンでのテロリスト包囲作戦も中途半端に、米国は、テロとの戦いを進める国際協調路線から大きく外れ、戦線をイラクにまで拡大したのである。主要国のうち少なくともロシア、フランス、ドイツなどの反対を押し切り、大量破壊兵器の存在についても不確かなまま、イラク攻撃を開始。その後の泥沼は、4000人を超える米軍犠牲者とともに米国の国際的な威信を大きく傷つけ今日に至っている。

かかる経緯に鑑み、少なくともつぎの3点を指摘せざるを得ない。第一に、米国の単独行動主義が中東の混乱を拡大し、アフガニスタンでの治安回復、復興支援活動の長期化をもたらし、緊急措置としての自衛隊による後方支援活動を今日にまで長引かせてしまったこと。第二に、イラク戦争勃発以降、我が国の補給対象が、なし崩し的にイラク向けの作戦艦艇にまで拡大された可能性が否定できないこと。(このことは、特定海域ごとに指揮命令系統が分かれている米軍の部隊編成を考えれば至極当然である。すなわち、インド洋上で給油を受けた米軍艦艇はアフガン向け多国籍艦隊CTF-150隷下で活動するが、その同じ艦艇がペルシャ湾へ入ればCTF-158隷下に編入されイラク向けの作戦行動に従事する。我が国から供給された油を使って米軍艦艇がイラク向けの作戦に出撃しない保証はどこにもない。)第三に、イラク、アフガニスタンでの混乱が、米国に対しその外交政策の根本的な見直しを迫り、次期政権が民主、共和のいずれであっても、国際協調主義を基調にしたものにならざるを得ないこと。すなわち、今後の米国は、国連をはじめとする国際社会との政策調整により配慮せざるを得なくなるのである。

したがって、テロ特措法をめぐる我が民主党の政策は、(従来の路線を引き摺る政府与党の政策とは一線を画し)これらの客観情勢の変化を先取りするものでなければならない。言い換えれば、インド洋上の補給活動を継続することのみが、あたかも「テロとの闘い」の国際協調における唯一の手段であるかごときの思い込みや、対米関係重視を強調するあまり、中東の安定化に向けた我が国の主体的な構想や戦略あるいは関与のあり方をめぐる議論そのものを避けようとする政府与党の著しく主体性を欠いた議論にお付き合いする必要はないのである。要は、我が国が「テロとの闘い」を目的と手段の両面から改めて捉えなおし、米国はじめ他国からの要請や働きかけに基づいて動くのではなく、主体的に行動すべきなのである

そこで、インド洋上の補給活動の継続に代わる、我が国としての現実的な代案を検討してみたい。キーワードは、国連決議、NATO、「テロとの闘い」の仕切り直し、ということになろう。3度にわたる特措法の延長というこれまでの政府のやり方は、明らかに法の趣旨を歪めるものであった。したがって、突然の首相退陣があろうがなかろうが、そもそも今回の延長には無理があったといえる。では、新法ならばどうか。未だに中身ははっきりしないが、洋上補給の継続に的を絞り、国会関与規定も欠落しているのであれば、議論の対象にすらならない。そもそも、6年間にわたる洋上補給活動の実態を明らかにできない(明らかにできない軍事上の事情等は理解できる)以上、イラク戦争への転用疑惑を払拭することは難しい。むしろ、新法というのであれば、洋上補給の継続に代わる「テロとの闘い」への参加形態を考えるべきだろう。

すなわち、911同時テロ直後の興奮状態から6年が経過したのであるから、改めて、日本の自衛隊が海外活動を行う際の基本原則に立ち返って考え直すよい機会だと思われる。民主党は、『政権政策の基本方針』(06年12月)において「国連の平和活動は、国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致し、また主権国家の自衛権行使とは性格を異にしていることから、国連憲章第41条及び42条に拠るものも含めて、国連の要請に基づいて、わが国の主体的判断と民主的統制の下に、積極的に参加する」と定めた。(もちろん、現実の国際政治を考えた場合、国連至上主義には危うい面もある。たとえば、我が国の死活的な国益が危機に瀕した場合でも、5大国(P-5)が一致しなければ国連安保理決議は得られず、国連が機能しない可能性は否定できない。とはいえ、現実に起こった事象に引き摺られるかたちで、憲法や法律の趣旨をなし崩し的に拡大・変更することは、法治国家として許されるものではない。「周辺事態」を超えて、海外において現に武力を行使している外国軍部隊に対して軍事支援を行う(実際、01年11月の補給活動開始から、少なくともラムズフェルド米国防長官が「主要な戦闘が終結した」と宣言するまでの約1年半は、個別的・集団的自衛権を行使する米英軍の戦闘行動に対する補給支援活動であったというのが実態)ことは、戦後の我が国の国内法体系からみて相当無理をした内容であることはいうまでもない。)

さて、民主党の海外協力に関する原則に照らして今日のアフガニスタン情勢を見てみると、01年12月に国連決議1386によって創設されたISAF(国際治安支援部隊)の活動の正当性が際立っていることがわかる。ISAFは、タリバン政権打倒を果たし、タリバンやアルカーイダの残党を掃討する米軍の作戦行動に代わり、新生カルザイ政権を支援するため、アフガニスタンの治安安定化のためにNATOがイニシャティヴを発揮し42カ国の協力の下に展開されてきた。首都カブール周辺から北部へ、西部へ、南部へ、東部へと、そのつど新たな国連決議を採択し、展開地域を拡大して、今日ではアフガニスタン全土を掌握し、治安安定化の国際努力の中核を担っている。このISAFの活動は、パキスタン国境付近の東南部に兵力を集中させ、タリバン・アルカーイダ掃討作戦を展開する米軍による軍事行動の成否に直結するアフガニスタンにとっては死活的に重要性を帯びたものだ。このISAFへの参画こそ、我が国が真剣に検討すべき「テロとの闘い」のための国際協力であろう。それは、また、NATOとの軍事協力という、我が国の外交安全保障政策にとって新たな地平を拓くものといえる意義深いものである。しかも、ISAFは、米国もその一翼を担っており、上述のように米軍の掃討作戦をもサポートするものであるから、日米同盟関係の強化という観点からも意味がある。

 では、具体的に考えられる活動とは何であろうか。・・・ここから先は、今は明らかにすることはできない。もったいぶる訳ではないが、政府与党の出方を見極めたうえで、追々具体案を明らかにして行きたいと思う。

(なお、誤解を避けるため断っておくが、この考察は、あくまで民主党の『政権政策の基本方針』に基づいたいわば原理原則アプローチに主眼を置くものであって、現実論に比重を移せば、私自身としては、インド洋上での補給活動が多国籍艦隊による海上警察行動を通じてテロリストの流入を抑止し、アフガニスタンの治安安定化に寄与していると考えているので、国内法的枠組みを整理し直した上で(ここが一番重要!)、洋上補給活動を再開する選択肢を必ずしも排除するものではない。・・・2007-09-19追記)