以下に再掲するコラムは、いまから5年前、中国の呉儀副首相(当時)が、小泉首相(当時)との会談をドタキャンし急遽帰国してしまった翌日に書いたものです。その前月には中国各地で大規模な反日デモが暴徒化する事件が起こっています。

最近も、尖閣諸島をめぐり領海侵犯した上に海上保安庁の巡視船に衝突した漁船の船長を、我が国の国内法に則り逮捕・拘留していることに対し、中国政府は、閣僚級交流の停止をはじめ次々に報復措置を繰り出して来ました。南シナ海でも傍若無人な振る舞いがASEAN諸国のみならず米国の警戒心を惹起しています。このような中国とどう向き合うべきか。5年前のコラムの内容は今も十分通用するものだと思います。ぜひご一読ください。

(引用はじめ)
しかし、私は、日中関係の現状を直視し、このようなことに一喜一憂すべきでないと考えている。換言すれば、72年の国交正常化以来の「日中友好万歳!」といったオメデタイ関係ではもはやなくなったということ。私は、日中のライヴァル関係は、両国の経済が破綻しない限り、向こう数10年は続くと諦観している。したがって、無理に仲良くしようとしないことだ。多少のトラブルにも動じないことだ。

これまで、「日中友好」を至上命題に、無理に仲良くしようとした結果、総額3兆円に上る対中ODAの成果は一顧だにされず、歴史認識では一方的に相手の主張を鵜呑みにし、東シナ海などにおける海洋権益をめぐっては主張すべきこともせずに、譲歩と妥協の連続で国益を大きく損なってきたのである。中華の国の定義に従えば、「友好」とは「従属」に他ならないのだから。我が国は、これまで摩擦を恐れるばかりに、相手の主張にしたがって友好関係を築かざるを得なかったのである。

ここは、じっくり腰を落ち着けて、対等で公正で持続可能な日中関係を築き直すことだ。それには、戦略的な外交が必要である。戦略とくれば中国古典『戦国策』。その中の「秦策」に「遠交近攻」というのが出てくる。遠国と結び、隣国を攻むるという外交戦略で、秦はこの基本戦略で統一を成し遂げたといわれている。

もちろん、中国に攻め込むわけではない。しかし、中国との外交関係を安定させるためには、これまでのように対中二国間外交に没頭するだけでは十分とはいえない。結局、相手のペースに嵌ってしまうばかりで、却って国内の対中フラストレーションが高まり、ちっとも持続可能で良好な関係は築けない。

そこで、「遠交近攻」策である。近くの中国との関係を正常化するためには、遠くの、例えば、インドやロシアやASEAN諸国との関係を確かなものにする必要がある。言うまでもなく、(地理的には近い国だが)韓国との関係も広い意味での遠交近攻策には不可欠な要素だ。また、アメリカとの同盟関係は「遠交」の要である。

とくに、中国の背後にあって経済面でも人口(つまり市場規模)の面からも中国を猛追し、中東湾岸から北東アジアへのシーレーンを扼するアジアの大国インドの存在は、日本にとって欠くべからざる戦略的価値を持っている。しかも、インドは、外交関係を強化する上で我が国にとってマイナス要因のまったくない珍しい国だ。

インド外交の詳細は別の機会に譲るが、このインドをはじめ、ロシアとの間で北方領土問題を解決し(この点で、佐藤優『国家の罠』は大変参考になった!)、ASEANや韓国との間でFTA・EPAを締結し、ちょうどジグソウ・パズルの要領で、中国をとりまく国際関係のピースを端から埋めていくのだ。そうすれば、最後に残った穴に中国のピースがすっぽりはまるであろう。日本との関係を改善しなければ、その他の国々との関係もままならぬ、と中国が悟るように道をつけていくのだ。

これが私の考える対中「遠交近攻」策である。つまり、外交戦略というのは、それぞれの二国間関係を積み上げていく「帰納的な方法」ではなく、日本が世界をどうしたいのか、どういう世界が日本にとって望ましいのか、というトータル・イメージを先ず明らかにした上で、そこで規定された国益と国家目標にかなう二国間関係を組み合わせていく「演繹的な手法」で構築すべきものなのではないか。
(引用終わり)