公務の合間を縫って、議員会館で行われたオウム事件(坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など)被害者救済問題を考えるシンポジウムにパネラーとして参加しました。

その模様が、NHKニュースで報道されています。
http://www3.nhk.or.jp/news/2006/10/04/d20061004000151.html

シンポジウムでは、地下鉄サリン事件被害者の会代表の高橋シズエさんをはじめ、一連のオウム事件で破産管財人としてこの10年余りご苦労なさって来られた阿部弁護士らから、被害者救済のための施策の実現を求める切実な要望が提起されました。

私からは、大要以下のような話を、政治家としての決意を込めてさせていただきました。

地下鉄サリン事件は、12人の尊い命が奪われ、5500人以上の方々が巻き込まれ負傷された未曾有の大惨事。(また、松本サリン事件でも、7人が死亡、400人以上の方々が負傷された。)テロの規模において、あの「9.11同時多発テロ」(2001年)とほぼ互角。しかし、国の被害者対策には雲泥の差があります。

私は、昨年の地下鉄サリン事件10周年のメモリアル・シンポジウムに合わせて国会図書館の協力の下に、日米の比較調査を行いました。その余りにも信じられない結果に愕然としました。(その結果は下記のURLから参照できますので、ぜひご覧ください。http://www.nagashima21.net/docs/higaishahikaku.xls)

冒頭にも書いたとおり、二つのテロによる被害者数は、5500人とほぼ同じ。(ただし、死者の数は、9.11の2880人に比して地下鉄サリンでは12人だったが。)

問題は、被害者への補償額とその適用規模の差異です。アメリカの場合、死亡の2880人すべてに対し総額約60億ドル、負傷の2680人に対し総額約10億ドルが給付されました。一人当たりの平均給付額は、じつに126万ドルを超え、日本円にして約1億5000万円相当に上ります。これに対して、地下鉄サリン事件の被害者5500人のうち、「犯罪被害者等給付金の支給等に関する法律」(1980年成立)の適用を受け給付金が支払われた方は、たったの2人・・・!労災支給金もほんの一部の方だけ。

まさか、それだけではないはずだ、と調べてみてさらに呆然。被害者の方々は、肉親の失った悲しみを胸に教団幹部らを相手取り民事訴訟を起こし、15被告全員に対し勝訴した。そこで損害賠償は・・・なんとゼロ!教団は、民事訴訟を起こした5ヵ月後に破産。債権の届出は、被害者のみならず国や自治体からも提出された。債権者への配当率は当初たったの16%。その後、亡くなられた石井紘基代議士の尽力により国や自治体などを劣後配当とする新法や、オウム事件に限定された被害者保護法が成立し、事件の被害者への配当率は約3割となりました。しかし、まだ3割にとどまっており、その金額は、交通事故の場合の自賠責保険の金額にも満たないものです。

しかも、この制度そのものが、教団に損害金を破産管財人へ支払うための経済活動を認めざるを得ない(つまり、結果として教団の存続を認める)ことになるという、被害者の方々からすれば到底受け入れがたいディレンマを内包しているのです。さらに厳しい現実としては、この中途半端な救済策ですら、債権届けを提出した被害者が1137人(全被害者のたった2割)にとどまること。

ここは、裁判所が認定した地下鉄・松本サリン事件の被害総額約28億円のうち未配当の20億円超を国が買い取って、国の責任で被害者への損害補償を行うべきだと考えます。そのための新たな法律を早急に成立させねばなりません。

いずれにしても、被害者支援における日本と欧米との差は歴然。二つのテロ事件に対する政府の施策を比較して浮かび上がったこの差は、一体どこから来るのでしょうか。それは、国民の生命と財産を守る、という国に任された最低限の責務を果たし得ない日本政治の根本的欠陥から来るのです。数年前まで四半世紀も拉致問題を無視し続けた政府の無責任な対応と軌を一にします。

欧米の被害者支援の基本思想は、国家がテロや犯罪から自国民を守れなかったために、被害者の人権が侵害されてしまった、という深い悔悟と反省がその中核にあります。したがって、侵害された人権の回復・救済を「補償金」という形で、被害者に給付するのです。被害者からすれば、それを国に請求する当然の権利(請求権)ということになります。

翻って日本の場合はどうでしょうか。内閣府の説明によると、日本の給付金制度は、あくまで「見舞金」的な性格だというのです。すなわち、制度の背後にある基本思想は、「被害に遭われた方は運が悪かった。そこで、些少ですがお見舞金をお受け取りください」といったものなのです。そこには、犯罪を防げなかった国の責任意識も、被害者の人権を救済しようという姿勢のかけらも見られない。ここの基本思想を根本的に転換しなければ、本来の意味での(あるいは、欧米並みの)被害者支援制度は確立できないと思うのです。

じつは、この基本思想の欠陥は、一昨年成立した「犯罪被害者等基本法」でも是正されていない。昨年12月に策定された被害者支援基本計画でも後回しにされているものです。そこで、私としても、国政に携わる一人として、また、被害者支援を選挙公約の柱の一つに掲げた者として、「国による被害補償」の実現に向け全力を傾けたい考えています。この問題に党派はない。政府の尻を叩いて議員立法で一日も早い成立を図り、10年以上も事件の後遺症に苦しめられ、不安な日々を送ってこられた被害者家族の方々に何とか報いていかねばならないと、改めて決意させられました。