久しぶりのワシントン。
お陰さまで、天候は快適そのものです。
当地に着てから毎朝走っています。日本では、なかなかできないですからね!
初日の朝は、ジョージタウンの古い町並みからワシントン・ハーバーに出て、朝日に光るキー・ブリッジにしばし見とれてしまいました。
二日目の朝は、ワシントン・モニュメントから巨大なモールを西に向かって(連邦議会議事堂と反対側に)走り、リンカーン・メモリアルを回って市外を抜けるコース。あふれる緑と重厚なデザインのオフィス・ビルの調和が相変わらず魅力の街並みです。

ところで、DC市外には至るところに新しいビルが建ち、建設中のビルが目立ちました。たしかに、ワシントンに到着した午後に郊外の友人の家へお邪魔したときも、その道すがら新たな住宅街や洒落たオフィス・ビルの建設ラッシュを目の当たりにしましたが、米国経済の活況を見せ付けられる思いです。

さて、二日目の討議も大変興味深い内容となりました。

午前中は、中国情勢の分析と討議。国内情勢から外交政策、安全保障問題までかなり包括的で詳細な議論となりました。

アーミテイジ前国務副長官とのワーキング・ランチでは、日米同盟の将来について、彼の率直な思いを聞くことができ、改めて同盟のマネージメントにおける日米両国の「不断の努力」の重要性について考えさせられました。

とくに、昨日書きかけた今回の米軍再編における課題ともつながる部分が多く、自分の考えを補強してもらった形となり意を強くしました。私が考える米軍再編の課題―なぜ米国ペースに終始せざるを得なかったか―の核心は、ズバリ日本における「集団的自衛権不行使」という自己規制にあります。そもそも現行の日米安保条約を前提に米軍再編の議論を進める限り、「有事のリスクは米国、平時のコストは日本」という基本構造を大前提にするわけですから、日米の戦略協議では常に米側が要求を出し、日本側が受身に終始する(その挙句、日本側は国内的な事情を盾に米側の要求を「値切る」交渉に陥る)ことになるのは理の必然ともいえます。同盟関係において、主体性を失い、値切り交渉に終始する様は、国内的にも同盟相手国にとっても、信頼を得ることは難しいでしょう。

今回最終合意に至った『日米同盟の変革と再編』は、同盟の「変革」を謳いながら、実態としてはこれまでの延長に過ぎず、微修正に留まったと見ます。8000人もの海兵隊部隊が沖縄から撤退するのに、横田や座間で日米の司令部機能が「合体」するのに、BMDシステムで日米協力が大幅に深化するというのに、微修正とは表現が大袈裟に聞こえるかもしれませんが、日本政府としては、前述の大前提を変えていないのですから、それは、せいぜい1996年の「日米安保新宣言」並みの変革に終わったというのが正確なところだと思います。だからどうした?と思われるかもしれませんが、米側の「変革志向」がドラスティックで大規模で周到な準備に基づくものであるだけに、彼我の取り組み姿勢の「落差」が余りにも大きい。

この落差は、近い将来必ず日米間の摩擦の原因になるでしょう。経済摩擦と異なり、安全保障をめぐる摩擦は、同盟関係の根幹にかかわりますから、きわめて深刻です。連休明けには、米軍再編論議が必然的に待ち構えています。私もその先頭に立たねばなりません。しかし、この国会審議が、日本側の財政負担論議に終始するなら、米側の苛立ちは頂点に達するに違いありません。なぜなら、日米協議の過程で、日米両国は、共通の戦略目標に合意(05年2月)し、日米の新たな軍事的な役割・任務・能力の責任分担について合意(05年10月)した上で、その目標を達成し、役割分担を実現する米軍の再配置について合意(06年5月)したのですから。しかも、前述のとおり、「リスクは米国、コストは日本」という基本構造に変化がない以上、安保条約第6条に基づき「米軍の施設・区域(つまり基地機能)」については日本側が負担することになる、と少なくとも米側は了解しているのです。

こういうロジックになる根本原因は、繰り返しになりますが、日本側が集団的自衛権の不行使を貫いていることにあるのです。この際、「セルフ・ヘルプの基本原則と民主党予算における5000億円の防衛費削減との整合性」についての疑問にもお答えしたいと思いますが、日本が安全保障分野でなすべきことは、必ずしも防衛費を拡大して立派な兵器を購入すること(ばかり)ではないと考えます。我が国の安全保障政策の基本方針を改めることにより、正面装備を買い揃えるよりもよほど効率的に抑止効果を向上させることができる。そのポイントが、集団的自衛権の行使に他ならないのです。つまり、セルフ・ヘルプの原則です。「米国に守ってもらう代わりに平時のコストを負担します」という前提を見直すことです。場合によっては、我が国が米国を守ってやるのだ、と意識変革するべきなのです。そんな大それたことを!と驚かないでください。米韓同盟も、米豪同盟も、米欧同盟も、セルフ・ヘルプと相互防衛の原則に基づいているのです。

相互防衛の原則に立てば、米軍との協力はさらに緊密化し、抑止力の強化につながることは改めて説明を要しないと思います。これは、むやみやたらな正面装備の拡充よりはるかに有効な安全保障努力に違いないでしょう。しかも、相互防衛の原則に立ち返れば、なにも「有事のリスクは米国、平時のコストは日本」という役割分谷はならないはずで、したがって平時の基地負担は大幅に減らすことができるはずです。そうすれば、年間6000億円余に上るホスト・ネーション・サポートの大半は不必要となり、(多少こじつけ気味ですが(苦笑))5000億円の防衛費削減とセルフ・ヘルプの基本原則は両立することになります。もちろん、次の内閣防衛担当としては、5000億円削減を容認することには大いなる躊躇がありました。しかし、「国家財政破綻の回避」というもうひとつの重大な国益との調整において不承不承受け入れたのです。

さて、話を元に戻します。繰り返しますが、連休明けの国会審議を、グアム移転経費負担をいくらにすべきか、といった財政論に矮小化させてはいけないと思っています。米軍再編というものを正面から見据えて、その意義や、理念や、規模や、有効性などについて、真剣な議論すべきです。そこでは、当然、米国ペースで再編協議が進められた原因についての考察が必要です。日本の主体性の欠如にも考えをめぐらせねばなりません。その上で、今回、巷間言われているような3兆円に上る負担の是非について論じるべきなのです。結論から言えば、集団的自衛権の行使に踏み込んで、相互防衛の日米同盟に変革した上で、米軍再編の議論をすれば、我が国はより主体的な構想を示すことができたであろうし、自国の財政負担についても積極的なイニシャティヴが取れたに違いありません。

では、交渉をやり直せ、というのか?
そんな非現実的なことを叫ぶつもりはありません。
今回の3年にわたる日米協議を真摯に振り返って、我が国として反省すべきは反省するべきなのです。戦後政治の残滓を引きずる余りに1960年以来の日米安保体制をめぐる我が国の基本姿勢を改められなかったことにより、どれだけの過重な負担を国民に強いてしまったのかについて、朝野を問わず、与野党を問わず、深く静かに反省すべきだと思うのです。私は、少なくともそういった観点で、連休明けの国会審議に臨みたいと思っています。

いよいよ、最終日のハイライト、シミュレーション・ゲームに臨みます。この内容は余りに刺激的なので、明かすことはできません(ごめんなさい!)が、昨日午後の米連邦議会議員や元国防次官補代理で96年の日米安保新宣言策定の立役者でもあるカート・キャンベル氏(米民主党!)との議論の報告などは次回に譲ります。