今日は、逗子海岸の夕日が綺麗でしたね

たくさんの人が海岸で写真を撮っていました(^-^)



さて、逗子海岸の夕日はなぜ美しく感じるのでしょうか?

みなさん考えたことはありますか??

富士山があるから?それとも江ノ島?

色々理由は考えられますが・・

その一つに、『逗子海岸は西に向かって海が開けているから』

ということがあります。

鎌倉は南に海があります。

つまり、逗子の海岸は海に太陽が沈んでいくのを見ることができるんですね~。

富士山と並び伊豆半島の低い山々の稜線に沈む夕日は、何度見ても感傷的な気分に人々を浸します。

それは、今も昔も変わらず・・だからこそ、逗子にはかつて多くの文学者が移住し、逗子を舞台にした作品も数多く生まれたのではないかと。

・・と、いう貴重なお話を今日NPO逗子文化の会の及川洋一氏より聞きました

本日は、私も会員になっております『NPO逗子の文化をつなぎ広め深める会』の
~逗子の別荘庭園を散策し、独歩・蘆花・鏡花の描写した逗子を読む~
という魅力的なイベントに参加してきました

定員30名のところ市外からも多くの参加の申し込みがあったとのこと。

良いお天気の中、旧脇村邸や蘆花文学碑、蘆花記念公園などを散策し、逗子を舞台にした作品を鑑賞しました


(旧脇村義太郎邸)


(数奇屋風の装いに暖炉などアールデコの様式を取り入れた和洋折衷建築)

近代文学なんていうと、少し馴染みにくい感じがしますが、そこはさすが逗子文化の会
誰でも興味深く読めるように、面白い部分をピックアップしてくれました。


例えば・・

国木田独歩が当時明治28年、逗子の柳家で新婚生活を始めた。
妻信子との結婚は許されざる恋であった。生活は極めて貧しかったけれども、とても楽しかった、というような逗子での生活の様子が小説『欺かざるの記』に記されている。

ところが、、その後発刊された有島武郎の『或る女』という小説には、なんとその妻信子が主人公に、独歩の元から5ヶ月で失踪した女の本音の部分が記されています

極めて楽しかったという独歩の主張と・・
独歩との生活に不満たらたらであった信子の主張・・

まあ、小説ですから、誇張はあるにしても男女の意識の違いというのは、今も昔も変わらないのだなぁ~(笑)ととても面白く近代文学を身近に感じることができました

参加者からは、旧脇村邸をもっと市民が活用できるよう積極的に開放して欲しい
など色々な意見が寄せられました。


(紅葉の綺麗な第一休憩所)

全国的に、歴史的な古い建築物は火災や開発で消滅しつつあるので、、逗子のこうした文化を感じることのできる貴重な歴史的財産はこれからも守っていきたいと思います(^-^)