今朝の産経新聞に掲載された中曽根元総理の「首相退陣に寄せて」を読み、感銘を受けた。以下、抜粋。

「福田康夫首相の突然の退陣表明は、今の日本の首相級の政治家の素質、性質を表している。最近2代の安倍晋三前首相と福田首相の退陣では、強い粘りと必死の信念が見えず、サラリーマン化したとの印象を禁じ得ない。」

「首相の出処進退は、国民が納得するラインで、ある意味において厳粛でなければならない。国政の重大さ、対外的な重さがあるからだ。われわれの時代と比べ、首相の地位が軽くなってしまった感は否めない。
 これはジャーナリズムの問題も大きい。首相は国会で指名され、天皇陛下に任命される。憲法上、そういう重さで作られている。にもかかわらず、まるで普通の会社の社長の交代のように扱うから、政治家の心掛けも似たようなものになってきた。」

「福田さんは素朴な人柄だけに、執念を持たずに辞めたようだ。われわれの時代のように苦労して首相になれば、簡単に辞める場面にはならなかった。
 昔は、政治家がある段階で首相になろうと決意したら、そのための修行をして、いつでもなれるような体系を作った。見識を広め、修養を積み、国際関係も含め広く網を張って備えたものだ。同志も募った。」

「福田君、安倍君にしても良家の子弟だ。下から汗水垂らしてねじり上がったのではない。地位に恵まれた面はある。一方、外国の指導者たちは、下から苦労して地位を獲得した歴戦の闘士だ。温室育ちの日本の政治家は、外国の指導者と太刀打ちできるだけの修行が必要だろう。」

中曽根総理の言葉は、これからの政治家に対する戒めと受け止めたい。たしかに、三角大福中と呼ばれた歴代宰相は、皆叩き上げ。加えて、彼らは、「55年体制」と呼ばれる政治の安定期に突入する前に政界入りを果たし、自由党、民自党、民主党、改進党、国民協同党、社会党などが乱立した戦後の激動期を「ねじり上がった」政治家たちである。結局、安倍さんも福田さんも、自民党一党支配下の安定期しか知らない。したがって、昨夏以来の「ねじれ国会」のような事態に直面し、為す術なく(どころか、悪いのはすべて民主党と言わんばかりの捨て台詞を残して)職場放棄して行ったのであろう。

職場放棄といえば、福田さんの無軌道ぶりは目に余る。マスコミは、「ぶら下がり取材」に一切応じなくなったことを盛んに非難しているが、もっと深刻な職場放棄を看過することはできない。それは、昨日行われた自衛隊最高幹部会同ドタキャンである。退陣表明し、文字通りレイムダック化した首相とはいえ、任期は未だ全うされておらず、福田氏が自衛隊の最高指揮官であることに変わりはない。最高幹部自衛官に対する首相の訓示は年に一度。これは、命懸けで我が国の平和と安全を守る自衛隊の将官に対する全国民を代表する首相としての最低限の務めではないか。