いよいよ、今秋の自著出版に向けて準備が本格化してきました。
以前のエントリーで、「野党政治家の品格」などというタイトルを口走って、思いっきり大ブーイングを食らってしまいましたが、その後、ある出版社の方から助言をいただき、一般の方々でもわかり易い外交論を書き下ろしてみることになりました。

「どうして日本の外交は世界で書くも軽く扱われてしまうのだろう」といった多くの国民の素朴な疑問に答えるという趣旨です。出版社の皆さんは、会計学を身近な疑問として解き明かしベストセラーになった『さおだけ屋はなぜ潰れないか』(光文社新書)のイメージがあるようです。どこまで期待にこたえられるか自信はありませんが、私が常々持っていた問題意識と重なる部分が大きかったので、お引き受けすることにしました。

私の問題意識はこうです。
外交には「力」の裏づけが必要です。ジョセフ・ナイが指摘するように、近年ソフト・パワーの重要性がより高まってきてはいますが、それは伝統的なハード・パワーに取って代わるものではありません。しかも、それは、経済力だけでは圧倒的に力不足というものです。なぜ日本の外交が国際社会からも国民からも評価が得られないかというと、それは外交にとってもっとも重要な柱である「軍事力」を半ば封印してきたことに最大の要因があると考えます。

言い換えれば、日本外交は、経済、文化、情報、軍事という碁盤の四隅を使いきっていない、将棋でいえば飛車角落ちで、世界の強豪を相手に対局しているようなものです。敗戦の後遺症(もちろん失敗を反省することは大切なことですが)によって、戦後半世紀もっぱら「経済外交」を追求してきましたが、いよいよ90年代後半からそんな悠長なことを言っていられなくなり、最近では経済外交の限界をいやというほど思い知らされる出来事が続いてきました。

昨年の国連安全保障常任理事国入りの失敗や、ODAばら撒き外交の限界、最近の中東和平でまったく存在感を示せない原因もまたここにあります。北朝鮮や中国に対する外交姿勢においても、アメだけでは如何ともし難い現実を見せ付けられてきました。しかし、だからといって、やたらめったらムチを振るえばよいかといえば、もちろんそうではない。そこには、自ずと「プルーデンス」(私は、慎慮と訳しています)が必要です。しかし、単に軍事力を封印し続けるだけでは、外交における硬軟の使い分けという「慎慮」はいつまでたっても政治家にも国民の間にも育まれないでしょう。

そんな問題意識を背骨にしながら、骨太の外交論をなるべく平易に語り尽くしてみたいと考えています。これから秋に向けて悪戦苦闘の日々が続くことを覚悟しますが、やると決めた以上、全力で取り組む決意です。

そこで、最後に皆さんにお願いです。
日本外交に関する皆さんの素朴な疑問を、どしどしお寄せください。
本書の中でなるべく取り入れさせていただきたいと存じます。
例)
なぜ東シナ海における中国の進出を許してしまったの?
米軍再編で日本はどんな対米交渉をしてきたの?
日米中「三角形」の考え方は正しいの?
日本はなぜ核武装しないの?
国連安保理の常任理事国になるとどんなメリットがあるの?
アジア外交をどうやって立て直すの?・・・などなど。