我が党内に「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」が設立されるという。呼びかけ人の代表が岡田克也副代表であるから、党内論議を行う上で、かなり重要度が高いといえる。

岡田さんは、たしかにとっつき難い方ではあるが、代表時代に訪米のお供をさせていただいたこともあり、プライベートの側面も垣間見て親しみも感じている。岡田さんは、昨年来、核軍縮議連を率いて、現実的で建設的な党内論議をリードしてこられたし、与党が渋っていた政治資金改革も岡田さんのリーダーシップと頑固さで実現させた。また、05年総選挙後は、とくに全国で懸命に頑張っている落選議員や浪人中の新人のところへ一人ひとり応援行脚に回っておられる。こういう姿は、否が応でも党内の信望を高めるもの。そんなわけで、私は岡田さんを密かに尊敬してきた。

しかし、それだけに、今回の議連の旗振りは残念でならない。
いずれにしても、今後の党内論議に備えて、現時点での私なりの考え方をまとめておきたい。(バランスを失しないよう、なるべく推進派の生の声を紹介しつつ考察を試みたい。)


さて、同議連の趣意書を読む限り、「特別永住者」に対し地方参政権を付与しようとの目的で結成されたものらしい。この問題は、公明党が非常に熱心で、自民党や民主党内にも推進派の議員が相当数いることは認識している。それらの方々がどういう考えであるのか、それを端的に表現していると思われるのが、野中広務元自民党幹事長の以下の発言であろう。

「かつて我が国が36年間植民地支配をした時代に、朝鮮半島から(強制)連行してきた人たちが、今70万人といわれている在日を構成している。一世はかつて、日本国民として創氏改名され、兵役にも従事し、日本国民として困難な時代を乗り切ることとなった。従って、日本社会に貢献し義務を果たしたこの一世やその子孫に我が国の地方参政権を与えることは、日本が国際国家としてありうる道ではないかと一人の政治家として考える。」(産経新聞1999年9月21日付朝刊)

いかにも善意と正義感にあふれる見解だ。
しかし、ここには看過することのできない3つの重大な誤解がある。

第一に、現在の「在日」の中には、朝鮮半島から強制連行されてきた人たちおよびその子孫はほとんどいない。終戦時の在日人口は約200万人で、そのうち戦時動員計画による労働者として終戦時に現場にいたのは約32万人。占領軍の命令によって、日本政府は引き揚げ船を準備し、運賃無料・荷物重量制限付きという条件で彼らを帰国させ、昭和21年末までに約150万人が祖国へ帰還した。引き揚げにあたっては、戦時移送計画により渡日した労働者が優先され、結果的に、32万人の「連行者」は、ほとんどこの時に帰国を果たしている。したがって、過度の贖罪意識から情緒的に参政権の話を進めていくことには慎重であらねばならない。

第二に、日本社会に貢献し義務を果たしているから、即ち参政権というのも短絡的だ。たとえば、納税の義務を果たしているからといっても、納税は、行政サービスや生活インフラなど国民が長年にわたって築き維持してきた様々な公共サービスの利用等に対する対価に他ならず、外国に居住する日本人もそれぞれの国に税金や保険料を納めている。しかも、納税を根拠に参政権をということになれば、税金を納めていない国民の選挙権の喪失や、かつてのような納税額による選挙権の制限などといった別の問題が生じてしまう。また、特別永住者の方々へは、1960年代後半から国民健康保険制度が、1980年代には国民年金制度が適用されるようになっている。

第三に、国際化のために永住外国人に参政権をというのも論理が飛躍している。この議論に対する反論は、自ら在日でもある東京都立大学の鄭大均教授の次の指摘が説得力を持つ。
「永住外国人の大半は「特別永住者」といわれる朝鮮半島出身者とその子孫だが、彼らは韓国・朝鮮籍を持っていても、本国に帰属意識があるわけではないし、外国人登録証を持っていても、自分を本物の外国人とは考えていない。・・・こういう人々が外国籍を持ったまま日本の参政権を行使するというのでは、国籍とアイデンティティーのズレが永続化してしまう。・・・「自分は民族的に生きたい」という人もいるが、それなら、コリア系日本人として生きていけばいい。民族的に生きるということと国籍を重ねて考えるはおかしい。・・・多文化共生社会を実現する一番確かな方法は、日本人という枠組みを多様化することだろう。コリア系日本人の誕生は間違いなくそれに寄与する。」(朝日新聞2004年8月19日付朝刊)

そもそも、参政権とは何ぞや。
参政権は、憲法15条1項に「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と定められている。
この権利は、他の自然権としての人権とは異なり、国民主権原理から導かれるもので、国家と運命を共にする構成員、つまり「国民」にのみ保障された権利で(あり、公務(義務)でも)ある。したがって、そもそも、日本国籍を有しない外国人に参政権は憲法上保障されない。この点で、最高裁判所も、平成7年の判決において以下のように判示している。

「(憲法15条1項)の規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものに他ならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文および1条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における「国民」とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有するものと意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法15条1項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人に及ばないものと解するのが相当である。」

このように説明すると、参政権付与推進論者からは、二つの反論が返ってくるであろう。第一に、付与するのは国政ではなく、地方の参政権であること。第二に、参政権といっても、選挙権のみで被選挙権は考えていないこと。代表的な主張を、公明党の国会議員の発言から拾ってみる。

「国には外交・安保など国益に関する機能があり、外国人の国政への関与は憲法上認められない。地方自治体は主に住民の日常生活に密接した事務を行っており、この面で一定の行政参加は許される。一方、自治体は国の統治機構の一部との側面もあるので、外国人が直接、為政者の立場になる被選挙権は与えない。」(山名靖英衆議院議員、東京新聞2004年10月3日付朝刊「私が正しい」)

推進派の急先鋒の議論にしては、いかにも中途半端ではないか。結局、原子力発電所の立地や、国民保護法に基づく住民の避難誘導、自衛隊や米軍の基地施設など、実態として中央と地方の政治行政は一体不可分であることまで否定することはできず、推進派の主張でも、外国人に認められるのは、地方における「一定の行政参加」であり、参政権とは名ばかりでじつは選挙権しか与えないというのだ。参政権の半分しか与えないというのは、あまりに偽善的で、新たな権利格差問題を生み出すことにもなる。また、「一定の行政参加」というのであれば、すでに100を超える自治体が住民投票で外国人の投票を認めているから、今後もこの動きを促進していけば街づくりへの意見反映の機会は確保されるのではないか。

そろそろ結論を急ごう。
これまで見てきたように、どうしても参政権を行使したいというのであれば、国籍を取得していただくほかない。たしかに、現行の国籍法に基づく国籍取得(帰化許可申請)には、七面倒くさい書類提出が伴う。そこで、とくに、植民地統治という戦前戦中の負の歴史と切り離し難い在日韓国・朝鮮、台湾人といった「特別永住者」に限っては、帰化手続を大幅に緩和して、本人が希望すれば届出により日本国籍の取得が可能にする国籍法の改正(もしくは国籍取得特例法の制定)を提案したい。これは、従来の審査による帰化の許可とはまったく性格が異なるものだ。

また、「過去の清算」というのであれば、「特別永住者」という特殊な集団を固定化するような安易な参政権付与には慎重であるべきだと考える。それよりも、鄭教授が示唆するように、「日本人という枠組みを多様化する」ことによって、日本型の多文化共生社会を創り上げていくべきだと考える。その中で、70万コリアンの皆さんには、朝鮮半島の文化と伝統を脈々と引き継いで、日本の中に活き活きとしたコリアン・コミュニティを形成していって欲しいものである。

追記(2008年1月29日)
以上のような思いから、明日午後、同志の皆さんと外国人参政権問題についての勉強会を開催することとした。24名の呼びかけ人のほか、名前は出せないものの趣旨に賛同する議員は少なくとも20-30名ほどいることに意を強くしている。一部の報道では、党内政局の新たな火種のような書き方をされているが、現在、過去、未来にわたってこの国の舵取りを担う参政権のもつ重い意義をしっかり見据えた議論を党内で喚起していくつもりだ。まかり間違っても、こういう国家の根本問題を政局に利用してはならない。勉強会発足にあたってこの点を十二分に弁えていこう、と同志とも確認し合っている。