昨日のつづきです。日付をまたいでエントリーするというのは、書き手にとっても読み手にとっても好ましいものではありませんね。当然のことながら、その間に、中途半端なエントリーを読んでのコメントが多数寄せられてしまいました。そのため、言い訳から入らなければならないというのはホント辛いですね。

冒頭の「唯一の国会議員として参加」というのが、他に誰もいなかったぞ、俺様はすごいだろ!ってな印象となってしまい、赤面。さらに、「高橋シズエさんからのご案内で・・・参加させていただき、本当に肩身の狭い思い」をしたというのは、どうしても、高橋さんのせいで私が肩身の狭い思いをした、と読めますね。これも、まったく私の意図に反したものです。

「国会議員唯一の参加」という事実は、「日本側政府関係者の不在」と相俟って、今日の我が国の被害者支援立法の立ち遅れと、テロ犠牲者に対する国の責任意識の欠如を如実に表すもので、さらに、同じテロ被害国の米国大使が超多忙な日程を40分も割いて参加されたことと併せ考えた時、日本国の国会議員として大変恥ずかしく「肩身の狭い思いをした」ということなのです。

この問題の深刻さを認識している国会議員が、私一人などと誇大宣伝するつもりは毛頭ありません。自民党の保岡興治先生や、早川忠孝先生、上川陽子さんなどは、被害者支援法制やオウム事件被害者支援にこれまでも熱心に取り組んでこられたし、民主党でも、昨年の総選挙で涙を呑む形になってしまいましたが、泉房穂さんが先頭に立って頑張って来られました。ですから、自民がどうの、政府がどうの、民主がどうの、と党派的な根性で批判しようという意識はまったくありません。

この際、明言しておきたいのは、私は、野党政治家ですが、「野党根性」で批判のための批判や政府与党の揚げ足取りだけは絶対にしない、ということです。私が何か書くときも、国会での質疑においても、公的に発言する時にも、この姿勢だけは揺るがせにするまいと固く心に決めています。

さて、この11年間、一連のオウム事件被害者の方々への国による救済支援措置は著しく劣悪で、妥当性を欠いたものでした。経済的支援策については、通院費などへの労災保険の適用と「犯罪被害者等給付金」のみです。たとえば、松本サリン事件の被害者で容疑者扱いまでされた河野義行さんは、事件後の1年間で、寝たきりの妻にかかる治療費や自身の弁護費用など1000万円を費やしましたが、受け取ったのは400万円の「給付金」のみです。

昨年の地下鉄サリン事件10周年を機に、国会図書館の調査・立法考査局の専門調査員の方々の助けを借りて作成した、地下鉄サリン事件と9.11同時テロの被害者に対する国の支援施策についての比較表を、私のHPからぜひご覧いただきたいと思います。(http://www.nagashima21.net/docs/higaishahikaku.xls)

二つのテロ事件の被害者数は、約5500人でほぼ互角です。もちろん、9.11テロでは死者2880人、地下鉄サリン事件では死者12人という差はありますが。しかし、両者に対する国の補償額は歴然たる差があります。米国の場合、死亡された2880人全員に約60億ドル(一人当たり約126万7880ドル=約1億5000万円)、負傷者2680人全員に10億5000万ドルの補償金が支給されました。一方、我が国の地下鉄サリン事件被害者約5500人のうち、犯罪被害者等給付法(1980年)に基づいて給付金が支払われたのは、何とたった2人・・・だったのです。

地下鉄サリン事件は、我が国の犯罪史上類例を見ない凶悪なテロ事件で、無辜の人々が不慮の死を遂げ、死の恐怖を伴った重障害を受け、あるいは今なおその後遺症に苦しんでいます。昨日の会合では、その後遺症に苦しむ方からの涙の訴えもありました。被害者の方々は、肉親の失った悲しみを胸に教団幹部らを相手取り民事訴訟を起こし、15被告全員に対し勝訴しました。そこで損害賠償は・・・なんとゼロ! 教団は、民事訴訟を起こした5ヵ月後に破産・・・。債権の届出は、被害者のみならず国や自治体からも提出され、債権者への配当率は当初たったの16%。

その後、亡くなられた石井紘基代議士の尽力により国や自治体などを劣後配当とする新法や、オウム事件に限定された被害者保護法が成立し、事件の被害者への配当率は約3割となりました。しかし、まだ3割にとどまっており、その金額は、交通事故の場合の自賠責保険の金額にも満たないのです。しかも、この制度そのものが、教団に損害金を破産管財人へ支払うための経済活動を認めざるを得ない(つまり、結果として教団の存続を認める)ことになるという、被害者の方々からすれば到底受け入れがたいディレンマを内包しているのです。しかも、この中途半端な救済策ですら、債権届けを提出した被害者が1137人で、全被害者のたった2割にとどまるのです。

したがって、昨日の会合では、オウム事件被害対策弁護団の先生方から、裁判所が認定した地下鉄・松本サリン事件の被害総額約28億円のうち未配当の20億円超を国が買い取って、国の責任で被害者への損害補償を行うべき、との切実な特例法制定の提言がなされました。

二つのテロ事件に対する日米両政府の施策を比較して浮かび上がった、被害者支援をめぐるこの歴然たる差は、一体どこから来るのでしょうか。私は、日本政府における、「国民の生命と財産を守る」という国に任された最低限の責務に対する責任意識の欠如を指摘しないわけにはいきません。これは、拉致問題を四半世紀も無視し続けた構図とまったく重なるものです。

欧米の被害者支援の基本思想は、国家がテロや犯罪から自国民を守れなかったために、被害者の人権が侵害されてしまった、という深い悔悟と反省がその中核であるといわれています。したがって、侵害された人権の回復・救済を「補償金」という形で、被害者に給付するのです。被害者からすれば、それを国に請求する当然の権利(請求権)ということになるのでしょう。

翻って、日本の場合はどうでしょうか。内閣府の説明によると、日本の「給付金」制度は、あくまで「見舞金」的な性格だというのです。すなわち、制度の背後にある基本思想は、「被害に遭われた方は運が悪かった。そこで、些少ですがお見舞金をお受け取りください」といったものだというのです。そこには、犯罪を防げなかった国の責任意識も、被害者の人権を救済しようという姿勢のかけらも見られない。この基本思想を根本的に転換しなければ、我が国において本来の意味での(あるいは、欧米並みの)被害者支援制度は確立できないと考えます。

じつは、この基本思想の欠陥は、一昨年成立した「犯罪被害者等基本法」でも是正されておらず、昨年末に策定された「犯罪被害者等基本計画」でも、肝心な経済的支援の部分が結論先送りとなってしまったのです。私が、せっかく与えていただいた代表質問の機会を捉えて、小泉首相にこの点を訴えかけ、首相から「経済的支援には格別の配慮をする」との答弁を引き出した所以です。

しかし、昨日の会合に出席し、参加者からの国や国会の不作為に対する厳しいご叱責を受け、私自身の努力不足を反省させられました。そして、被害者支援の基本思想の転換による「基本計画」の実行化と共に、被害対策弁護団の先生方から強く要望された「オウム真理教による犯罪被害者の救済のための特例法」(案)の制定に向け、全力で取り組むことを改めて誓いました。